○○○1960〜2000年代のバレーボールを語る 8○○○ [無断転載禁止]©2ch.net
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1960〜2000年代のバレーボールを語る 8
※前スレ
http://medaka.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1497273615/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 世界男子バレー選手 年俸ランキング (1ドル110円換算)
*1位 1億5400万円 レオン(Ex.キューバ)
*2位 1億4850万円 ヌガペト(フランス)
*3位 1億2100万円 クレク(ポーランド)
*4位 1億640万円 シモン(Ex.キューバ)
*5位 1億450万円 ムセルスキー(ロシア)
*6位 1億120万円 アタナシエビッチ(セルビア)
*7位 9570万円 グロゼル(ドイツ)
*8位 9350万円 アンダーソン(アメリカ)
*9位 7850万円 ミハイロフ(ロシア)
10位 6820万円 ザイツェフ(イタリア)
http://gazettereview.com/2017/07/top-10-highest-paid-male-volleyball-players-world/ 地味だったけど岡本は白井と一緒でミュンヘン銀→モントリオール金なのよね
モントリオールでレフトだったけど本来はライトでしょ
スイングが早くて松田とのコンビは見事だったわ >>88
77年ワールドカップはエースの白井が大劣化してたけど、
ライトの吉田が地味に大活躍だったわね まあライトプレーヤーってのは
サウスポー以外はもともとレフトからの転向組だしね 全日本が三大大会(五輪、世界選手権、ワールドカップ)で最後に勝った試合
対ブラジル2011年ワールドカップ
対アメリカ2011年ワールドカップ
対中国2012年ロンドン五輪
対イタリア1999年ワールドカップ
対セルビア2010年世界選手権
対トルコ2010年世界選手権
対ポーランド2010年世界選手権
対クロアチア1999年ワールドカップ
対オランダ2006年世界選手権
対ドイツ2014年世界選手権
対キューバ2015年ワールドカップ
対ペルー2015年ワールドカップ
対アルゼンチン2016年リオ五輪
対タイ2007年ワールドカップ
対韓国2015年ワールドカップ
対ロシア全敗
対ソ連(CIS含む)1988年ソウル五輪 >>93
ロシア戦に勝てた最大のチャンスは2015年ワールドカップだったわね
男女とも
フルセットまで追い込んだけど最後は力尽きたわ
確か真鍋は2戦目にロシアを指名して本気で勝ちに来たけど、惜しい負けだったわね… >>87
前田さん凄いわね
74レフト
76センター
77レフトで全部金メダルww
74と76は見る機会が無くて残念だわ 74年WCHも本来はセッター松田だったんだけど、
直前に怪我して控えの金坂が正セッター務めたけど、
しっかり優勝出来るのが当時の日本の強さよね てかそんな昔って今ほど強豪国なかったじゃないのw
恥ずかしいわぁ〜w >>93
でも93年以降のロシアとは対戦が少ないのよね
98年WCH
99年WC
2010年WCH
2012年OG
2015年WC
2016年OG
2010年代から一気に増えたわねw
2000年代1回も対戦してないってのが意外過ぎるわ >>99
あら察する事も出来なくてわたくしに最後まで云わせるの?w
つまり中国やキューバやアメリカ等が強豪国になる前に、(しかも今なんてEUや南米も強くなってきてるし)3冠になった昔の全日本の栄光なんてないのよw >>101
そんなこといちいち書き込む奴がこんなスレに出てくる必要ないわね
消えなさい >>97
まあでも日本がオリンピックと世界選手権で優勝したのは、あの山田JAPANが最後なのよね
世界選手権でメダル獲得したのが78年銅メダルから2010年まで32年間なかったっていうのがショックだったわ モントリオールは確か男子はフルで上がってたわよね
準決ポーランド戦だったかしら
女子はないわね〜 >>103
世界選手権の歴史
74⇒金
78⇒銀
82⇒ペルー
86⇒意味不明
90⇒意味不明米田
94⇒素子ジャパン
98⇒クズは御払い
02⇒吉川も御払い
06⇒ワンジョ
10⇒銅
14⇒息切れ崩壊
