乙女ゲームじゃないから「ドラマ」であり「ストーリー」だから

http://www.itmedia.co.jp/business/spv/1512/25/news015.html
 創業者は、米国のUCLAで映画を学んでいたのだ。

ハリウッド仕込みの映画のノウハウが、ゲームに盛り込まれていたのが、ボルテージのゲームだったのである。

 ボルテージの恋愛シミュレーションゲームの大きな特徴は、ほぼすべてオリジナルで作られている、ということだ。

どこかのキャラクターや原作をベースに作られるのではない。

基本的にゼロからストーリー作りやキャラクター作りが行われる。

 書籍の取材では、たくさんのスタッフやユーザーに取材をしたが、社内でもユーザーでも印象的だったのは、「ゲーム」という認識がほとんどないことだった。

作られている、あるいは楽しんでいるのはゲームではなく、「ドラマ」であり「ストーリー」なのだ。

 しかも、もうひとつ大きかったのは、一緒に起業した津谷氏の夫人で副会長の東(津谷)奈々子氏の存在だ。

博報堂の同僚だった彼女は、もともとドラマ、映画、小説などの恋愛コンテンツが大好きだった。

シビアなユーザー目線で、シミュレーションゲームを評価していくことができたのだ。取材では、こんな発言があった。

 「女をバカにしたような恋愛コンテンツは絶対に作りたくなかった。

バーチャルに逃げるようなものではなく、リアルで、もっといえば人生哲学まで入ったもの。

“女って、どう生きるべきか”というところまで踏み込んだ、恋愛コンテンツを作りたかった」

 ゲームづくりをめぐって取材で私が強烈に感じたのは、ユーザーに無理をさせない、というスタンスだった。

 ゲームを販売する側からすれば、早くゲームをコンプリートしてもらって、次々にゲームを買ってもらったほうが儲(もう)かる。

しかし、ボルテージは、そういう発想をしないのだ。あえて時間制限を作り、なかなか前に進めないようにしている。

だから、ユーザーはゲームに疲弊しない。無理のない範囲で楽しめる。

長い時間をかけ、たくさんのゲームタイトルを楽しんでもらえる可能性が出てくる。これが継続成長の要因のひとつなのである。