「横浜新時代の幕開け」

松坂などを育てた全盛期の小倉式の「勝つ方法」「勝てる方法」を詰め込む徹底した指導方法から、
時代や生徒の変化に合わせて、選手の自主性を重視しながら「楽しみながら」長所を伸ばす野球で
勝利を目指す平田式指導方法へと大きく舵をきった。名誉監督として残っていた渡辺氏も野球部から手を引くことによって、
名実共に横浜の新時代が幕開けしたと言っていい。

以前から小倉式の「勝つ野球」指導方針に疑問を持っていた平田監督は、能力のある選手が能力を発揮できずに潰れていく、
個性がなかなか出せない環境になってしまっていると感じていた。
いわゆる「ステレオタイプ」的な指導に否定的だった。

平田監督は詰め込むのではなく、精神面でも野球の面でも、選手を自立させることが大事だと考え
「自分で考える」「自分で判断する」「自分で創意工夫する」そういう習慣を身につけさせることに指導の主眼を置いた。

明らかに小倉野球の否定であり、全盛期の横浜野球の根本からの転換なのだ。