18⇒? 78年って2位だったのね
3位だと思ってたわw
開催国がソ連でキューバがサプライズ初優勝したのよね 1976年モントリオール五輪準決勝ポーランドVS日本
日本
レフト 10大古誠司 8田中幹保
センター 4西本哲雄 6深尾吉英 3小田勝美
ライト 1丸山孝 12嶋岡健治
セッター 2猫田勝敏
控え 9横田忠義 5保田靖則 7柳本晶一 11佐藤哲夫
監督 小山勉
総監督 坂上光男
Montreal Olympics 1976 -Volleyball:Poland-Japan [Semifinal]
http://www.youtube.com/watch?v=VFFo1xqaSjY
Montreal Olympics 1976, Men's Volleyball Tournament
July 29, 1976, Montreal Forum Arena
Semifinal: Poland-Japan 3-2 [ 15-17, 15-6,15-6,10-15,15-10 ] 1976年モントリオール五輪準決勝ポーランドVS日本
日本
レフト 10大古誠司 8田中幹保
センター 4西本哲雄 6深尾吉英 3小田勝美
ライト 1丸山孝 12嶋岡健治
セッター 2猫田勝敏
控え 9横田忠義 5保田靖則 7柳本晶一 11佐藤哲夫
監督 小山勉
総監督 坂上光男
Montreal Olympics 1976 -Volleyball:Poland-Japan [Semifinal]
http://www.youtube.com/watch?v=VFFo1xqaSjY
Montreal Olympics 1976, Men's Volleyball Tournament
July 29, 1976, Montreal Forum Arena
Semifinal: Poland-Japan 3-2 [ 15-17, 15-6,15-6,10-15,15-10 ] 小田勝美って戦後の日本男子を象徴するステレオタイプのルックスよね
苦笑 老老介護が大変なのにカキコする暇あったらパンパース代えてあげなさいねw >>107
78も見る機会が無いわね
77と81でボロカスだったキューバが何故優勝したのか謎だわw キューバは78年に確変したのよね
白井と松田が78年に引退したのも遠征でキューバにボロ負けして引き際を悟ったからなのよね
白井、松田らがいても世界選手権ではキューバに負けてたわね 77年からキューバは強かった。5月の日本での対抗戦、初戦と最終戦に快勝。
山田監督に「モントリオールの金メダルはもう口にしない」と言わしめた。
仮想キューバの対策が奏功して、W杯ではストレート勝ちしたけれど、キューバはしっかり2位を確保。
78年世界選手権は順当に優勝。決して確変ではないといと思う。
80年、日中米がボイコットしたモスクワ五輪も、キューバは優勝候補の筆頭と思われたが、大国ソ連での開催。何が起きたのか?あまり報道もされず決勝にも進まなかった。 >>95
77年W杯の前田は、
ポジションは白井の対角だが、
前衛ではレフト1回、ライト2回。
吉田と重なる2回はライトに回っていた。 >>118
順当か?
ダークホースではあったけど、
優勝候補本命と言われると微妙だな
78年キューバ なるほどねぇ
色々勉強になるわw
78の決勝キューバvs日本の試合
生きてる中に是非見ておきたいわww 久美って鼻整形してるのね
今更気付いたわ
鼻にプロテーゼ入れたのはモデルデビューした97-98年辺りかしら 現役時代の丸山と嶋岡ってイイ男だったのにジジイになるとこんなもんなのかしら? 嶋岡健治はイケメンだったわよね
今じゃ普通の爺ちゃんだけどw >>122
独占放送したテレビ朝日、マスター残してないだるうな。
残っていればデジタル・リマスターして、当時は権利関係曖昧だるうから、販売すれば協会もテレ朝も多少潤うはず。
松平康隆氏や前田豊氏なら、そういう発想を具現化していっただろう。 1976年モントリオール五輪準決勝日本VSポーランド
日本
レフト 10大古誠司 8田中幹保
センター 4西本哲雄 6深尾吉英 3小田勝美
ライト 1丸山孝 12嶋岡健治
セッター 2猫田勝敏
控え 9横田忠義 5保田靖則 7柳本晶一 11佐藤哲夫
監督 小山勉
総監督 坂上光男
Montreal Olympics 1976 -Volleyball:Poland-Japan [Semifinal]
http://www.youtube.com/watch?v=VFFo1xqaSjY
Montreal Olympics 1976, Men's Volleyball Tournament
July 29, 1976, Montreal Forum Arena
Semifinal: Poland-Japan 3-2 [ 15-17, 15-6,15-6,10-15,15-10 ] ちなみに決勝はあまりにワンサイドでつまんない。
センター矢野、江上を使えないセッター小川。
ライト吉田とも信頼関係が築けてなく、
レフト横山、須藤へオープン上げるだけ。
キューバの強烈サーブにサーブレシーブ乱されて、
3セットすべて1ケタだったはず。
高校生の吉野(後の村田)を須藤に代えて起用したり、未来への布石を打ったりしたのが山田氏らしかった。
準決勝の韓国戦のほうが日本人にはウケのでは。
1セット先取されながらも、横山・須藤へのオープン一辺倒バレーが効果を発揮した。
江上なんてセンターのクイックより、ライトのセミの打数が多かったのでは。
当時の日本、銀メダル以下は最低成績を意味した。
「こんなところで負けるわけにはいかない」
選手たちのそんな思いが伝わってくる試合だった。 セッターは松田が引退したから
ユニチカの小川だったのね
センターライトは日立勢で固めて
レフトは山田の嫌いなユニチカの横山と富士フィルムの須藤
そりゃ勝てないし山田も不本意だったでしょうね
78年世界選手権 128は78世界選手権の記憶。
予選リーグ初戦のアメリカ戦も凄かった。
フルセットでやっと勝った。
前年77年W杯で日本は控えメンバー出して圧勝したのに、
米国新セッターのグリーンが上手くて、ハイマンもW杯から格段の進化を遂げていた。
日本は大会直前にセッターを矢野から小川へチェンジ。チームが、特に日本の生命線であるセンターとのコンビが確立られていなかった。 128は78世界選手権の記憶。
予選リーグ初戦のアメリカ戦も凄かった。
フルセットでやっと勝った。
前年77年W杯で日本は控えメンバー出して圧勝したのに、
米国新セッターのグリーンが上手くて、ハイマンもW杯から格段の進化を遂げていた。
日本は大会直前にセッターを矢野から小川へチェンジ。チームが、特に日本の生命線であるセンターとのコンビが確立られていなかった。 >>131
矢野ってあの日本一のセンターと言われた矢野広美?
彼女セッターもやってたの?
器用な選手ね〜 >>129
松田、白井が5月のキューバ遠征4連敗後引退。
世界選手権登録メンバーだったセッター金坂も結婚により出場辞退。
日本は矢野を主将兼セッターにして、
6月の日ソ対抗に臨む。
この第一戦ストレート勝ちには感動した。
ただその後の日中対抗、二ヶ月近くの欧州遠征で、
セッター矢野の、チームは綻びを見せていく。
ブラックの高い須藤を日中戦からセンター起用したりしたが、矢野、須藤は本来のポジションでないためか、チームが上手く回らなかった。
結局、欧州遠征中にレフト横山・須藤、センター矢野、江上、ライト吉田、セッター小川という無難な構成になる。
小川にとっては同じユニチカのライト水原の故障離脱も痛かったろう。
この辺りの事情は、78年8月発売『月刊バレーボール』の「山田監督からの長い手紙」、8月放送NHKスペシャル『金メダルへの長い道』に詳しい。
『月刊バレーボール』は国会図書館で読めるかな。
NHKの番組は、マスターないのかな。ぜひデジタル・リマスターして放送してほしい。 >>132
矢野は白井とのツーセッターを75年辺りから、
国際試合でやっていたはず。
確実に記憶にあるのは76年モントリオール五輪シーズン初の国際試合、日ソ対抗の初戦。白井ー矢野のツーセッターで臨んだ。
日立は歴史的にセンターのツーセッターをよくやる。
古くはメキシコ五輪の生沼ー高山、モントリオール前後の白井ー矢野、1980年シーズンの江上ー石田。
白井ー矢野は不思議なことに国際試合のみでしか見たことない。国内試合は連勝記録もあったのか、松田、金坂が上げていた記憶しかない。 いや矢野の2セッターは知ってたが、
1セッターは初耳だったわ
山田はセンター対角の2セッターが好きだったよな
中田久美も最初はセンタープレーヤーで江上と2セッターやらせてた
今ではセンター対角で2セッターなんてありえないけどな笑 松田とか小川は実際に試合動画が上がってるからどんなセッターだったのか分かるけど、
金坂ってぶっちゃけどうだったの?
彼女のトスアップは見たことないんだよね
それにしても松田っていいセッターね
正確でスマートなの
小川とか竹下みたいな泥臭さがないの
それでいて中田とか永富のような粗さもないの
さすが世界一のセッターね ルックスはサザエさんにしか見えないけど苦笑
松田紀子 >>136
松田は速さ、金坂は丁寧さが特徴と良く言われていた。
松田のようなスピード感は無かったけれど、いいセッターでしたよ。
いいセッターには、チームを安心させるリズム感があると思うが、松田にも金坂にもそのリズム感があった。
それから何よりアタッカーとの信頼感があった。
センターとのコンビも安心して見ていられた。
レギュラーの6人で合わせた時間が、
松田、金坂ともに後年のセッターに比べ圧倒的に多かったのでは。
だから正確でスマートに見えたのでは。 なるほどね
白井と松田は性格的には合わなかったらしいけど、
コートの中では抜群のコンビだったわね 当時の取材番組で山田は松田のことをトスの正確さから「コンピューター松田」と紹介してたな 皆さま
78の情報
有り難うございました
全く知らないことばかりで凄く勉強になりました
m(_ _)m
アタシが見たツーセッターは江上中田
全日本の試合で三屋がベンチ
レフトライトは杉山森田小高大谷廣宮島あたりだった >>140
それ
山田重雄話題作り劇場説
があるわね >>143
いや事実よ
白井は公然と松田とは私生活では合わなかったと公言してるもの 何かふとしたきっかけでテニス見てたら
今は男子選手も声出して打ってるんだなw
日本の錦織は一切出してなくて好印象だけどw
昔はスペイン系のクレーコーターくらいしか声出す選手いなかったんだけどな
トップ選手で声出さないのは錦織、フェデラーくらいか
ディミトロフも余り印象ないが 中田久美×高橋有紀子みたいなものかな
金坂も高橋も他のチームに行けば正セッターになる実力があった むしろ仲良いんじゃない
松田&金坂
代表入りできなかった同じセッターで本来はライバルのはずの永木に金メダル割ってあげたくらいだし
仲間思いよね
後継者の中田はそういうのは一切ない女だったけどw 詳しい方教えて下さい。
77WCの頃の中国チームですが、日本はよく負けていたのでしょうか?
勘違いかもしれませんがMBは曹慧英と周暁蘭、WSが楊希と張容芳、セッター孫晋芳、OPが陳招悌でしたかね?
日本には白井と前田がいたのに中国と接戦だったような。
後に中国は、楊希→郎平、曹慧英→陳亜諒になって日本はさっぱり勝てなくなった。 >>153
77年の時は孫晋芳と陳招悌のツーセッターね。
77年WCの予選リーグで日本は初めて中国に負けたのよ。決勝リーグではベストメンバーで勝ったけど。
中国が本格的に強くなったのはやっぱり郎平の出現よね。1978年アジア大会でのこと。 >>154
ありがとうございました。
やっぱり郎平が出てきてミドルも早くなりましたよね。 >>154
1978アジア大会、郎平デビューして中国確かに強くなったけど、日本は確かストレート勝ちした。
レフト横山ー須藤、センター江上ー清水? ライト川又? セッター小川だったはず。
須藤のサーブが郎平を狙い打ちして、中国のリズムを崩した。
日本は監督が小島氏になり、山田全日本のコンビバレーとは打って変わり、拾って拾ってつなぐユニチカ・バレー。カネボウ175cmセンター清水とか、三洋174cmライト川又とか、華やかさはないけれど堅実で小島バレーにはフィットした。
78アジア大会は韓国にも勝って全勝優勝。
第1セット、レフト須藤とライト水原が不調で落としたが、レフト奥嶋(カネボウ)、ライト川又に代えてリズムが良くなり逆転した。 男子ですが西本や森田ってハンサムですね〜。
それに花輪ってエロいわぁw
MB小田も大きそう・・・。
中国の李健新や王嘉偉もイケメンね。 須藤のフローターサーブは、ネットにタッチNGだった時代、日本歴代最強のサーブだったと思う。
日本リーグでサーブ部門毎回上位、一度サーブ賞も受賞している。
圧巻だったのは77日ソ対抗最終戦第3セット。15点中6点ぐらいをサービスエースで叩き出した。
レフトから超インナーを決めたり、春高二連覇した八王子実践の大エースが社会人三年目となり、順調にポスト白井のポジションを歩んでいるように思えた。 須藤のフローターサーブは、ネットにタッチNGだった時代、日本歴代最強のサーブだったと思う。
日本リーグでサーブ部門毎回上位、一度サーブ賞も受賞している。
圧巻だったのは77日ソ対抗最終戦第3セット。15点中6点ぐらいをサービスエースで叩き出した。
レフトから超インナーを決めたり、春高二連覇した八王子実践の大エースが社会人三年目となり、順調にポスト白井のポジションを歩んでいるように思えた。 金坂克子の動画あったわ
やはり松田とはタイプが違って
打ちやすい丁寧なトスを上げるセッターね 須藤佳代子は高校1年の春高から5冠を達成したけど、3年の頃の八実は須藤佳代子vs同級生の内部分裂で高校生活最後の国体で初戦敗退したのよね。
国体前に他の選手が「今度は私達でやらせて下さい」って菊間に直訴して菊間も了承した訳だけど、結局須藤がいたからこそ勝ち続けられたのよね。 159ですが162のエピソードは知らなかったです。
須藤は進路も、日立を蹴って富士フイルムを選んだり、どこか人と相容れないというか孤高の印象があった。178cmで指高230cm、垂直跳び68cm。
日立の山田監督が多少リップサービスも込め「白井以上の素質」とコメントしていたのを覚えている。
しかし持病の腰痛から膝を痛め、79年に半月板手術。以降は明らかに跳べなくなり、80年幻のモスクワ五輪代表から落選。81年春24歳で現役引退。一ファンとして、非常に寂しかった。 山田監督始め 協会も樹理より須藤推しだったわよね。樹理ファンだったからちょっと悔しかったわ。樹理は人気抜群だけど山田バレーにはフィットしてなかったし。まっでも須藤もそれほど決定力なかったわ。 >>163
須藤の親戚の方が富士フイルムのお役人だかなんかで、卒業後は富士フイルムに行ったのよ。
八実は日立と太いパイプがあったから勿論日立からもスカウトはあったんだけど、それを蹴ってしまったから暫く八実は日立に出入り出来なかったって話だわ。 横山樹理って本当ルックスだけだったわ
それも遠目で見ると髪型含めて可愛いんだけど、
アップで見ると大したことないのよねw
実力重視の山田から見ると問題外だったでしょうね >>170
実力が無いってか日立のコンビバレーに合わなかったのよ。あの独特のフォームはセンターに時間差で切り込むにも難しいわ。ディフェンスはデビュー当時は良くなかったけど ユニチカで鍛えられたから 後年はレセプもディグもまずまず及第点だわ。 でも横山って大したことなかったわよ
女の子ジャンプでジャンプ力もなくてね〜
ただルックスはバレー界のアイドルだったわね 日立山田バレーって強かったけど
地味な選手ばっかりであんまり人気なかったわよね
後年に素子が出てきて別に素子をアイドル視させようなんて誰も思ってなかったのに
本人がアイドル気取りでその振る舞いがオモロかったわw 2005年は大友はオポでしょ
グラチャンでセンターに戻ったけどさっぱりだったわよ
荒木は北京の中では一人気を吐いてたけど、
チーム自体が悪過ぎたからそれほどでもないわ
やっぱり最強は2010年の大友×井上じゃない
バランスという意味で >>173
あんた あれが女の子ジャンプって?
あのブロードジャンプは女の子には無理よ。で背筋 思いっくそ使ったスパイクはブロックを撥ね飛ばしてたわよっ。 いやブリっ子女の子ジャンプよw
打点低いわよ
パワーは多少あってもコースが甘いから
ほとんど拾われてたわ
だいたい横山がフィーバーした81年ワールドカップだってチームのエースは水原と杉山だったもの
しかし杉山加代子は81-88年まで全日本にいたのに何か中途半端なままで終わっちゃって勿体無かったわね
素材だけなら世界のエースになれる素質はあったのにね… 77年ワールドカップの山田の横山樹理の使い方が正に客寄せパンダ扱いで樹理が可哀想だったわ >>177
樹理がフィーバーしたのは81WCではないわ。その年は広瀬よ。樹理はもう下降線をたどりつつあったわ。79
プレオリあたりがピークよ。
樹理の打点は高いなんて誰も思ってない。パワーで打ち抜いて観客を沸かせてチームを盛り上げる正しくエースだったわ。 >>177
水原はエースではないわ。あくまでも補助よ。センターとの絡みで生きるタイプ。ただサウスポーだから二段も打ってた。
杉山は国内番長よ。 >>178
アメリカ戦とか ホント可哀想だったわ。樹理にあがったボールをビッグが横取りするのw
サーブの時の観客の樹理ー樹理〜の掛け声が何だか空しい。解説の生沼も苦笑。 富士フイルムで覚えてるのは水野ヒロミ(漢字が判んない)だけだわあたし。 >>179
>樹理の打点は高いなんて誰も思ってない。パワーで打ち抜いて観客を沸かせてチームを盛り上げる正しくエースだったわ
ソ連のリスカルみたいなタイプね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています