★80年代女性アイドル175★
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※前スレ
★80年代女性アイドル174★
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1523545009/
VIPQ2_EXTDAT: default:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >>320
>>317さんは>>1を理解した上での書き込みだと思うわよ >>331
それゃいくら金持ちでも離婚するわよ。
パンツパンツ周りから言われたんでしょうね。笑 >>326
この動画主、人の動画ばかりぱくってUPしてるわね
ムカつくわ 荻野目さんのNONSTOP DANCERやジャングル・ダンスは入るのかしら? 堀ちえみと早見優はクラスメイトだったけど実はそれ程仲良いわけでも
ないのよね。 普通に合わないそう。優は渡辺めぐみみたいなモデルっぽい子の方が仲良くなれそう。
優ってアンルイスとかとも仲良かったでしょ。まさかパニック障害になって人前に
出れなくなるまで病むなんてね >>341
ここに明菜今日子寛子あたりを
入れるとしたらどんな感じかしら >>340
FNS歌謡祭で六本木心中だかをみんなで歌ってる時に
明菜や秀美にはマイク向けても早見はガン無視だったわよアンルイスw アンは「六本木心中」歌詞が古臭い(談)とかでキライだったのよね
同じ作家陣だけど黒歴史みたいな存在の次作「ピンクダイヤモンド」の方が好きで
なのにwikiには書かれてないけど「トライアングルブルー」のEDで人気が出て
「ピンクダイヤモンド」発売後に「六本木」の数字が大きく動きだしちゃって
結局同じ路線の「ああ無情」が次作みたいに扱われてお気の毒
CMで「卑猥」が引っかかって「素敵」に変更したバージョンは未発売よね? >>339
逆に犬猿でしょうね。優はちえみを見下してるとこあるし。伊代とちえみが昔から良好だからってだけの関係よね、優とちえみは。 秋絵って何であんな早々にソロデビューできたのかと思ったけど
オタの保護欲をそそる顔なのかも。 伊代とちえみはパリン子学園からの付き合いよね。
でもふたりともキョンとは付き合いないのね。 >>348
だってスケバン刑事2の放送に合わせて発売しなきゃ
正直に新田の後とかに出してたらタイアップ効果なくなるわよ
フジテレビだってソニー勢よりキャニオン〜フォーライフ勢を優先したいし キョンとちえみの仲良しアピールも凄かったわね。秀美と優が仲良しって
意外というか性格が全然違いそうなのに。 小泉さんは人脈作りで今の地位があるのよ
ちえみとつるんでても何も得られるものはないもの… >>350
そぉ?伊代と今日子はベタベタ友達付き合いはしないにしても相性悪くない感じにみえるわ。
レコード会社も同じ、二人とも筒美先生に気に入られてたわね〜 どーでもいいわ。
82年組の、しかも40年近く昔の交遊録なんて…。 >>354
同じレコード会社からの同年度デビューだからこそ伊代と今日子は複雑な関係だったと思うわよ >>354
350は今にいたるまでの付き合いについて書いたんだけど。
仲悪いとは書いてないけど。 松田聖子デビュー秘話@
1978年4月、ミス・セブンティーンコンテスト(集英社・CBSソニー共催)の
九州地区大会で桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を歌い優勝。
しかし、両親の猛反対で全国大会は辞退することに。
しかし、CBSソニー制作部の若松宗雄プロデューサーがその歌を聴いて
「売れる声だ」と確信しスカウト。聖子と連絡を取り続け、東京でプロモーションを
始めていたが、ナベプロには「スタイルがよくない」との理由で却下され、
サンミュージックは数社目に訪れた事務所だった。
九州の実家まで直々に親を説得に行ったという“立役者”の一人で
サンミュージク元専務の福田時雄名誉顧問(86)が振り返る。
「聖子と初めて会ったのは79年の5月。四谷4丁目の事務所の一室です。
九州の私立高校の3年生で、制服を着てひとりでやってきました。
見た目の第一印象は、清楚なお嬢さんといった感じで、ここまで
ビッグスターになるとは正直、思いもしなかったんです」
「うちでは翌年2月に別の女性歌手(中山圭子)を同じCBSソニーから
CMとタイアップして売り出す予定があり、断るつもりでした。
