末次由紀『ちはやふる』313
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ちはやふるの太一は下衆当て馬
ヒーローには到底なれないゲス当て馬
犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け ちはやふるの太一は下衆当て馬
ヒーローには到底なれないゲス当て馬
犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 太一に入れ込んでる人のレスなんでこんな攻撃的なの?
他の人の意見を頭悪いとかバカとか読んでてすごい不快だし荒らし並みに嫌だわ
太一は素直じゃないというか
あーいう形でしか新とは向き合えないんだな
新はわざとじゃないにしろ太一の取りを自分の取りだと主張して通った事の罪悪感に苛まれそう >>383
逆でしょ
太一スレと新スレを覗いてみて
どっちが攻撃的かすぐ分るわ ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 負け犬太一の妄想笑えるわ
かるたも恋愛も負け確定してるのに ちはやふるの太一は下衆当て馬
ヒーローには到底なれないゲス当て馬
犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け クイーン戦は三戦目が運命戦、最後の札は『ちはやぶる』
『ちはやふる』のパクリ元の竹下けんじろう先生の『かるた』の主人公が太一なので
太一が優遇されて当たり前 ちはやふるの太一は下衆当て馬
ヒーローには到底なれないゲス当て馬
犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 卑怯と向き合うのは太一がするべきだろうに新が向き合っちゃうのか
別に卑怯なこと何もしてないのに ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 太一と互角な戦いするために新のメンタルブレブレにされてるな
こんな豆腐メンタルじゃないだろ ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け >>384
私もそう思う。
太一スレは純粋に太一を応援してる。
新スレはこことあまり変わらない。 ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 東西戦って挑戦者を決める試合だろ
もっとハイレベルな試合を期待してたんだが・・・ ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け >>408
挑戦者のまつげ君がそもそも器の小さい卑怯君だから
ハイレベルにもハイブロウにもなるわけないっしょ 太一は自分の卑怯さに向き合い続けてるよ
変わりたいとか色々言ってても結局太一の本質はそこだってことが賛否を呼んでるだけで
今回のも新が卑怯だってことじゃないと思うよ
太一の「もっと大きな流れ」って戦法?が卑怯さに向き合え云々みたいな変な流れを作ってて、
それに飲まれそうになってるだけだと思うな 負の感情で試合しないでほしい。
お互いを高めあうような熱い戦いがみたい。 ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け >>414
それは末次さんの自由だし
作者の表現したい方向性に意見するだけ無駄 負の感情との折り合いこそが末次さんが最も得意とする作風じゃないか
過去作品もほとんどそんな感じ
こどものおもちゃの作者と作風似てるね ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け >>413
えっ???どこで向き合ってんの??自分の悪行に対して全く謝罪もしてないのに 一見すると直木賞向けの作品描いてるようで、実は芥川賞向けの作品描いてるのが末次さん ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 強キャラsageしかできないのが末次
名人クイーン戦もしのぶがメンタル不調になったり
周防の目の病気が悪化してたり体力切れになったりするだろう ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 太一は卑怯を認めて開き直った感じ
卑怯者のまま終わるだろうね ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け でも次回新がメンタル不調になりそうななのは、
太一の作戦というよりも偶然だよな。
ビデオ撮ってた見物人の声が新に聞こえたのは偶然だし。 ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け >>420
向き合う事が反省できることとイコールだとは必ずしも言えないんじゃ?
事実、太一は向き合って開き直った感じ
向き合う→反省→謝罪を求めてるのは読者であって、新でも千早でもない
反省謝罪を伴う向き合い方じゃないから賛否が分かれるのが太一かと クイーン戦は三戦目が運命戦、最後の札は『ちはやぶる』
『ちはやふる』のパクリ元の竹下けんじろう先生の『かるた』の主人公が太一なので
太一が優遇されて当たり前 え???太一厨ってマジで太一はこのまま
のうのうと開き直ってりゃいいと思ってんのか… >>432
厨云々はさておき
開き直って読者に嫌われて終わるのが末次さんの描きたい太一の物語だっていうのならそれでいいんじゃない? >>372
そこは西郷永世名人をモデルにしてるんじゃないの
どちらの取り?となったとき揉めないで全部相手に譲っててそれでも勝つぐらい強かったそうだから ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け >>414
それは千早がやれるけど、新の場合正統派な試合は去年原田先生とやり切ってるからダークサイド方向に走ったほうがいいだろ ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け >>428
確かに見物人の声が聞こえたのは偶然
ただ太一がプレッシャーかけ続けた事で取り間違えたとすれば作戦の効果もあったのではとも思う ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け >>434
その名人は明らかに自分の取りのときも譲ったのだろうか?
どのみち名人になってから格を見せたいという横綱相撲でやる行為だと思うな ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け クイーン戦は三戦目が運命戦、最後の札は『ちはやぶる』
『ちはやふる』のパクリ元の竹下けんじろう先生の『かるた』の主人公が太一なので
太一が優遇されて当たり前 >>442
ネット中継の時に解説されてた協会の方が話してたのを聞いただけだけど
自分の取りでも相手に言われたらどうぞて感じだったみたい ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 新はクリーンな取り、クリーンな自分に拘りがあるんだから揉めるみたいないつも通りと全然違うことしたら調子崩すの当たり前
千早には「クリーンじゃなかったら俺の取りやない」と譲ったんだから、太一に揉められたら全部譲ればよかったんじゃないかな?
揉める隙を与えないくらい太一より速く取ればいいだけ
それが新の目指してる名人の在り方じゃないの? だからこれでメンタル不調になるなら新の自業自得
クリーン過ぎることを自分に課したせいで足枷になった
これが原田先生だったらこんなことでメンタル不調になったりしない 例えば周防みたいな圧倒的強者が自らにクリーンを課したとしたら、それは自分を高める為だと理解されるし称賛される
今のところ敵なしだから
でも新の場合はまだ高みを目指す途中で名人になるには倒さなきゃならない自分より強者が存在してる(周防とか)
自分より格上が存在するのに自分にクリーンを課すなんてハンデをわざわざ背負い込むようなもので不利
そこを今回作者が突いてきている
勝利に拘らなければクリーンを貫いて散るという選択もあるが、新は勝利に拘ってる
勝利>>>>>クリーン
なのが本心であると今回示されてる
なので新が取るべき選択はどちらかひとつ
@勝利(名人になること)に拘り、クリーンを課すことをやめる、目指すべき名人象の修正
Aクリーンな名人になることを至上命題とし、クリーンな試合をしても圧倒的な強さで勝利できるよう技術を磨く
@を選べば新は高校生名人の座につき、Aを選べば名人への道のりは遠くなる(周防曰く次じゃない)
どちらも間違いじゃないと思うけど、これが末次さんが新に出した宿題だろう
勝利(実益)か美学か?これは読者も好みが別れそう
永世名人(周防)相手にクリーン(美学)守って勝つなんて考えが甘いよ?傲慢だよ?と宿題が言っている
これは読者にも問いかけてるのかも
新に何を求めるのか?名人になることか?美学を守ることか?
両方は許されない
壁(周防)が君臨してる限りは ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け クイーン戦は三戦目が運命戦、最後の札は『ちはやぶる』
『ちはやふる』のパクリ元の竹下けんじろう先生の『かるた』の主人公が太一なので
太一が優遇されて当たり前 ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け >>454
なんで卑怯者がそのままで、新だけそんな高いハードル課されなきゃならないんだ。
バトル漫画しか読まない層が、やたら深掘りして「戦うとか?勝利とは?」みたいな哲学的意味を求めてる感じ。こんなグダグダなのに、そんな高尚なものがテーマの漫画とも、描ける作家とも思わない。 ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け >>454
新が36巻、太一に対する回想で、「卑怯さを見せてくれたやつ」「気持ちが分かる」と言っていたから、心のどこかで自分に足りないものを新は自覚してるんだろう。
おじいちゃん譲りのもめない姿勢を新は受け継いでいるけど、太一の卑怯者になってまで何かが欲しい、というような泥臭い執念のような部分が、自分には欠けていると、無意識に思っているような気がする。
自分に求める理想像、もしくはおじいちゃんに見ていた自分の理想像を守りがちな新が、太一との対決を通して、変わろうとしているのかも。ルールを守った上での卑怯さ、ずるさも時には必要なのではと。(それを考えると、新は太一をライバルと既に認めているんだな)
新のおじいちゃんも、ずるいところがあったはず。理想像から少し自由になって、少しずるかったり、意地悪だったり、そういう部分が自分の中にあることを認めることが、人として成長するということかもしれない。 ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 新はもっと早くに掘り下げとくべきだったのを太一都合でなあなあにしてたから
最後の段階で今更あれやこれやはじめても手遅れ ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 末次さんが太一に課しているものと新に課しているものは種類がちがう
太一に課してきたのは「自分の中の弱さとどう向き合うか?」でこれをずっとやってきた
今はそれが一段落つき、東西戦で太一の役割は狂言回しに徹している
この東西戦からが新のテーマ「理想の自分とどう向き合うか」だと推測している
新に課されているハードルがなぜ他より高くて高尚なのか
それは新自身が自分に高いハードルを課していたからに他ならない
理想の自分(なりたい自分)はありし日の祖父の姿そのものだろう
それをずっと追ってきた新、今改めて自分と向き合うことは避けられないテーマ
自分は確かに哲学的にちはやふるを見ている部分はある
そういうセリフが作中で多いからね
千早にも別のハードルが用意されてるはず
おそらく新のテーマが一段落してからになるとは思う ちはやふるの太一は下衆当て馬
ヒーローには到底なれないゲス当て馬
犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け ちはやふるの太一は下衆当て馬
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犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け ここへ来てちはやが新に告白の返事とも取れるような応援伝えて
新が覚醒するような展開だったら嫌すぎる 新のクリーンってのをもう一度仔細にみて理解する必要があるね
実際、彼の「クリーンな取り」という曖昧で耳触りよさげな言葉の裏に、傲慢と冒涜が含まれているという事実を
まず、自分の取りってわかってるに相手に譲るのは、本質的に相手を貶めてることになっている気がつこうよ
これ、普通に倫理的に考えてマジで良くない行為、全然、立派なことじゃない
しかも彼は揉めないコトを一貫させず、相手によってはモメてるから倍率ドン!で「傲慢と自己満」が跳ね上がる
新の「クリーン」ってのは、本来ゲームに向き合う態度である「公平(フェア)」とは違うんだよ
自分が揉めない、自分の手は汚してないから「クリーンでしょ?」って言ってるだけで、実際はそのゲームと相手を汚し、冒涜してるんだよね
これは卑怯というか、卑劣なこと
それは仮に名人であっても同じだ
ただ、横綱相撲の様に名人としてのの格を見せつける、その場合にはアリかもしれない
名人というプライドと傲慢を自覚し、それを示しつつね
また、モメるリズムを嫌うならそれもアリなんだろう
その場合、本人はそこをあえて「クリーン」なんて言わないし、思うこともないだろう
むしろ自分のために、余計なことすんなやと相手を牽制したい場合にはワザと「クリーン」を強調してみせる使い方が有効ってもの
綿谷名人が使っていたならこういう使い方かな?
結局、新のクリーンは借り物のモノマネだから「傲慢と自己満と冒涜」という「我欲にまみれた醜いクリーン」なんだよな
実にいやらしい、相手を対等にみることがなく、まともに友達もいない人間のワガママでうすっぺらなハリボテの正義と言えるね ちはやふるの太一は下衆当て馬
ヒーローには到底なれないゲス当て馬
犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 新のじーちゃんの試合が見たい
そこに答えが全部あるんだろ >>471
あの…そこまで言わなくても…
自分はそこまでは思ってないよ
ただ末次さんは3人にそれぞれ違うテーマを課してると思うだけで >>473
新のお父さんはなんでかるたやってないんだろうね
なのに息子のかるたの試合には応援にきた(そりゃ息子可愛さなのはわかる)
鍵を握ってるのは新のお父さんなのかなーわからないけど ちはやふるの太一は下衆当て馬
ヒーローには到底なれないゲス当て馬
犯罪者太一と犯罪者脳の太一信者は地獄に逝け 綿谷名人がクリーンを標榜していたなら、どういう意図だったのかは気になるところだね
大人ってズルさも知りつつ、タテマエの大事さと尊厳、またその両方の必要性とバランス感覚、そしてリスペクトもわかっている
それが生きるってことだからね
けど、こと子供に向けたときはズルさを置き去りに綺麗事なタテマエというハリボテだけを示してしまう
それって、ズルさや許しのバランスは人間関係の中で本人が惑ってつかみ取っていく中でしか理解し、得ることが出来ないからなんだよね
でも、そのハリボテだけで構成された「表面としてのいい子ちゃん」を過度にほめたたえありがたがる人間もいるんだよね
一見、それって素晴らしいように見えるけど、そういうの大人に都合のいいだけで色々抜け落ちてる
そういう子供が、綺麗事を担保に自己の正義を振りかざしたり、クリティカルに残酷なことや、私刑としての罰を社会の代弁として正統化したりする、
そしてそれがどういうことなのか理解できないちょっとこまった振る舞いをする、そんな歪んだ人間にしか成長できない場合もあるってのは、普通に生きていれば覚えがあるはず (ここにもその典型がいるね)
そんで、新もまたそういうハリボテ(お爺ちゃんから与えられたいい子の世界だけで生きてきた人間)であるってのは多分、事実なんだよね
その歪は実際ブサイクなんだよ
「いい子ちゃん」に乗っかってる人はわからないんだろうけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています