昭和50年代に小学生だったんだけど、担任のオールドミス女教師が常日頃からヒステリックで、毎日生徒にストレス発散よ。

あたしは父が職人だったんだけど身体を壊して長期入院していたのよ。
ある日その女教師が給食費の封筒を配りながら、クラスから5,6人名指して教壇前に並ばせたの。あたしも入っていたわ。

「みなさん、この人達は 家庭が貧しかったり片親だったり、 色々な事情で給食費が払えない生徒ですので、免除(給食費が無料か安くなるかの)の封筒を配ります。
親御さんからハンコを貰ってきてください。ハンコ位はきちんと貰ってきてね、それくらいは出来るでしょ?」

て、言いながら薄笑いして蔑んだ目で並んだあたしたちに封筒を配ったのよ。
あたしの他には片親の子や 何か事情がありそうな子供達よ。

これ以外にも、魚屋の息子には「 毎日魚が食べられてうらやましいわね。ワタシはお肉が好きだから 毎日お魚は嫌だけど。」
「親御さんが大学出だから(当時は親の職業や学歴を書いて提出していた) やっぱり遺伝で頭が良いのね、○○さんと××君と△△さんと、、、」
「あなたのお家は大工さんだから、高校にいく必要はないから 勉強しなくてもいいものね。だからこんな点数でも叱らないわ。」

みたいに、毎日こんな感じよ。お茶の水女子出が自慢らしく、「ワタシはお茶の水女子だけど」って 枕詞のように しょっちゅう言っていたわ。

10歳の子供からしたら、そんな意地悪な教師の行動は 50近い今でもはっきりと心の傷よ。当時は教師は絶対だったし、自分や親をバカにされた事は、子供なりのプライドで飲み込んで耐えるしかなかったわ。

成人式の時に、久々に当時のクラスメイトと逢ったけど、皆の話題は そのお茶の水女子出の女教師からされた意地悪よ。
もう、どの生徒も3,4年生の二年間、あの女教師からされた 意地悪や暴言しか思い出がないって。

ある女の子は 何かを忘れ物したらしく、 教師から 放課後に話があるから残りなさいって言われたらしいの。
教室で座っていたけど待てど暮らせど来なくて外は真っ暗。
親が心配して探し周り、学校に電話して暗くなった教室に居るのを発見されたらしいの。
でもその女教師は既に帰宅していて、最後まで教室に待機させた事を認めないでうやむやに。通知書には 「虚言癖があり 人の話を聞かない」て書かれたそうよ。

親が議員やPTA、私立中学に行くような優秀な生徒たちは あからさまな贔屓をされていたから「あの先生、そうだったの?」だなんて言っていたけど。

もう顔を合わせないで40年近くなるけど、ただ一人よ、この世から居なくなって欲しいとずっと願い続けてる人は。