30年前のクイーンはたぶん経歴の絶頂だったのよ....


1986年、アルバム『カインド・オブ・マジック』を発表し、
イギリスを中心に世界中で大ヒットを記録。

またアルバム発表後の「マジック・ツアー」では、
ヨーロッパ諸国の全26公演で200万人以上の観客を動員。

中でもウェンブリー・スタジアムで行われたコンサートは
2日間で15万人の観客動員を記録し、8月9日にはイギリスの
ネブワースパークで観客30万人を記録。ツアーは大成功を収めた。

しかし、マーキュリーの容態の悪化に伴い、クイーンの
4人が揃ってツアーを行ったのは、これが最後となった。

「マジック・ツアー」の成功以来、メンバーは各自ソロ活動を行っていたが、
1988年1月にはスタジオに再集結し、アルバムの制作を開始。

1989年5月に、約2年ぶりのアルバム『ザ・ミラクル』を発表。
先行シングル「アイ・ウォント・イット・オール」共々、本国イギリスや
ヨーロッパ各国でビッグ・ヒットを記録し、人気が健在であることを証明。

しかし、アルバムにともなうツアーについては、マーキュリーはあっさり否定。
一方以前からマーキュリーには「エイズに感染しているのではないか」
との噂が飛び交っていたが、当時本人はこれを否定し続けていた。

実際にはマーキュリーがエイズに感染していることは1987年頃に判明した
といわれているが、その真相は長年ベールに包まれていた。


モンセラート・カバリェはスペインを代表するオペラ歌手で、
フレディが彼女のファンだった。
1988年、フレディの熱烈なアプローチにより、
フレディのソロ・アルバム『バルセロナ』で完全共演を果たした。
1992年のバルセロナオリンピックのオープニングで2人が
楽曲「バルセロナ」デュエットする予定だったが、
前年にフレディが急死したため、ホセ・カレーラスが代役を務めた。
(ウィキペディアより)