>>912
903のインタビューの中でご本人も触れていたように
初期の竹宮さんの絵は石森先生の絵にそっくりだった
しかし、大島さんや萩尾さんが少女漫画の新しい波として台頭してきた時
竹宮さんは「流行というバスに乗る」ことを選んだように思います
具体的な対象は萩尾さんであり、指導者は、
大島さんや萩尾さんの漫画が好きな増山さんだったのでは?
大泉解散の真の原因を隠すために、編集をミスリードに誘ったとも考えられるのではないでしょうか

そう考える根拠をひとつ挙げます
「マンガの脚本概論」の中で竹宮さんは「トーマの心臓」の図版を
「少女マンガの効果線の特徴的な作品」として紹介しています(46p)
(以下引用)
>少女マンガはもともと、心情的変化は豊富ですが動きを主張することはほとんどありませんでした
>そのため動線における変化が見られず、代わりに効果線が動き以外のものに派生し、
>心理などの目に見えない「動き」を表すべくさまざまな形で使われてきました。
>その特徴的な作品が「トーマの心臓」です(図2−2−9)
>少女マンガには、心情を表すシーンが多いという特徴があります。
>上段のコマはとても抽象的な表現ですが、登場人物の「心の拒否」を示す心情的なシーンです。
>その下に並ぶ3個のコマの中にそれぞれ人物がおり、中央のコマは間白の中に描かれている。
>これは左右の2人の人物の脳裏に、中央の人物のイメージが浮かんでいるということです。
>右のコマの背景は「待機」を示し、左のコマの背景は主人公が去っていく際の動きとともに
>揺れ動く心情を表している、
>下段では、空気がキラキラと輝く様を描いています。
>目に見えない心情や空気感などを読者の中に誘導して共感させるため、
>文学が文字を通じて行ったことを少女マンガが同様に進めたために、
>これらの表現は「文学的表現」と呼ばれました。
(引用終了)

898でも書きましたが、竹宮さんは1982年には
「風木」発表がファラオから2年遅れてよかった
おかげで文学的に表現するグレードが上がった、と認めています
これが、萩尾さんの特徴的な「文学的表現」を自分もマスターしたという意味なら
「流行というバスから飛び降りた」のではなく「飛び乗った」のであり
指導者の増山さんを「運転手として占有した」という解釈も成立するのではないでしょうか