甲府商

1963年夏には2勝を挙げ3回戦まで進出した。
しかし記念大会による出場校増に伴い西宮球場を併用して行われたこの大会、甲府商は3試合とも西宮球場で戦ったため複数勝利を挙げたにも関わらず甲子園の土を踏めなかった。そのため関係者から不満が続出、以降は例外なく甲子園での単独開催が為されることになった。
1967年春には県勢初の甲子園ベスト4まで進出。初戦では急造の望月投手が9回2死まで無安打無得点を続ける快投を見せた。
直近では07年夏に出場。米田投手を軸に同年の春の関東大会で準優勝を果たし、甲子園でも1勝を挙げた。