甲子園に復活出場してほしい高校(を語る)part12 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
89年以降出場のない主な高校(甲子園出場複数回)
北海学園札幌(札幌商) 釧路江南 函館工
東奥義塾 青森北 三沢 青森 盛岡一 福岡 盛岡商 黒沢尻工 花巻北
秋田中央(秋田市立) 山形南 仙台商
取手二 取手一 鉾田一 足利工 桐生 桐生工
上尾 熊谷商 大宮 熊谷 川越工 所沢商 千葉商 印旛明誠(印旛)
日大一 日大二 明治 城西 法政(法政一) 法政二 武相 甲府一
新潟商 長岡 糸魚川白嶺(糸魚川商工) 長岡商 岡谷工 長野 伊那北
魚津 金沢泉丘 金沢市工 若狭 三国 武生
清水東 岐阜 明野 四日市 相可 松阪商
伊香 膳所 京都商(京都学園) 西京(西京商) 立命館 山城
明星 興国 阪南大(大鉄) 神港橘(市神港) 明石 御所実(御所工) 新宮 和歌山工
玉島商 尾道商 盈進 呉港 松江商 大田 柳井 柳井商工(柳井商)
高松一 志度(志度商) 新居浜商
小倉 小倉工 福岡工 久留米商 福岡第一 佐賀西 佐賀工 長崎西 佐世保工 諫早
熊本商 津久見 日南 延岡商 鹿児島玉龍 豊見城 首里 安達は亡くなったんだな。松井を逃した阪神のはすれ一位だったが活躍できなかった。
村野工というと78年春初出場時のミラクル投手の千田も思い出される。上手、横手、下手と投げ分けた。 甲子園で活躍後比較的若く他界してしまった人
岐阜短大付属湯口投手 ずいぶん若すぎた
永川英植投手30代半ば
広島商業佃投手50代初め
取手二高石田投手40代?
甲子園に出たかどうかは知らないが巨人→阪神 小林繁投手50代頃?
浪商ドカベン香川、超太りすぎのためか50代初め頃他界
星野仙一さんは70歳まで到達したから普通じゃねん。
自分の周り見てても男性は元気な年寄だなあとオモテ見ていても70歳過ぎた頃急に逝っちゃう人
が普通にいる。 取手二石田投手はあの桑田清原のPLを夏の決勝で負かした。
ただ桑田は指のマメが潰れて異常な痛みを感じて投げるどころではなかったそうです。 関大一・関大北陽
関大の付属高校。
前者は、98春松坂の横浜相手に、準優勝。その年の夏にも出て、これが最後の出場。
後者は、阪神・ 岡田彰布の母校。07春に、「上杉達也」という選手がいて、有名に。いずれも校名は「北陽」だった。現校名ではまだない。 >>803
北陽が関大の併設校になったのは2008年4月。 早実で荒木大輔と同学年で1年生から2塁手レギュラーだった
小沢章一氏も41歳の若さで亡くなったね。
大学卒業後は千葉英和の監督だった。
あの守備は少年野球選手のお手本と言われ、
解説者がどんな指導をしたらこんな選手になるんだろうと唸ってた。 甲子園に一度出場しただけの学校同士の対戦
1950年春 八幡(福岡)対萩北
1951年夏 都島工対豊橋商
1964年春 安芸対岐阜東
1971年春 普天間対弘前
1973年夏 藤沢商対萩商
1976年夏 高田商(新潟)対福島
1994年夏 長崎北陽台対宿毛
2002年夏 興誠対日章学園
2009年夏 横浜隼人対伊万里農林
2013年春 遠軽対いわき海星 高田商(新潟)対福島
新潟県勢初のホームラン&二桁得点 【北海道】帯広三条
【東北】三沢商 専大北上 仙台西 日大東北【関東】水戸商 八千代松陰 栃木南 春日部共栄 帝京 桜美林
【北陸】新発田農 南砺福野 福井商 長野商【東海】静岡商 愛工大名電 多治見 四日市工
【近畿】京都外大西 桜井 近大付 初芝橋本 育英
【中国】浜田 岡山城東 岩国
【四国】坂出商 徳島商 松山商 高知
【九州】楊志館 伊万里商 沖縄水産 >>800
宇部商業、藤井進、49才、甲子園4ホームラン
三重海星、稲垣正史、23才、早実戦サヨナラホームラン 水江は優勝直後には「ノンプロで地道に野球をやりたい」と語っていたが、ドラフトでヤクルトが五位指名すると入団してしまった。
しかし一軍登板なしで四年で退団。故郷に帰ってスポーツ店勤務していたが…
82年に日刊ゲンダイの「あの人はいまこうしている」というコラムで、「夏の優勝投手の看板はとっくに返上しました。甲子園で優勝したら人生が開けると思うのは間違っているのではないですか。もっとも自分がそう気づいたのはつい最近ですけど」と語っていた。
それなのに行方不明とは。事情があったのだろうが、優勝投手の看板は重すぎたのかな。 茨城東
宇都宮南
桐生
千葉商
熊谷商
峡南
日大一
佼成学園
藤沢翔陵 数年前の雑誌の優勝投手特集記事で、明星の選手権優勝投手も消息不明と書いていた。 長野日大
08春が初出場。当時の監督は、松商学園を率いた中原英孝氏。ベスト8まで行った。
その翌年の夏にも、出場。エースは、2年生の加藤で、優勝する中京大中京に敗れ、ベスト16。
現在は、違う人が監督だ。 近大福山(広島)
巨人・畠世周の母校。甲子園は、89夏のみ。開幕戦で佐野日大と激突。延長にもつれ込む投手戦だったが、現在はここの監督で、当時はエースだった麦倉にソロホームランを打たれ、これが決勝点となって、敗れた この時のユニフォームは、漢字で「近大福山」だった。現在は、「KINKI」だ。 >>816
堀川ね。
津久見といえば、67年春の優勝投手の吉良も消息不明と書かれたことがある。
そのときにこれも日刊ゲンダイだったか、「どこかの雑誌で消息不明と書かれたが、とんでもない」と笑い飛ばしていた。 峡南というと思い出されるのが72年夏の西関東大会決勝、熊谷商戦。
下馬評では鎗田(のち法政)擁する熊谷有利だったが、鎗田の打席で深沢が死球を与えて鎗田が退場。試合は延長の末2-1で峡南が初出場となったが、後味の悪さを残した。 東北楽天イーグルスは18日、
茂木栄五郎内野手(23)が東京都小金井市の観光大使に就任したことを発表しました
茂木選手は1994年2月14日に小金井市で生まれ、小金井四小、小金井南中の出身
桐蔭学園高校、早稲田大学を経て東北楽天に入団 平成6年選抜初出場ベスト4の桑名西
今年のサッカー選手権ベスト4の上田西とそっくりな勝ち上がり方だった
初戦の星稜に1‐0で勝利したところから始まり
接戦→大勝→接戦→大敗
勝つ度に大きな驚きをもたらした桑西旋風
最後は常総学院にめった打ちにされて散った 中標津
札幌商
東奥義塾
盛岡一
金足農
仙台商
山形南
双葉
鉾田一
葛生
中央
千葉商大附
越谷西
法政一
國學院久我山
横浜商
日川
敦賀
北陸大谷
新湊
丸子実
桐陽
享栄
美濃加茂
明野
瀬田工
御坊商工
郡山
渋谷
東洋大姫路
東山
高陽東
米子商
倉吉東
岡山南
邇摩
光
高知商
志度商
南宇和
池田
久留米商
鳥栖
津久見
瓊浦
都城
鎮西
川内実
読谷
…が見たいが校名変更や吸収合併、閉校は知らぬ 米子商業は米子松蔭って校名になって昨年夏甲子園出てたよ >>831
そうでもないっすね
一応県立普通科ですが、進学校とは言いにくいな
中学の成績オール3の生徒が余裕で合格出来るレベル >>832
しかも近隣に津田学園、いなべ総合、菰野などの強豪校があり、優秀な選手は集まりにくい
なので、尚更あの時の快進撃はなんだったのかと今でも不思議に思う >>827
81年夏埼玉決勝
熊谷商5-4上尾 9回逆転サヨナラ
全国でしんがりの代表決定。前日ノーヒットノーランを達成していた上尾日野の調子がいまひとつだったな。 >>833
むしろ菰野はなんで突然プロ続々出るような高校になれたんだ?
公立なのに >>835
下手投げ・針生の好投で、広沢のいた小山を破って甲子園へ。 >>837
どうでもいい情報だけどその針生の息子は大分前文星にいたけど甲子園に1度も出られなかったな
結構期待されてた世代だったけどな >>836
監督の手腕が評判となる&寮提供
他県からの野球留学黙認(去年からアウト)
偏差値的には底辺校だが、野球部のおかげで荒れなくなった
以前は入学時の3分の1が退学してた時期もある鼻つまみ高校だったが、今はそんなことはない >>818
近大福山は84年春にも出場している。投手は西武、巨人でプレーした岡田だった。初戦で優勝した岩倉に2-4と敗れた。
89年は選手権では平成最初の試合に登場。麦倉に本塁打されたのは9回表、0-1と敗退。 >>840
818です。
色々間違えていて、失礼致しました。
情報ありがとうございます。 桜ヶ丘(山口)
89夏に出場。見事初戦突破した。一度出場していたことに、少し驚いた。部員の中には関西出身も。 糸魚川商工
70年代に甲子園に3回出場しているが、いずれも初戦で完封負けを喫しており、まだ得点がない。
現在は糸魚川白嶺に校名変更している。 横浜一商(現・横浜商大高)甲子園初出場は1966年夏
第48回全国高校野球選手権神奈川大会決勝戦
1966年7月31日 平和球場
武相
000 000 000 =0
000 010 00X =1
横浜第一商業
[武] 田丸滋−岡本治男
[横] 佐々木正雄−米長賢一 その相手の武相は64年から68年まで五年連続して夏の神奈川の決勝に進出。唯一負けたのがその横浜一商との試合だった。この試合も押していたのだが得点できず一点に泣いたもの。
この試合に勝っていれば五年連続出場だった。
しかし武相の天下は短かった。直後の69年から原監督率いる東海大相模が台頭してきた。
いまだに武相の甲子園出場はその4回だけだからな。 >>842
初戦は丸尾選手のホームランなどで北海に逆転勝ち、次戦は優勝した帝京に1-10の大敗を喫したが、この大会吉岡から得点を奪ったのは桜ヶ丘だけだった。
近年は秋春は好成績を挙げながらも、夏は思わぬ学校に足をすくわれ早期敗退するケースが目立つな。
因みにプロレスラーの長州力の母校でもある。 >>844
あれは73年夏の日田林工戦、3回裏だったか。
先頭打者が外野を破り一気にホームに突っ込んだが本塁憤死。無死だったから三塁に止まっておけばよかったのだが。 小林西(宮崎)
後に中日から指名された笹山投手を中心に93年夏に登場。
初戦で前評判の高かった学法石川を逆転サヨナラで下すと勢いに乗り、2回戦では選抜で8強入りした長崎日大、3回戦では伝統校の高知商を下す快進撃を遂げ、最後は常総学院に延長で敗れたものの見事初出場で8強入りを果たした。
現在まで甲子園出場はこの1度のみである。 鵡川(南北海道)
過去3度出場しているが、どれも春である。02は21世紀枠で、04・09は一般選考で出場。初戦敗退は、09のみ。この時のピッチャーは、雄星だった 戦後の神奈川県大会についてちょろちょろ調べてみたけどY校って1970年代末〜1980年代が黄金期ってだけで他は基本的に苦戦してたんだな。
今の桐光学園に近い。上位には必ず行くけど甲子園はたまーにみたいな。
まあ戦前は弱小地域神奈川が唯一表に出しても戦えるレジェンドだったけど。 >>794
わが母校の名が挙がっている(自演じゃないですよ)。
昭和28(1953)年までに夏6回出場(出場時は千葉中、千葉一)して通算2勝。
「月に向かって打て」と東映の大杉勝男を指導した飯島滋弥がOB。飯島は昭和43年、大下監督が休養したあとの代理監督を務めた。
いまは同好会レベルで部員も10数人で苦しい状態です。 >>850
県大会が雨で順延しまくって、全国で最後に代表校に決まったんじゃなかった?
バタバタで甲子園に乗り込んだ印象がある 全国で一番最後に代表校に決まって甲子園大会では開幕試合、そして勝利した高校はあるが、
逆に負けてしまった高校はあるのだろうか。 勝ったのは74年平安、76年東海大相模、79年日大山形とかがそうだね。
負けたのは思いつかない。調べればあるかも。 埼玉栄
元西武の大島裕行の母校。相撲だけど、最近デビューした大鵬の孫・納谷幸之介もここ出身。
現在の監督は、東北・九国を率いた、若生氏。
ユニフォームは、縦縞のSAKAEになり、大島の時から変わった。ピッチャーの米倉は、注目 桜井(富山)
公立。07夏が最後の出場。この時、東福岡に延長11回サヨナラ押し出しで、初戦敗退。惜しかった。この時の4番、藤井翼はのちにソフトバンク。戦力外受けたのち、富山県初となるプロ出身の監督になった。因みにこの桜井高校の。 >>856
ありがとうございます。
日大山形のとき 弱い山形だけに一番最後に代表になり、
甲子園大会で一番最初に去るのでは と思いました。 佐賀商
ここ数年いい選手がいるのだが、あと一歩のところで甲子園を逃している気がする。10年ぶりの夏の甲子園を目指す >>855
88年近大付は初日第二試合だったな。
選抜ベスト4の宇都宮学園との試合は接戦となったが、高嶋の2ランにやられた。
宇都宮の上野監督は「勝因は近大さんが代表決定が遅れてあいさつ回りとかで忙しかったから」とかいうコメントしていた。 金足農(秋田)
農業高校。昨年の夏の予選は惜しくも、決勝で敗退。その時のエース・吉田は、2年生。今年注目の選手。
07夏、大垣日大に1点差で負けてから遠ざかっている。農業高校が、甲子園で躍動しているのを久しぶりに見てみたいものだ。紫のユニも良し 新発田農(新潟)
81年夏は初戦で名門の広島商を延長の末に破る大金星を挙げると、2回戦では新鋭の東海大甲府を接戦の末に下し、新潟県勢初の甲子園2勝を達成。3回戦では今治西に大敗し8強入りはならなかった。
98年には現巨人の加藤健を擁し春夏連続出場するもいずれも初戦敗退。00年夏を最後に甲子園から遠ざかっている。
日本文理の大井監督が退き、勢力図の変動も予想される新潟で復活を狙いたい。 >>864
80年の天理戦
高田投手、四死球9個くらい出しながら、接戦になり延長戦までもつれたのには
ちょっとたまげました。乱調が逆によかったのか・・。 対戦相手を見ると、新発田農は80年夏のチームのほうが地力があったのかと思える。 西日本短大付(福岡)
92夏のV校。エース・森尾は北陸戦のみ失点し、好投手だった。卒業後は社会人入りした。
OBである新庄が、バスをプレゼントしたというエピソードもあったかな。
10夏が、最後だ。 周防大島(山口)
久賀高校時代の62年春、99年夏に出場。
62年春は前年秋の中国地区チャンピオンとして臨んだが、初戦で優勝した作新学院に敗戦。
99年夏は大浪監督が率い、新チーム結成以降秋春夏全ての県大会を制して登場、離島からの出場ということでも注目されたが、旭川実相手に初戦敗退を喫した。
大浪監督は後に華陵でも08年春、09年夏に甲子園出場、現在は熊毛南を指揮し、14年夏に準優勝するなど安定して県の上位まで進出している。
パナソニックから阪神入りした藤谷洸介はここの出身。 >>868
久賀高校って熱闘甲子園でも離島押しされて注目されてたけど
後にすでに甲子園経験校だったと知って驚いた >>869
本土の柳井市とは1kmほどの大島大橋で接続されてるから、そこまで交通アクセスが悪いわけではないんだけどね。
現在福祉科(普通科福祉コースだったかな?)は県外にも門戸を開いているため、野球部にはこれを利用して入学してきた県外出身者もちらほら。 ここまで出てないけど
堀越(東京)
桑原監督が率いていた90年代までは結構出ていたものの、
岩隈久志が当時1年生だった(ベンチ入りメンバー外)97年の夏に初日の第1試合で敦賀気比に負けて以来甲子園からは遠ざかり、
今では都の予選でも早々と姿を消すことが多いほどの悲惨な状態に…。 膳所 78年夏以来、40年ぶりの甲子園
「六度目の正直」を目指す 大阪から府立高校出てほしいわ。去年の大冠は惜しかった。
春日丘・渋谷・市岡・八尾・天王寺・北野・布施出てくれ。暴力の桜宮はイラネ。 土佐、國學院栃木と私立では珍しい白アンダーシャツ校が相次いで復活したが、次はあの白アンダーシャツ私立に復活して欲しい…
まあアラフィフ以上の人はピンと来ただろう 876書いた者だが、愛知も確かに白アンダーだったね。忘れてたが拓大紅陵も確か白だった。
で自分が意図した白アンダーとは東奥義塾のことでした。
To-oのロゴが独創性に溢れてて何か気になる… 東奥義塾と言えば、有名なのが高校野球公式戦で
史上最多得点差の122−0で勝った試合だね。
1998年夏の青森県大会。初回に何と39得点で
その時の青森大会はコールドの規定が7回以降だったから
ラグビーでもなかなか無い122−0になった。 すまないが全然ピンとこなかった。自分も愛知だと思った(84年春は例外)。
白といえばやはり土佐だな。76年春の準々決勝、小山との一戦は白いユニフォーム同士、キビキビした試合で忘れられない。 東奥義塾は67年夏、優勝候補筆頭の報徳を破るなどしてベスト8入り。
報徳を完封した前田投手は76年にジョギング中に倒れて急死された。 東奥義塾、慶應義塾、明徳義塾の甲子園揃い踏みは見てみたい 愛甲猛さん (1980年夏 甲子園優勝投手)
昨日は
江戸川学園取手中・高等学校の創立40周年同窓生の集い会に
お呼ばれしてご挨拶をさせて頂きました。
昭和55年甲子園の2回戦で戦った学校です
38年ぶりに会った野球部の皆なはオッサン(俺もかw)になってたけど
思い出話は尽きなかった 江戸川学園取手
昭和55年夏の代表になり、
取手市民、茨城県民から総スカンだったというのは本当ですか? 第1回大会に出場したのを最後にその後一度も甲子園に出場していない
広島国泰寺
宇治山田(三重)
あと100年経っても出れないんじゃ 明徳義塾は嫌いだな、やはりあの松井5打席連続敬遠。
松井秀喜って云うと、長嶋監督がドラフトで指名権得たとか本当に巨人に入団できたとかMLBでプレーしたとか
国民栄誉賞に輝いたとか、よりもあの甲子園で勝負してもらえなかったインパクト
のほうがはるかに大きい。
当時自分はまだ若かったからテレビのニュースで知った時は、ふうーん、という感じだったけど
年月が経つにつれ残念の気持ちがだんだん大きく成長していった。
自分は星稜がある県じゃないのに、逆にプラスのインパクトが大きくなったのはあの箕島 − 星稜 延長18回。
星稜ファーストであの1塁フライを人工芝につまづいて落球した人は、後にクルマのセールスマンになってあの話をすると
クルマをよく買ってもらえたとか。
明徳義塾は勝負逃げちゃったけど過去のPL清原や去年の広陵の強打者にも、みんな逃げずに勝負してくれたなあ。
ピンクレディーのサウスポー
去年の決勝戦前夜、嫌な予感があったけど花咲徳栄の監督は「逃げるようなことはしないと思いますよ。」
真っ向勝負で本当に良かった。
三振も取ったでえ。
甲子園のインパクトって強い。 熊本 必由館
03夏 徹底したバスター打法には本当に驚いた。
最初はバカじゃねぇ なんて思ってたけど見ているうちに
いつの間にか虜になっていた。
光星学院に逆転負けだったっけ・・。 >>887
開校三年目の出場は前年の明野もそうだったが、明野と違ってひんしゅくをかったな。
ベンチ入り全員が県外だったから。 熊本は秀岳館とか〇〇館と館がつく学校が多いんですか。
熊本工業と左門豊作の熊本農林しかしらない。 同志社(京都)
過去に2度、同志社中として出た。
早実・野村は、ここの中等部出身。 ユニフォームは、DCと大きく書かれている 1950年代の甲子園出場校見るとマジで今の感覚だと信じられないな。
進学校の運動会やん。
そりゃ1960年代途中で定時制とか使わない限りヤンキー私立に歯が立たなくなるわけだわ。 >>863金足農といえばやはり昭和59年夏の快進撃が思い出される。 >>897菰野は毎年のように好投手が出てくるが打線は全くダメ。打線を強化しない限りいつまでたっても三重高には勝てない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています