660番さま
私も拝見しました
資料を有難うございました
うがった見方をしてしまいますがこの部分は

>そして、「トーマの心臓」とほとんど同じ頃に私が描いた「風と木の詩」(図2−1−10)でも間白を利用しています

「トーマの心臓」の方が「風と木の詩」よりも、習作として皆に見せたのは早かった

ならばそれはやはり萩尾さんのマンガを真似たのでは?

661番さま
全文同意です
特にこの部分

>「私たち」という言葉を用い、あたかも良好な関係の中、一緒に新しい世界を作り上げたかの様に語っている

私からも資料を提供させて下さい
実は次のインタビュー記事も同じような切り口なのです

https://imgur.com/a/2Teptz7
1997年7月の「ダ・ヴィンチ」です
永井豪さんと竹宮恵子さんのインタビューが掲載されています
両者とも1ページのみですが、字はかなり小さいので読みづらいかもしれません

「萩尾さんと2人『少女マンガ版トキワ荘』をやろうと。『大泉サロン』と呼んでいたんですが」

と萩尾さんも当時から同意していたかのような発言ですよね
萩尾さんにとっては、出来れば大泉時代のことは忘れたい思い出
だけど竹宮さんにとっては、常に大泉時代の2年間を大切にな思い出にしている口ぶり
壊しておいて懐かしむなんて
なんか怖い