「まず、1枚目のアルバムを作ったときからあるスペースを僕に預けるようなやり方をしました。
彼女が面倒くさがりというのもあったんですが、それがどんどんエスカレートしたと思ってもらえればいいのかな。
預けられる部分っていうのは、曲や詞だったり。サウンドとかは全面的に任されているわけだけど、
結局、それがプロデュースになったということですね」

      2017年4月27日 西日本新聞  松任谷正隆インタビューより