1880年、日本政府は大清帝国に対し日清修好条規への最恵国待遇条項の追加とひき替えに、沖縄本島を日本領とし先島諸島を清領とする先島諸島割譲案(分島改約案)を提案した。

清は一度は応じ仮調印したが、「清は八重山諸島と宮古島を望まず、琉球領としたうえで清と冊封関係を維持したままの琉球王国を再興させる」という李鴻章の反対によって妥結にはいたらず、琉球帰属問題も棚上げ状態になった。

最終的な領有権問題の解決は1894年の日清戦争後で、戦争に敗れた清は台湾を割譲、同時に琉球に対する日本の主権を認めざるを得なくなった。
これらの琉球藩設置から廃藩置県後の琉球王族への日本華族の地位の授与までの一連の流れを琉球処分と呼ぶ。