滝澤、杉山、佐藤、廣は85年神戸ユニバの金メダリストだったことが大きい。
地元開催とはいえ、久々の世界一。88年ソウル五輪は宗内ユニバ監督がコーチになったことも、彼女らの選出につながったはず。
おまけに日本リーグ日電優勝で、山下も選ばざるを得ず…。寄せ集め感が半端無かった。

日立が日本リーグで、川瀬ー武藤、大林ー高橋、藤田ー田島の大型ジュニアを主体としたために、杉山を田島に替えても、レシーブお粗末。チームが安定せず日電の後塵を廃したのが痛かった。

レフトに斎藤真由美をと、当時の月刊バレーボールで松平康隆氏もコラムに書いていたが、
日立、日電、神戸ユニバ、3つの流れのいずれにも属さない、当時ジュニアの斎藤真由美を抜擢するスタッフは存在しなかったのだろう。