1971年 別コミ3月号に「雪の子」掲載
 増山さんが親子喧嘩でガラスを割ってしまったと聞いて、萩尾さんが泣いてしまう
 増山さんを慰めたい思いで描いた実験作?として描いた雪の子だったが、増山さんに違うと言われて「やはり自分には少年愛は無理」と諦める(大泉本より)

1972年9月 ヨーロッパ旅行
 萩尾さん 予算30万円でと希望する(大泉本より)

 竹宮さん 予算70万円位?と見積もる
 増山さん 両親賛成。成人式費用を旅費にと親にねだり、不足分はアルバイトした 費用についての明記なし
(ジル本より)
 山岸さん 費用については明記なし

1972年11月 大泉解散、下井草に別居
 増山さんは竹宮さんと同居して仕事を手伝うようだとのみ記述(大泉本より)

 増山さんはピアノの練習をしなくなり、両親との喧嘩が激化していた
 増山さんの心のよりどころが「大泉サロン」だけだったのと、竹宮さんも増山さんが必要だったので解散後の同居を提案した(ジル本より)

ざっくり時系列をあげてみました。