横浜創学館高校を語る◆PART6
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PART5が1000到達の目途が立ちましたので次スレを立てておきます。
これまでの皆さんの投稿に感謝すると共に更なる熱い声援に期待します。
今後もよろしくお願いします。 (翔光会会員)
前スレ
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/honobono/1593747657/l50 第1次UWFは新日本の一部の人間が浮気心で立てたダミーの団体と言った人がいたけれど
本当なのかしらん。真相を知りたい。 ジャパン・プロレスちゅうのもあった。80年代半ば。 横浜商工ハンドボール台頭期の80年代はプロレスも活気がある素晴らしい時代だったなあ(しみじみ) ジャパン・プロレスは全日本とも新日本とも交流を持とうとした団体だったが長州力の描いた
絵図は夢物語と終わった。正味2年半くらいだったか? 鶴見さんがカブキ氏とシングルで対戦して緑の毒霧を顔面に吹かれて
のたうち回ってリングアウト負けした試合が好き。 毒霧は緑と赤の2種類。横浜創学館プロレスでは登場せず。 カブキさんの緑の毒霧はワサビを効かせているのに加えてニンニクを盛っていて
かなり臭いとか。鶴見さん災難の巻。 仕事人鶴見さんは隠れた人気者だった。
ところで今年の明治神宮大会は中止が決定とか。淋しいニュースだ。 高校野球も随分新興勢力が台頭している。関東大会の顔ぶれ見てビックリ。 福田俊は明治神宮大会の飛躍をきっかけにプロ入りを掴んだ 神奈川から甲子園2校行って欲しい。チャンスだと思う。
横浜創学館はいつの日か全国制覇をね。 >>356
赤い毒霧噴く時は唐辛子使用。確かにキツそうだ。 >>321-335
映画『新宿スワン』綾野剛、山田孝之 ひようら
日吉、日吉本町
日吉駅
渋谷スクランブル交差点
新宿駅 渋谷のスクランブル交差点に乱入してラリアットの乱れ打ちやったろか
と考えた昔もありました。 >>369
ロープに振って戻ってきたところをショルダースルー 495ラジオネーム名無しさん2020/10/10(土) 14:44:47.57ID:WylWL4+W
先週の『週刊新潮』の吉田豪
496ラジオネーム名無しさん2020/10/10(土) 15:02:32.33ID:WylWL4+W
AVとか武藤敬司と前田日明とか野球 Ryuga(りゅうが 1997年8月8日) ボーカル、ギター。作詞作曲も行う。北海道出身。現役慶應大学生。
幼少期から目立ちたがり屋でカラオケ好きだった。
高校時代はニューヨーク留学していた。 木村健吾さんの「らしくもないぜ」の作詞・作曲者は誰だろう? 前田日明も還暦か・・・・・・・歳月の流れとは早いものぞ。 不要な月額会員サイトは今月中に退会しましょうてか。うーむ。 望月世代(と言っていいのかどうか分からないが)の神奈川球児は意外とプロに行った人は
少ない。 横浜高校は谷間の世代。それでも夏の神奈川大会準優勝。
名門の底力を見せた。 創学館・森田監督の師匠である渡辺元智監督のラストイヤー。
小笠原・吉田の2枚看板を擁する東海大相模とは、この年はハッキリ戦力差があり、やはり勝てなかった
が名門の底力は嫌というほど感じさせる戦いぶりだった。
創学館はこの年は平塚学園に完敗だった。そこまでは無双状態だったのだけど。 昨年横浜高校にゴタゴタがあった時に横浜高校時期監督に森田誠一氏を、という声もネット上に上がったようだが
森田監督はやはり横浜創学館監督のほうが似合う。 横浜高校OBが監督を務めているのは横浜商大高校もそうですな。 横浜創学館OBが他の高校の監督を務める時代もいつか来るだろう 星槎国際湘南は土屋さんの後釜は創学館OBになるかも知れん スピニング・トーホールドは回転しないほうが痛い😵 色々な分野で活躍していて頼もしい。
横浜創学館の遺伝子を持つ指導者が出てきて分家が増えてくれたらいい。 高橋航平は福田俊の進路にも多大な影響を与えた偉大なる先輩 佐藤という平凡な姓を背負って生まれてきた以上、少しはインパクトのある名前を
付けないと他の人との差別化を図れないという理由で「未来人」などという名前を
付けた可能性はある。 釜利谷のグラウンドに向けて双眼鏡、て人いるのかいな 『よろしく哀愁』
『幸せになりたい』
『楽園のDoor』 歴代の「霞ヶ浦高校」のレスリング部に『山口純』が二人いた。
歴代の「松山東高校」のサッカー部に『渡辺祐貴』が二人いた。 山梨学院大学には「中村ゆうじ」が二人いたと記憶している。
箱根駅伝出場者。 >>420
>>426
日本人男性が腋毛を剃らない率が高い理由は???! 彦根東は京大狙いの秀才が集まる難関高校と聞いたが野球も強い。
文武別道のワシらからすると凄い高校に映る。 「修行くん」とか珍姓だけでオーダー組んでもそこそこ
強いチームが出来そうな横浜創学館硬式野球部チーム 珍姓と言えばウイットロウ(高校時代)。
クリーンアップは圓垣内4番は決まり。18年主将の儀同は3番か5番打者で。
エンガウチというのは、まともに読める人が少なそう。かなりの珍姓かも知れない。 1995年10.9東京ドーム
『新日本プロレス vs UWFインター全面対抗戦』から25年が経ったか・・・
その前日の東京ドームは 読売ジャイアンツ原辰徳の引退試合だった
私は当時横浜商工に在学中の出来事で クラス内ではこの2つの出来事の話題で持ちきりだった 横浜商工うるわしその名不滅の歌ありああここに
Uが新日本に飲み込まれた東京ドーム。
原辰徳氏が引退。私は当時、週刊ベースボールの「タイトルバトラー養成塾」というコーナーの
常連投稿者でしたが、原辰徳ネタでは一度も掲載されたことなし。
この年の打率(掲載率)は51打数13安打1四球13打点1本塁打(全48試合)。255の打率。
横浜商工はオヤジに率いられて黄金時代に突入。もう25年も前なのか、と感慨深い。
硬式野球部が前年に大躍進を遂げたが、次の大爆発はもう少し先の出来事。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています