横浜創学館高校を語る◆PART7
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
前スレが1000到達の見込みが立ちましたので後継スレを立てます。
引き続きの熱い投稿に期待します。(翔光会会員)
前スレ
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/honobono/1599750606/l50 極道も道を開け女は逃げる(嘘)翔光会の象徴・オヤジ。なーんちって。 ちょっとだけ地団駄踏むポーズの冬木は何故か女性からモテたらしい。
生きていれば現在60歳。まだまだ現役だったと思えてならない。 今夜は、まさひろとまさのぶの団体の威信を賭けて行われた日本武道館の試合をニコニコ動画で視聴しました、の
私は翔光会 >>720
戦国時代の僧兵姿のヒールキャラを想像してしまった
その姿で雄叫びをあげながら地団駄を踏んだら 鷲●先生のような妖怪感が出そう(^_^) W先生は俳優としてもイケた。
決して主役ではないが主役を食ってしまう怪優キャラで。 戦国時代に生まれていたら織田信長と対立して焼き打ちに遭うがそれでも生き延びたであろうW尾先生 松山は坊っちゃんゆかりの地
僧侶の実家の三男坊も一応は坊っちゃん >>723
ブッチャーに髪の毛があったら 額のキズが髪の毛で隠れていたかもしれない 馬場さんはボボ・ブラジル対策として髪の毛を伸ばしてみたが効果がなかったという(^ω^) 馬場、キラートーア・カマタに敗れる!
衝撃的だったのは馬場さんのPWF王座陥落よりも髪型がパーマネントだったことだった。 流血大王・カマタさんはハワイアン
PWFのお膝元。 流血大王のカマタ
理不尽大王の冬木さん
どちらも悪い人に見えない 冬木弘道にテリー・ゴディにスティーブ・ウィリアムス。
早すぎた。合掌。 プロレスラーは短命が多かったがブッチャーは長生き出来た。
体型からすると意外な展開。 パワーボムにサンドイッチ・ラリアット。横浜商工の教室でよくやりました。 国際プロレス時代の阿修羅はまだ線が細かったみたいですね。 >>756
今のご時世では危険過ぎるため禁じ手となったツバ攻撃
古き良き時代だった。。。
観客も心得ていて 皆新聞紙で防御していましたな 永源さんのつば攻撃は今やったら出場停止処分になってしまうだろう。
カブキやムタの毒霧も然り。
難しい時代になってしまった。 ツバ攻撃も毒霧も横浜商工プロレスでは封印されていた。 ツバ攻撃はねっとり感があって、たまらんかった。
(こいつは食らいたくないなあ) まだ現役当時の原辰徳氏が武道館に観戦に来ていて、近くで観戦していた巨人先生がツバ攻撃を食らっていた記憶がある。 空手部からプロレスラーやプロ格闘家が出ないかなぁ・・・ ハンドボール部もゴツいのが多かった。
プロレス向きの学校なんだがなあ。 猪木vsはぐれ国際軍団1対3ハンディキャップマッチのことは横浜商工でも話題にされていたな。。。 わりと横浜商工は公平な見方をしていて、少なくとも○○信者みたいな特定のレスラーを贔屓してそうでないレスラーを落とすような動きをする者はいなかった。80年代前半に多かった「猪木信者」には、あまりいい感じで見ていなかったのではないかと推察する。 プロレスならば団体問わず! の横浜商工・横浜創学館ですから レフェリーの背中を踏み台にしてのシャイニングウイザード←これ反則? バーン・ガニア。ビル・ロビンソン。ニックボックウインクル。マッドドッグ・バション。ジョージ・ゴーディエンコ。レイ・スチーブンス。それにモンスター・ロシモフ。 ○三好&長田&高田&佐川[頭脳&筋肉]八倉&綿井&山中&日山● ○三好&長田&高田&佐川[頭脳&筋肉]八倉&石田&山中&日山● 旭川市江丹別で氷点下31度台。ダイヤモンドダストも。 我らが創学館野球部は 県内においては中堅団体のポジションだが 全国的にはまだまだインディー団体
まずは神奈川を制覇して 甲子園でインディー魂を発揮して暴れ回ってほしい
「ワイルドシング」の曲が似合うようなチームになってもらいたい
但しパイプ椅子は持ち込み禁止ですが(^-^;)
あと未成年者のタバコも当然ダメね^_^; 地元民だけで構成される「地元密着型プロレス」もとい地元密着型の高校野球。
見せよインディー魂。 地元密着型プロレスというと その元祖は「みちのくプロレス」ですな
昨今は 地方に町おこしを目的とした地元密着型の団体が出来て活動してますね
横浜創学館プロレスは 観覧無料の追浜商店街プロレスが出来そう(^_^) 私の脳裏にも「みちのくプロレス」の存在がチラリ。
しかし我が校は追浜側からのアクセスと金沢八景側からのアクセスでは全く風景が違って見えた。
個人的には海の見える金沢八景側が断然好き。 インディー団体は身の丈に合った経営をするから意外に崩れない。
危ないのは業界3〜4番手くらいの団体。
プロレスから学ぶ横浜商工・横浜創学館。 昭和47年終了当時、プロレス界は4つの団体が存在した。
古い順に、日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスの順。
このうち、最も苦境に立たされていたのは、テレビ局がまだ付いていなかった新日本。猪木vsゴッチの試合が東京12チャンネルで中継されたのみ。
最後発の全日本は最初から日本テレビがバックに付いており、力道山家(百田家)もバックに付いた。日本人選手が手薄だったものの、メジャー感溢れる団体。
日本プロレスは馬場・猪木に去られて斜陽化しつつあったが、まだNET(現・テレビ朝日)で中継はされていた。
国際はTBSが中継。まだまだ団体に体力があり、9年後には倒産してしまうとは、この時点では誰も知る由もない。 坂口さんがNETテレビを連れて移籍してきた。
新日本はそれまで青息吐息で日本プロレスと合併して「新・日本プロレス」と社名変更も検討していた。 剛竜馬とアポロ菅原と高杉正彦?
国際プロレスの匂いがキラリ。しかし苦しいメンバーなこと。
横浜商工プロレスのほうが数はよっぽど揃っている。 >>795
現代のプロレスに直接つながる元祖はやはりFMWでしょうね
そこからさらに遡ると 国際プロレスかも 96年あたりになると正確なプロレス団体の数が分からなくなっていた。
東京プロレスは確か存在した。 オールドスターを集めたWJ。しかし身の丈に合った経営が出来なかった。美味しい体験をした人達が陥る落とし穴。 目の前の状況を受け入れる・・・・・・・プロレスから学んだことである SWSが分裂してからいよいよプロレス界は他団体の時代を極めてしまったづら FMWの成功で「俺でも出来るかも」と錯覚してしまった人が多いんじゃないかと。
団体の長の器ではない人が何人もいるであろう。石川敬士さんとか。 横浜商工も農業科とか新しく新設して他団体時代に突入する手もあったと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています