もっとも、その夏の日藤の2年生バッテリーを残して、三年連続して神奈川の決勝に進出した日藤。
相手は、前年準決勝での大逆転負けの雪辱に燃える王者:横浜。

松井投手が、日藤主将の尾形の頭部にデッドボール。球場全体が騒然となった。
そのとき、横高応援席から「がんばれ尾形!!」の大声援。
試合は横浜が勝ち、故丹波投手の霊に報いることができた。

ところで、そのときの日藤監督は、OBでいすゞ自動車(野球部)を退社して就任した荒井氏。
いうまでもなく、山本昌の1年先輩であり、県大会で2試合連続ノーヒット・ノーランの記録を有する好投手だった。
いや、むしろ今では甲子園でもおなじみになった前橋育英高校の監督として知られる。
もし、そのまま彼が母校の監督であったならば、その後の日藤の低迷は回避されたかもしれない。