MY IDOLOGY ☆☆☆桜田淳子☆☆☆
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1973年2月25日に「天使も夢みる」で歌手デビューした桜田淳子(59)が、デビュー45周年の記念日にあたる25日に
ニューアルバム「マイ・アイドロジー」を発売することが7日、分かった。
同アルバムには、桜田自身が作詞・作曲(作曲は劉哲志との共作)を手がけた新曲「ありがとうのかわりに」(「プロローグ」篇と「エピローグ」篇の2トラック)のほか、
代表曲「サンタモニカの風」(オリジナルバージョンは79年発売)、「リップスティック」(同78年)、「しあわせ芝居」(同77年)、「化粧」(同81年)の
新録バージョンも収録。さらに、08年に樋口了一がヒットさせた「手紙〜親愛なる子供たちへ〜」の詩を秋田弁と標準語で朗読した音源も収録される。
桜田が新曲を発表するのは83年9月21日にリリースされたアルバム「ナチュラリー」以来、35年ぶり。
作詞はアルバム曲「Show Me〜心の扉を開けて〜」(81年11月)以来、36年ぶり。作曲は初めてとなる。
今回のアルバムは「桜田淳子プロジェクト」のHP(www.junkosakurada.com)での限定販売となる。
また、27日、東京・銀座博品館劇場で開催されるプレミアム・イベント「桜田淳子“マイ・アイドロジー”スペシャル〜ありがとうのかわりに」の
チケット優先購入予約用のシリアル・ナンバーも封入される。
会場の博品館劇場は、かつて桜田のコンサートが開催されたほか、ヒロインを演じたミュージカルが上演されたこともある思い出の地。
近年もデビュー40周年イベント「Thanks40スペシャル〜ファン感謝DAY」(2013年11月)や、
ゲスト出演した「スクリーン・ミュージックの宴」(2017年4月)の会場となっており、ファンにとっても思い入れのある場所だ。
今回のアルバム・リリースについて、桜田は「私にとって、35年ぶりのニューアルバム。
作詞・作曲もし、レコーディング前夜は興奮してなかなか寝付けませんでした。でも、今はイメージ通りのものを作ることができたという幸福感に包まれています。
45年間、桜田淳子を見守ってきてくださった皆様へ―ありがとうのかわりに、あなたに贈ります!」とコメントしている。 「美しい夏」紅白の時のみずえのボンボンの方がテキトーだわ。淳子とみずえって仲悪かったのねって思ってるわ。 世の中的には80年代がアイドル全盛期って
言われているけど
気まぐれヴィーナスあたりが
本当のアイドル全盛期よね
ピンクもキャンも加えて
裕美もいたしみんなヒットしてたわ >>851
全然不細工とは思わないわよ 踊りはアレだけど
なにより背筋の張り具合はあの中で一番だわ
淳子のヘアスタイルがいまいち暑苦しいのが残念 >>855
コアなオタクの集まりみたいなのでなく一般のファンが集まるようなコンサートして欲しいわ。
ビルーボードライブとかJZbratにして敷居を高くするのもありかも。 >>854
アイドル全盛期というと、たのきん・聖子以降で1982年83年あたりかなって思うわよ
ただ、その77年ごろって歌謡界として物凄く活気のある良い時期だと思うの
五木や八代なんかがヒット連発、ジュリーも布施も元気、
そして新御三家・中三トリオ、宏美も裕美もキャンもピンクも絶好調。 >>858
オシャレして音楽でも聴きに行こうかって層へのアピールよ。
格差社会でその層の広がりも大きいわ。 普通のカムバックとはわけが違うからそんなに勿体ぶった活動は無理よ
イオンやアピタでサイン会ってところからでいいわ >>861
それが現実的だし
ゼロからのスタート的でいいかもね >>859
私は80年かしら。
聖子を始めとする80年組の登場は革命だったわね。
百恵は絶頂で引退の年。
淳子や宏美は息の長いところを見せ、
郁恵や真子はトップアイドルの座を奪われまいと必死に。
ピンク・レディーもまだ現役。
まり子、ひとみ、なお美、知佳、浅野ゆう子ら70年代からの生き残りはまだまだブレイクのチャンスをうかがっていたし。
新旧入り乱れて咲き狂った、アイドル乱れ咲きの年よ。
淳子はいろんな曲調に挑戦して迷走・・いえ、歌手としての幅を広げていった時期ね。 >>849
全員同学年よね
淳子が圧倒的に華があるわ!
やっぱりあたしは淳子が一番なの! >>864
禿同。 一番可愛くて華やかね☆
淳子は周りの期待に応えるように、アイドルを演じ楽しんでたって感じね アイドルとしての自覚があって
それに対する責任感を持って、努力も勿論怠らない。
淳子、大好きよ >>868
きゃーなんて素敵な世界なのかしらw
時期的衣装的に「追いかけてヨコハマ」「乙女座宮」のころね
何がすごいってこの次に各々「リップスティック」「プレイバックpart2」が発売控えてるって事よ ナオコ、ルミ子、淳子って演技力あるものね。
昌子や芳恵さんだって2時間ドラマで主演してたけど
よかったわよ。昌子のOLやってたのまた再放送で見たいわ >>849
淳子、ほんとに華があるわね
もう、かわいい〜〜〜
ところで宏美はこういうとききちんと教えられたとおりにできるのよ
他の人と違うことしても、それはほかの人が間違えているんだと思っちゃう あたし淳子より百恵の方が美人だと思うんだけど。
淳子は売れなくなってから80年代前半の方が綺麗よ 芸能史に残る伝説のシーン
https://www.youtube.com/watch?v=94BgUsPMfBM
百恵21歳
聖子18歳
あとにも先にもこの時しか会ってないのよね
3歳差に見えないわw ラジオ局で会ってお話ししたと聖子のラジオ本には出てくるけどね。 淳子が最後に夜ヒットに出たのって
アニーよ銃をとれの曲を歌った時だったかしら。
夜ヒットが終わるときの特番には出てなかったわよね。 >>877
ものすごく可愛いけど
やっぱり髪は切らないで欲しかったわ >>879
あたしはこの髪型が好きだわ
歌ってるときの表情が豊かね
モノマネされやすい原因かもしれないけど >>880
映画「愛情の設計」に合わせて切ったんだっけ
ビル地下の映画館入口にあるスチール写真に混ざって
「淳子の新しいヘアスタイル!」みたいな図解写真が貼ってあったわ
この話すんごい昔にしたかもしれないわw >>882
Thanksブックレットの気まヴィーの解説に
「曲に合わせてベリーショートにしたんです」って書いてあったわ
公開断髪式もやったらしい
でも、マリリン・モンローのイメージならセミロングのままで良かったんじゃ
とか思ってみたりもする 阿久悠さんはモンローのイメージ。夜ヒットで司会者がシャーリーマクレーンみたいと表現、淳子はシャーリーが好きだと反応。 シャーリーは危険だわ〜
由実バブルの時によくシャーリーの精神世界を説きつつ
自分のアルバムにパクってたけど
内なる声とか前世のカルマとか運命に縛られてめんどくさいわ
その時点で誰か止めてあげてほしかったけど無理よね… この前のラジオみたいな感じで
マイ・アンドロジーのプロモーションとして
もう少し何かに出演するとかしてほしいのよね
将来的にはお芝居、舞台とかが良いけど
とりあえず今は、このアルバムを本当に一人でも多くの人に聴いてほしいわよ 有線にリクエストしたら?
手紙ー親愛なる子供たちへを >>20
あんたバカなの? 百恵が精神的に大人だったという話じゃないの 目の色変えて百恵を攻撃することじゃないわよ その話宏美が話すたびに少しずつ変わってるし
そもそも書き込み自体が意図的に改ざんされてるかもしれないし
今更870個も前のレス蒸し返すことでもないわ
私は百恵も宏美も戦友として大好きよ
淳子より楽曲が恵まれすぎてるのは悔しいけどw 宏美が一番幼かったって
自身をオチにしてる話なんだけどね
昌子淳子宏美で
同窓会コンサートとかやれたら
素敵すぎるわね 夜ヒットでアニーよ銃をとれの曲を
歌ってる映像あったわ。これの一番最後。
https://youtu.be/rnwSlV1oklc 淳子の歌が素晴らしいわね。
パートナーはもう少し歌える方のほうがよかったかど。 >>894
ありがとう
ルミ子のソファも強烈だけどこの時34歳なのね
でもこの歌は石川ひとみ版が一番好きだわ
>>895
寺泉さんって淳子にお似合いだと思ってたわ
それにしても淳子、歌う表情とか声量が完成の域に達してるわね
この頃に「マイ・フェア・レディ」の本物やってほしかったわ
84年の栗原小巻ファイナルから大地真央が君臨するまで6年も空いてたのに >>894
きゃー!ありがとう
見た事無かったのよね。 >>893
いいえ。
宏美は
デビューしたばかりで素直なわたし
同じ年なのに大人で素晴らしかった百恵ちゃん
…それに比べてピントがずれてる淳子ちゃん
ってことでしょ。
ただ、決して宏美は淳子を貶めてる感じはしないから
嫌いな話ではないわよ >>894
これ見ちゃうといろいろもったいないわね。
宝塚元トップスターってだけでいろいろな名作潰してくれ女優たちよりよほど淳子のほうが華もあって歌も上手いわ。
いろんな役ができたのに。
一番輝けたはずの時代を棒にふるとわ。 騒動がなければ90年代もっと色んな作品に出られたでしょうね…。
2時間ドラマで主演シリーズできてそうだわ。
淳子って寺泉さんと付き合ってるのかと思ったわ。
役柄でそういう関係なのが多かっただけなんだけど。 でもアイドル時代〜この当時の淳子の歌を「上手い」と評する人って、当時誰もいなかったわね。
あの独特の鼻にかかった唱法は「ヘタ」の一言で片付けられてたし、世間はそういう認識だった。
ファンだった私も、「ヘタ」と言われると認めざるを得なかったの。
いま、再評価される淳子について「歌唱力がある」って評する人も多いわ。
昔と違い、音楽もボーカルも多様化した現代だからこそ、やっとあの歌唱の個性と実力が認められてきたのかしらね。 …かも…でも真相はよくわからないから違うことにしておくわ
90年代からの淳子は歌の通りに子育て充電期間と思うしかないのかしらね
その間に犯人や殺され役とかダーク系に手付かずですんだのは不幸中の幸いかも
「病院坂」は名演技だけど「悪霊島」みたいなのが回ってきたらいやだもの 連投ごめんなさい
>>902
確かにいつも週刊誌とか音楽評論家はよく「3人の中で一番ヘタ」って書いてたわね
”多ジャンルに取り組む姿勢はいい”とか変なほめ方ばかりされてたわ
宏美や咲子みたいのがゴロゴロしてる時代だからしょうがないんだけどねぇ
淡谷センセイに一端の責任があるんじゃないかと思うけど私センセイは好きなのよねw >>894
歌はともかくとして
とにかく綺麗だわ
衣装も素敵。
阿川泰子の衣装も素敵
バブルと言えばそれまでだけど。
先週の浅野ゆう子の恋はダンダンの衣装が
ひどすぎたわ
かつてのファッションリーダーが
しまむらみたいだった。
日本はもうダメだわ 日本が一番いい時を見届けたことはラッキーだったのよ。
あまり恩恵には預かれなかったけど。 「眉月夜」「Naturally」から発声が変わったわよね。腹から声を出すみたいな。もともと声量があるほうではなかったのを、本格的にミュージカルに取り組むようになって努力したのねー。
偉いわ。淳子 そうなのよね
マイアンドロジーは眉月夜の延長線ね
当時、眉月夜は淳子じゃないみたいで好きになれなかった
でも、マイアンドロジーの歌い方は好きよ 先輩の後ろ追いかけ腕を磨く〜
この先輩って誰なのかしらね
アイドル時代だから歌手の人?
ルミ子あたりかしら 森昌子 スタ誕の先輩
麻丘めぐみ レコード会社の先輩
森田健作 事務所の先輩
こんなところかしら? あら、淳子って聖トマス大学卒業なのね、知らなかったわ。 >>911
マチャコに対してあんまり先輩って感覚ないと思うし
麻丘さんに対する敬意はさほど感じないし
モリケンは先輩というより淳子にとってはアイドルかしらね
・・・曲を聴くたび、誰をイメージしてんのかしら?って
興味が妙に出てきたの。ま、どうでもいいっちゃどうでも良いのw 春は早苗の季節です
中国ファンドは山一證券
もう一度歌っておくれ 淳子のCMソングで思い出したのは
グリコマカナッツチョコレート
覚えているの、もしかしたら、あたしくらいかもよ!
サ〜クサ〜クセイシュン〜
グリ〜コマカナッツゥチョコレートォ〜
子供の時、良く真似してたのよ 曲を聴いた時はおはんに抜擢してくれた長谷川一夫とか、アニーの共演者かと思ったわ
で、淳子が歌手でリスペクトしてる人って…思いつかないのよね
みゆきかもしれないけど、淳子の方が芸能人としては先輩だし。。
ま、どうでもいいっちゃいいんだけどw >>915
ダウンタウンの番組で浜ちゃんが淳子好きだと言ったら藤井隆が春は早苗の季節です歌ったの。
そしたら浜ちゃんが何でその歌やねんって突っ込んだのを思い出したわw ♪よぉこそどぉっぞっやっまいっちっ
やっぱり猫が好きで小林聡美が歌ってたわ。 CMで思い出したのは
恋はシーソーをバックにCMした中古車フェア?かなんかのラジオCMと
中古車店の、のぼり。
ボンボンを持ってミニスカートで片足立ち。
あれだけは今思い出しても悲しくなるのよ。 🎵じぃ〜とーしてはいられなーい
だぁい〜好きなー帽子とマカナッツ!
青春のー旅いままっし〜ぐら〜 淳子、CMにずいぶん出たわよね・・
かつてのスポンサー企業がバックアップして
これからの淳子の活動をひっそりと後押ししてくれたら良いのに。 イセキは名前は残ってるけどヤンマーの傘下で昔とは経営陣が違うのよね。
コメっこはまだ商品残ってたかしら? リバイバル発売の記憶はあるけど普通に買えるかどうか覚えがないわ
知床しぶきはさすがにないわよねw
当時は百恵友和が一番ウリだったアーモンドチョコレートだったけど
気づいたら今は筆入れみたいなケースのチョコなくなってるのね
きれいなデザインの銀紙捨てずに広げて集めてたけど使い道がなかったわ… >>930
アーモンドチョコのアーモンドが入ってない、グリコ「セシルチョコ」が復刻されてるのを昨年?ドンキで見かけたわ。
あの筆箱みたいな箱で。
期間限定かも。 >>931
セシルかアーモンドで3粒くらい入ったちっこいのは
ダイソーで買った事あるわ
でも昔のような美味しさがなかったのが残念
当時はメイン商品だから味にも細心の注意を払ってたのよね
CMといえばマンナンライフの食物せんいの素とか
女優専業になってから強力わかもともあった この間イオンに行った時、
セシルチョコレートとコメッコ、普通に売ってたわよ
コメッコはパッケージが箱じゃなくて、小袋タイプになってたわ >>932
ウィスパーカードはまだ淳子に目覚めてなくて秀樹を買ったわ
スターがあたしだけにお話しするのよw
小学校3年生だったわ。年がばれるというか。
でも、多分ここでは若いほうよねw 強力わかもとの主婦っぽいの自然で良かったわ
ホテル花水木のゴージャス感と真逆で そういえば香坂みゆきの後任(確か最初の旦那と離婚でイメージがあわなくなったかで)
で海苔の浜乙女にも起用されてたわね
こうしてあげるだけでデビューから20年間?ほぼ継続してCM契約の仕事があったわけで
今でこそ聖子というお化け的存在に隠れてしまうけど、
スターアイドルとして絶えず人の目に触れる存在だったのよね 今は知らないけれど
自衛隊のポスターもサンミの定番よね >>938
サンミュージックの営業力も勿論大きいでしょうけど
淳子の陽のキャラクターとスキャンダルが無いから
CMに色々と使われていたのよね パルスィートも歌だけやってたわよね
ゴムのスカート履きません〜とか言うやつ それはやっぱり猫が好きできみちゃんが『モノマネ腹話術で〜す』ってやったわ。 ラジオでも何でもいいんだけど
またゲリラ出演ないかしらね ていうか淳子のマネジメントどうなってるのかしら
なんだったら有料会員にだけLINEで通知するとかでもいいのに
あたしデジタルさくらんぼとか作ったら入るわよ 60歳以上でlineしてる人少ないわよ
只でさえガラケーが多い世代なのに でも咲子が50の手習いでなまじガジェット詳しそうだし
淳子のことだからそそのかされたらハマっちゃって案外ツール駆使できるかもよ
ついてこれる人だけ選ばれしファンの下々って感じで一見さんお断りにもなるし
淳子、自作スタンプデザインして作るのとか好きそうじゃない?w 宏美と咲子はlineでつながってるから淳子がつながっててもおかしくないわ。 松田聖子デビュー秘話@
1978年4月、ミス・セブンティーンコンテスト(集英社・CBSソニー共催)の
九州地区大会で桜田淳子の「気まぐれヴィーナス」を歌い優勝。
しかし、両親の猛反対で全国大会は辞退することに。
しかし、CBSソニー制作部の若松宗雄プロデューサーがその歌を聴いて
「売れる声だ」と確信しスカウト。聖子と連絡を取り続け、東京でプロモーションを
始めていたが、ナベプロには「スタイルがよくない」との理由で却下され、
サンミュージックは数社目に訪れた事務所だった。
九州の実家まで直々に親を説得に行ったという“立役者”の一人で
サンミュージク元専務の福田時雄名誉顧問(86)が振り返る。
「聖子と初めて会ったのは79年の5月。四谷4丁目の事務所の一室です。
九州の私立高校の3年生で、制服を着てひとりでやってきました。
見た目の第一印象は、清楚なお嬢さんといった感じで、ここまで
ビッグスターになるとは正直、思いもしなかったんです」
「うちでは翌年2月に別の女性歌手(中山圭子)を同じCBSソニーから
CMとタイアップして売り出す予定があり、断るつもりでした。
でも、聖子が持参してきた山口百恵や岩崎宏美のカラオケテープに合わせて
歌ったとたん、(創業者の故・)相澤秀禎も私も釘付け。伸びやかないい声で。
それで、うちで預かりましょうということになったのですが、高校を卒業してから
上京しなさいと話したんです。そして、すぐにCBSソニーの若松さんと
久留米の家へ説得に行きました」
応接間に通された福田氏は、そのときの“家庭の様子”が忘れられないという。
「応接間のソファに私とお父さんが向き合って座り、音楽の才能のこと、
相澤の家に下宿させて見守るということを話したのですが、そのときに聖子が
紅茶をトレーに載せて持ってきてくれました。高校生ながらお茶を出す姿が
板について、すごくよかったんです(笑)。きちんとしつけられた娘さんだなと」
聖子は紅茶を配り終えると、応接間に続く縁側(板の間)に、トレーを持ったまま
ピシッと背筋を伸ばして正座して、そのまま微動だにしなかったという。
「お父さんがいいと言うまで動きませんという表情で、芯の強さを感じましたね(笑)。
この家でいい教育を受けたのだということも実感しました。桜田淳子などもそうでしたが、
芸能界で成功するには運、才能のほかに、家庭の雰囲気も大きな要素だと思っています。
それまでにも何人もスカウトして自宅に行きましたが、“この子がいなくなったら
平和になる”というように親との関係が悪かったり、アポをとって訪ねたのに親が
泥酔しているような家庭環境ではデビューしても大成はしていません」 松田聖子デビュー秘話A
父の理解を得た聖子は、九州の高校の卒業を待たず、1979年に堀越高校に
転校し、夏休みに上京してきた。
「一刻も早く歌手になりたい」という本人の希望からだったようだが、この決断が
すべての運を開いた、と振り返る福田氏。
「その年の11月に始まる日本テレビ『おだいじに』というドラマで(事務所所属の)
太川陽介の相手役に応募したらポンと受かって。それで聖子は歌手より先に
女優でデビューしたんです。そして、ドラマの役名も芸名と同じ松田聖子にして
もらったのです」
そのドラマ出演中に洗顔料「エクボ」のCMモデルのオーディションを受けたが、
“エクボができない”ために出演は見送られた。だが声が認められてCMソングを
歌ったところ話題になり、当初の曲のタイトル「エクボの季節」を「裸足の季節」と
変えて、80年4月、この曲でデビューを飾った。
「その前月に山口百恵が引退発表をしたこともあり、いきなり聖子がポスト百恵として
注目されたんです。じつはうちで賭けていたもうひとりの新人のCMタイアップが
直前に頓挫してプロモーションがうまくいかず、そんなタイミングが余計に聖子への
追い風となったのです。しかし、その運は聖子自身が掴んだものです。
もし我々の言葉に従って久留米で高校を卒業してから上京していたら、
タイミングを逃していたでしょう」
2曲目の「青い珊瑚礁」が大ヒット。そこからの快進撃は止まらなかった。
3曲目の「風は秋色」で初のオリコン1位を獲得。その年の紅白歌合戦にも初出場。
以降、1988年まで24曲連続シングル1位の偉業を成し遂げ、ビックスターへの
階段を駆け登っていったのであった。
「大ブームになった聖子ちゃんカットは、気付けば全国の女の子が髪形をまねて、
その後に出たアイドルも皆、聖子とそっくりな髪形でしたね」
聖子はデビュー前の“約束どおり”社長の相澤氏の家に一緒に住んだが、
そこに大勢のファンが押し寄せたという。
「都内にある相澤の家の周囲は休日ともなると人がいっぱい。でもいちばん迷惑を
こうむったのは司葉子さんの家なんです。ご主人(相澤英之氏)は衆議院議員でしたが、
同じ“相澤”の表札を見てファンが間違えてそちらに押しかけてしまったんです」
2013年、相澤氏がすい臓がんで死去した際、娘の神田沙也加を連れ、通夜に
駆けつけた聖子。その後の14、15年も2年連続で紅白歌合戦の“大トリ”を務め、
娘の沙也加と共演を果たすなど名実ともに芸能界の“伝説”となった。福田氏は言う。
「聖子のことは相澤も特段可愛がっていました。今までの活躍ぶりをきっと天国で
喜んで見守っていることと思います」 >>946
婦人公論に出た時、
カンナ・はづきとlineしてるって言ってたわよ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。