>>204

それはある意味その通りだと、アタシも思うわ。

日本時代に建てられた工場をそのまま接収できた事に加えて、
金主席は農地改革の断行で、たとえ形だけでも農民に公務員の
地位を与えたり、経済復興を進める上で南より優位に立っていた
のは事実だし。

60年の時点ではGDPが南と同じで人口は半分だったから、1人
当たりだとその時点で南の倍はあった事になるわね。

70年代に入るまでは他の共産国同様、毎年高い経済成長が
続いていて、初代の李承晩政権が経済で出だしから大きく道を
踏み外していた所に戦争も重なってマイナス成長が続いていた
当時の南はむしろ取り残される側ですらあったんじゃないかしら?

共産圏の経済指標は嘘ばかりと言われて久しいけど、実際に経済が
伸びてる時期にわざわざ嘘をつく必要もなかったろうし、少なくとも陰りが
出始める70年までは完全とは言えないにせよ、実情をある程度は反映
した数値が公表されていたと思うのよ。

ただ、例えば穀物の生産高の場合、それまでは「○○万トン」だったのが
「前年比○○%増」とか「○○年の○倍」に途中から言い回しが変わってる
からその頃辺りから徐々に問題は出ていたんでしょうね。