彼が言いたかったことを凝縮すると、
「小賢しいロジックを捨てて、物それ自身を見よ、事それ自身に出会え、言葉それ自身を知れ、そしてそれを体感しろ」
という至極シンプルにして純粋な提言。

わからなければすぐにWeb2.0の検索システムで即時的な「正解」(理解というより単なる答え)を得られるIoTの現代、
「考える」ことは、重要ではなくなった。自分の頭や自分の心やその感じ方や自分固有の言葉というものも、不要になってきている。

このスレが小林秀雄がせっせと行動できたような対象者を抱え込んでいるのであれば、滅びつつある知の風習がここにまだ生きていることになるし
14夜に至って散見するような、「不純な」投稿姿勢に接するたびに、ここの歴代スレにかつてあったはずの
「幸福な純粋投稿者と読者による蜜月の時代」がもう戻って来ないのかという危惧を覚える。
近田さんはせっせと今も言論しているが、彼は巧みに不純読者にも色気を振りまき、大衆誌での名物コラムで一世を風靡している。
小林になれぬなら、近田を目指してみようじゃないか。
純粋か不純かは、言葉の端に出る。つい、出てしまう。悪貨は良貨を駆逐する。
スレを楽しむために純度を高めることは、かつてこの国にあった、
ほんわか多幸感溢れる知の共同体の時代の空気を追体験するようで
不思議な心地好さが得られるような気がしてくるんだが……。