>>654
稲吉はCOATの元社員で、
COATブランドの「JAPAN Round」や「MEGA PANIC」シリーズでゴーグルマンをしてたんだけど、
それらのビデオのマスターテープを持ち出してCOATを辞め、「JAPAN PICTURES」を設立。
JAPAN PICTURES 初期の作品の一部はCOATと重複してたのと、
「JAPAN」のロゴが全く同じだったため、COATの社長が激怒し、COAT-JAPAN戦争が勃発。

マスターテープ持ち出しとか聞くと稲吉の分が悪そうだけど、
COATの殿様商売に反感を抱いていた一部のショップが稲吉を支援し、COAT-JAPAN戦争は長期化・泥沼化…
…ということらしいわ、聞いた話だけど。

COAT-JAPAN戦争によってモデルの引き抜きが横行し、複数のメーカーを渡り歩くモデルが増えたのと、
価格競争によってゲイビデオの価格が安くなったわけで、消費者には恩恵があったのよね。
モザイクが薄くなったのもこの頃よね。

それと、KONG兄やんやOUTLAWゴリ姐は JAPAN PICTURES の元スタッフで、COATの作品には出てないはず。
KONGやOUTLAW(BOLT)設立の経緯は知らないけど、
稲吉の下でスタッフとして働くより独立したほうがいいと、本人達も思っていただろうし、
稲吉もそう思ってたはずよね、自分が辿った道なんだから。
ちなみに、BRAVOの社長も JAPAN PICTURES 出身なのよね。
そう考えると、稲吉の功績は大きかったわね。

あと、これはアタシの想像だけど、
稲吉が独立したのは「サーフレスキュー」のコジーが引き金だったんじゃないかしら?
長文スマソ