でも、聖子が持参してきた山口百恵や岩崎宏美のカラオケテープに合わせて
歌ったとたん、(創業者の故・)相澤秀禎も私も釘付け。伸びやかないい声で。
それで、うちで預かりましょうということになったのですが、高校を卒業してから
上京しなさいと話したんです。そして、すぐにCBSソニーの若松さんと
久留米の家へ説得に行きました」
応接間に通された福田氏は、そのときの“家庭の様子”が忘れられないという。
「応接間のソファに私とお父さんが向き合って座り、音楽の才能のこと、
相澤の家に下宿させて見守るということを話したのですが、そのときに聖子が
紅茶をトレーに載せて持ってきてくれました。高校生ながらお茶を出す姿が
板について、すごくよかったんです(笑)。きちんとしつけられた娘さんだなと」
聖子は紅茶を配り終えると、応接間に続く縁側(板の間)に、トレーを持ったまま
ピシッと背筋を伸ばして正座して、そのまま微動だにしなかったという。
「お父さんがいいと言うまで動きませんという表情で、芯の強さを感じましたね(笑)。
この家でいい教育を受けたのだということも実感しました。桜田淳子などもそうでしたが、
芸能界で成功するには運、才能のほかに、家庭の雰囲気も大きな要素だと思っています。
それまでにも何人もスカウトして自宅に行きましたが、“この子がいなくなったら
平和になる”というように親との関係が悪かったり、アポをとって訪ねたのに親が
泥酔しているような家庭環境ではデビューしても大成はしていません」 松田聖子デビュー秘話A
父の理解を得た聖子は、九州の高校の卒業を待たず、1979年に堀越高校に
転校し、夏休みに上京してきた。
「一刻も早く歌手になりたい」という本人の希望からだったようだが、この決断が
すべての運を開いた、と振り返る福田氏。
「その年の11月に始まる日本テレビ『おだいじに』というドラマで(事務所所属の)
太川陽介の相手役に応募したらポンと受かって。それで聖子は歌手より先に
女優でデビューしたんです。そして、ドラマの役名も芸名と同じ松田聖子にして
もらったのです」
そのドラマ出演中に洗顔料「エクボ」のCMモデルのオーディションを受けたが、
“エクボができない”ために出演は見送られた。だが声が認められてCMソングを
歌ったところ話題になり、当初の曲のタイトル「エクボの季節」を「裸足の季節」と
変えて、80年4月、この曲でデビューを飾った。
「その前月に山口百恵が引退発表をしたこともあり、いきなり聖子がポスト百恵として
注目されたんです。じつはうちで賭けていたもうひとりの新人のCMタイアップが
直前に頓挫してプロモーションがうまくいかず、そんなタイミングが余計に聖子への
追い風となったのです。しかし、その運は聖子自身が掴んだものです。
もし我々の言葉に従って久留米で高校を卒業してから上京していたら、
タイミングを逃していたでしょう」
2曲目の「青い珊瑚礁」が大ヒット。そこからの快進撃は止まらなかった。
3曲目の「風は秋色」で初のオリコン1位を獲得。その年の紅白歌合戦にも初出場。
以降、1988年まで24曲連続シングル1位の偉業を成し遂げ、ビックスターへの
階段を駆け登っていったのであった。
「大ブームになった聖子ちゃんカットは、気付けば全国の女の子が髪形をまねて、
その後に出たアイドルも皆、聖子とそっくりな髪形でしたね」
聖子はデビュー前の“約束どおり”社長の相澤氏の家に一緒に住んだが、
そこに大勢のファンが押し寄せたという。
「都内にある相澤の家の周囲は休日ともなると人がいっぱい。でもいちばん迷惑を
こうむったのは司葉子さんの家なんです。ご主人(相澤英之氏)は衆議院議員でしたが、
同じ“相澤”の表札を見てファンが間違えてそちらに押しかけてしまったんです」
2013年、相澤氏がすい臓がんで死去した際、娘の神田沙也加を連れ、通夜に
駆けつけた聖子。その後の14、15年も2年連続で紅白歌合戦の“大トリ”を務め、
娘の沙也加と共演を果たすなど名実ともに芸能界の“伝説”となった。福田氏は言う。
「聖子のことは相澤も特段可愛がっていました。今までの活躍ぶりをきっと天国で
喜んで見守っていることと思います」 >>360
「1+1=2」「This is a pen」とかと同じレベルよね
「ハイヌーンは熱く」の話は面倒くさくて端折ったんでしょうね
ナベプロに拾われてたらSMSレコードから
都倉さん加瀬さんあたりのデビュー曲歌ってそう
4曲くらいで契約終了、次の年にはGOROでヌードって感じ >>357
相性悪くない感じにアタシは思えるから、書いただけよ?!
別にアナタの意見を否定とかしてないからー 何でマンコって誰々と誰々が仲が良かった悪かったって話が好きなのかしら >>363
ナベプロが聖子を欲しがったとしても、父親の頑固な反対でめんどくさくなって諦めると思うわ。 >>358
アポありなのに親が泥酔してたサンミュ所属タレントって誰よ? >>368
結局その人はデビューできなかったんじゃない? 聖子のデビューまでの記事で
それまでにも何人もスカウトして自宅に行きましたがって書いてあるんだから聖子より前って事でしょ。
どんだけ読解力ないのかしら。 >>356
新参かしら?キョンは結婚するなら伊代としたいって言うほどよ。優は、生まれかわったら今日子ちゃんになりたいって言うほどよ。何度目よこの話w 生まれ変わってなりたい物は?
よしえさん「カップ」
優「今日子ちゃん」
聖子「一緒」 なんか小泉今日子ってあざといのよ。川島恵の歌が好きとか、たいして
仲良しじゃなかったのに三田寛子のはんなりした所憧れてたとか。
それに全く不倫影響ないってどうゆう事。 中山圭子はサンミュにクビになったババアよね。下敷きになって死んだのね。 BOMBのCD買って高橋美枝の曲も好きって言ってたわ
そういえば薫子とも雑誌に出てたわね 中山圭子ってアイドルというより
杉田愛子とか松下葉子とかの路線よね
売れるわけないのに何でサンミュはあの路線続けたのかしら キョンキョン高橋美枝のひとりぼっちが嫌いが好きって言ってたわ 中山圭子なんてババくさいのにアイドルで売れるわけないのに。あの世で聖子を恨んでそうね。 >>383
聖子というより自分の不運を恨んでたわ
なんでわたしだけって相当悔やんでた
でも芸能界入りに対する意志や根性が聖子とじゃ比べものにならないわ 中山圭子のデビュー曲が挫折したCMソングに使用されてもヒットしなかったと
思う。70年代じゃ無いんだからパパとか気持ち悪いわ。それに
デブ過ぎよ。 聖子と同期だった甲斐智枝美はヌードになり、聖子の順調ぶりにどんな心境だったのかしら? 声優やうたのおねえさんにシフトしてればまた違ったでしょうね。 >>382
キョンキョンってデビュー当時のインタビューでは
私の16才を「とても乙女チックで可愛い曲」って語ってたのに売れ始めたら「初めてこれが自分のデビュー曲だと、聴いた時はショックだった。しかもカヴァーでこんな演歌みたいな曲歌いたくなかった。だから
明菜ちゃんの洗練されたスローモーションや優ちゃんの夏色のナンシーとか羨ましかった」ってブーたれてたのよねw
売れ始めた後にそれまで猫好きアピールしてたのに明星の好きな動物アンケートでは「亀が好き。犬や猫なんかよりずっと面白いでしょ」とか個性派アピールしてたわ? >>385
ティモテよねw
あの金髪ロン毛の美女が川で長い髪を洗う姿がすごくマッチしてたから今でも印象に残ってるわ。
あれが中山圭子のパパが私を愛してるだったら
すごく違和感あるわよねw
ロバート秋山のくせに綺麗ぶったタイトルつけてからに。 >>389 それに比べてエクボのCMはインパクト大だったわね。大量スポット。
山田由紀子のエクボも良かったわ。逆に彼女はこのCMで燃焼って感じで
歌もドラマも失敗に終わったわね。 >>390
山田由紀子その後はレッドビッキーズの監督役でスマッシュブレイクしたわよ
あたし小2の頃撮影所が近所でよく遭遇したわ
子役のミルクとトロケンが好きだったの
あと塾ね ロバート秋山似の中山圭子さん、あの曲はどうやっても無理だったわよ。
何の引っ掛かりもないもの。 そもそも中山圭子って本当に売り出すつもりあったのかしら
曲もどう考えても売れそうもないし
聖子のサクセスストーリー作りのための当て馬にされただけにも思えるわ >>397
そこでですよ。
このスレ伝統の「中山圭子は実在しなかった」説。 >>388
デビューするときに自分のデビュー曲の悪口なんて内心で思ってたとしても
とてもマスコミに向かってそんなこと言えないでしょw
それと、内心で「私の16才」を嫌ってたのも理解できるわ。
だって、82年組で他のそこそこ売れた子のデビュー曲って
みんなそれなりにキャッチーで洗練されてたもの。
「私の16才」みたいな曲であそこまで売れたのは今日子ならではって感じするわ。
まあ、あれって今日子が歌ったから余計に駄曲になったんであって
私はあとで森まどかバージョンを聞いたときに
「あら、意外といい曲じゃないの!」って驚いたけど。 ポップコーンってサンミュージックよね?
あのダサさを考えれば中山圭子推しも理解できるわ。
あと79年頃って「ニューファミリー」ブームが来る!みたいな流れがあって、
雑誌とかで煽ってたけど、結局全然盛り上がらなかったのよね
ファミリー路線の曲は、そのブームに乗るつもりだったのよ 去年の秋頃にちえみのブログで今日子と久しぶりに
話をしたって書いてあって何だか嬉しかった〜 中山圭子ってソニーとサンミュークビになって、堀越学園退学させられるってかなりみじめよね。下敷きになって亡くなるのが圭子ストーリー 聖子が売れたのはやっぱり楽曲の良さ、声の良さ、
健康で周りを明るくするオーラ、礼儀正しさ、勘の良さ、
トークの上手さ…
いろんな要素が80年代の明るい時代に合ってたんだと思うわ。
若松さんのセンスの良さにも助けられてるし 中山圭子はイマジーナみたいな曲をもっと可愛い歌詞に治して
デビューさせてれば、もっと売れたと思うの。
何であんな曲デビュー曲にしたんだろ。 >>407
「佐竹明夫の娘」をアピールする目的と、シャンプーの話が本当なら
みんなで歌えるファミリーフォークっぽい方向性じゃない?
まぁ中山千夏すら知らない人がいるみたいだから
佐竹明夫が何者かとは持ってくだけ無駄だわなとか思うけど >>407
デビュー曲、なんかコロムビアぽいのよね。
同時期デビューの比企理恵の地味版みたい。 圭子の声には良美の涼風みたいな曲が合うわ
それか、ユーミンにでも曲書いて貰ってたら話題にもなったのに。 >>410
土居裕子はあの自叙伝?読んでるのかしら
確かに気は強そうなマンコよね
アイドルとしてデビューしてればさぞ面白かったのに デビューした年の聖子のベストテンのトークとか見ると
怖いくらい後ろ向きな発言がないのよね
徹子に「青い珊瑚礁が2位まで来ましたが、ここまで来たら
来週は1位になりたいんじゃありません?」って聞かれて
迷いもなく「1位になりたいです。私も努力しますので
ファンの皆さんよろしくお願いします」ってほんと素直なのよね
聖子ってやっぱり天才だと思ったのは
デビュー当日のズームインに出たときに
徳光のボケに即座にひとりズッコケ披露したことよ。
この物怖じしない性格すごい。
1980年4月1日 デビュー当日の早朝営業活動
https://www.youtube.com/watch?v=yjyBvNCGa6s >>414
これズームイン朝よね?!
覚えてるわ、実際に見てたの 中山圭子さんって今癌闘病中で後5年しか寿命がないっていわれてるんでしょ。
そんな闘病中の方を叩くのは人間性を疑うわ。
50歳超えて何いってんだか。松田聖子ヲタって根性悪いわね。 中山圭子のその後の人生見ると、
不運な人っているんだなって思ったわ
運動会で聖子の後頭部に足が当たった時点で
持ってない子なのよ。79年7月に転入手続きした
聖子の決断が圭子の人生変えてしまったの。。 >>414
初々しくて清涼感あって可愛いわね聖子
あたし隣にいるガキくらいの年齢だったわ
新小学1年生の頃よ >>414
聖子「私は嘘つきません」
徳光「これがだいたい嘘じゃないかななんて思うんでございます」
↑
和夫初対面で聖子の本質見抜いてるじゃないw >>421
聖子のデビュー日にはまだ奈保子はデビューしてないわよ。
確か石野真子のファンだったのよね、徳光。 真子も郁恵も聖子と奈保子が出たことでアイドルとしての役目終えたのよ 真子、郁恵、80年になっても70年代そのままの雰囲気だったもの。 >>417
亡くなったら聖子は葬式来んのかしらね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています