○○○1960〜2000年代のバレーボールを語る 8○○○ [無断転載禁止]©2ch.net
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1960〜2000年代のバレーボールを語る 8
※前スレ
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Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 128は78世界選手権の記憶。
予選リーグ初戦のアメリカ戦も凄かった。
フルセットでやっと勝った。
前年77年W杯で日本は控えメンバー出して圧勝したのに、
米国新セッターのグリーンが上手くて、ハイマンもW杯から格段の進化を遂げていた。
日本は大会直前にセッターを矢野から小川へチェンジ。チームが、特に日本の生命線であるセンターとのコンビが確立られていなかった。 128は78世界選手権の記憶。
予選リーグ初戦のアメリカ戦も凄かった。
フルセットでやっと勝った。
前年77年W杯で日本は控えメンバー出して圧勝したのに、
米国新セッターのグリーンが上手くて、ハイマンもW杯から格段の進化を遂げていた。
日本は大会直前にセッターを矢野から小川へチェンジ。チームが、特に日本の生命線であるセンターとのコンビが確立られていなかった。 >>131
矢野ってあの日本一のセンターと言われた矢野広美?
彼女セッターもやってたの?
器用な選手ね〜 >>129
松田、白井が5月のキューバ遠征4連敗後引退。
世界選手権登録メンバーだったセッター金坂も結婚により出場辞退。
日本は矢野を主将兼セッターにして、
6月の日ソ対抗に臨む。
この第一戦ストレート勝ちには感動した。
ただその後の日中対抗、二ヶ月近くの欧州遠征で、
セッター矢野の、チームは綻びを見せていく。
ブラックの高い須藤を日中戦からセンター起用したりしたが、矢野、須藤は本来のポジションでないためか、チームが上手く回らなかった。
結局、欧州遠征中にレフト横山・須藤、センター矢野、江上、ライト吉田、セッター小川という無難な構成になる。
小川にとっては同じユニチカのライト水原の故障離脱も痛かったろう。
この辺りの事情は、78年8月発売『月刊バレーボール』の「山田監督からの長い手紙」、8月放送NHKスペシャル『金メダルへの長い道』に詳しい。
『月刊バレーボール』は国会図書館で読めるかな。
NHKの番組は、マスターないのかな。ぜひデジタル・リマスターして放送してほしい。 >>132
矢野は白井とのツーセッターを75年辺りから、
国際試合でやっていたはず。
確実に記憶にあるのは76年モントリオール五輪シーズン初の国際試合、日ソ対抗の初戦。白井ー矢野のツーセッターで臨んだ。
日立は歴史的にセンターのツーセッターをよくやる。
古くはメキシコ五輪の生沼ー高山、モントリオール前後の白井ー矢野、1980年シーズンの江上ー石田。
白井ー矢野は不思議なことに国際試合のみでしか見たことない。国内試合は連勝記録もあったのか、松田、金坂が上げていた記憶しかない。 いや矢野の2セッターは知ってたが、
1セッターは初耳だったわ
山田はセンター対角の2セッターが好きだったよな
中田久美も最初はセンタープレーヤーで江上と2セッターやらせてた
今ではセンター対角で2セッターなんてありえないけどな笑 松田とか小川は実際に試合動画が上がってるからどんなセッターだったのか分かるけど、
金坂ってぶっちゃけどうだったの?
彼女のトスアップは見たことないんだよね
それにしても松田っていいセッターね
正確でスマートなの
小川とか竹下みたいな泥臭さがないの
それでいて中田とか永富のような粗さもないの
さすが世界一のセッターね ルックスはサザエさんにしか見えないけど苦笑
松田紀子 >>136
松田は速さ、金坂は丁寧さが特徴と良く言われていた。
松田のようなスピード感は無かったけれど、いいセッターでしたよ。
いいセッターには、チームを安心させるリズム感があると思うが、松田にも金坂にもそのリズム感があった。
それから何よりアタッカーとの信頼感があった。
センターとのコンビも安心して見ていられた。
レギュラーの6人で合わせた時間が、
松田、金坂ともに後年のセッターに比べ圧倒的に多かったのでは。
だから正確でスマートに見えたのでは。 なるほどね
白井と松田は性格的には合わなかったらしいけど、
コートの中では抜群のコンビだったわね 当時の取材番組で山田は松田のことをトスの正確さから「コンピューター松田」と紹介してたな 皆さま
78の情報
有り難うございました
全く知らないことばかりで凄く勉強になりました
m(_ _)m
アタシが見たツーセッターは江上中田
全日本の試合で三屋がベンチ
レフトライトは杉山森田小高大谷廣宮島あたりだった >>140
それ
山田重雄話題作り劇場説
があるわね >>143
いや事実よ
白井は公然と松田とは私生活では合わなかったと公言してるもの 何かふとしたきっかけでテニス見てたら
今は男子選手も声出して打ってるんだなw
日本の錦織は一切出してなくて好印象だけどw
昔はスペイン系のクレーコーターくらいしか声出す選手いなかったんだけどな
トップ選手で声出さないのは錦織、フェデラーくらいか
ディミトロフも余り印象ないが 中田久美×高橋有紀子みたいなものかな
金坂も高橋も他のチームに行けば正セッターになる実力があった むしろ仲良いんじゃない
松田&金坂
代表入りできなかった同じセッターで本来はライバルのはずの永木に金メダル割ってあげたくらいだし
仲間思いよね
後継者の中田はそういうのは一切ない女だったけどw 詳しい方教えて下さい。
77WCの頃の中国チームですが、日本はよく負けていたのでしょうか?
勘違いかもしれませんがMBは曹慧英と周暁蘭、WSが楊希と張容芳、セッター孫晋芳、OPが陳招悌でしたかね?
日本には白井と前田がいたのに中国と接戦だったような。
後に中国は、楊希→郎平、曹慧英→陳亜諒になって日本はさっぱり勝てなくなった。 >>153
77年の時は孫晋芳と陳招悌のツーセッターね。
77年WCの予選リーグで日本は初めて中国に負けたのよ。決勝リーグではベストメンバーで勝ったけど。
中国が本格的に強くなったのはやっぱり郎平の出現よね。1978年アジア大会でのこと。 >>154
ありがとうございました。
やっぱり郎平が出てきてミドルも早くなりましたよね。 >>154
1978アジア大会、郎平デビューして中国確かに強くなったけど、日本は確かストレート勝ちした。
レフト横山ー須藤、センター江上ー清水? ライト川又? セッター小川だったはず。
須藤のサーブが郎平を狙い打ちして、中国のリズムを崩した。
日本は監督が小島氏になり、山田全日本のコンビバレーとは打って変わり、拾って拾ってつなぐユニチカ・バレー。カネボウ175cmセンター清水とか、三洋174cmライト川又とか、華やかさはないけれど堅実で小島バレーにはフィットした。
78アジア大会は韓国にも勝って全勝優勝。
第1セット、レフト須藤とライト水原が不調で落としたが、レフト奥嶋(カネボウ)、ライト川又に代えてリズムが良くなり逆転した。 男子ですが西本や森田ってハンサムですね〜。
それに花輪ってエロいわぁw
MB小田も大きそう・・・。
中国の李健新や王嘉偉もイケメンね。 須藤のフローターサーブは、ネットにタッチNGだった時代、日本歴代最強のサーブだったと思う。
日本リーグでサーブ部門毎回上位、一度サーブ賞も受賞している。
圧巻だったのは77日ソ対抗最終戦第3セット。15点中6点ぐらいをサービスエースで叩き出した。
レフトから超インナーを決めたり、春高二連覇した八王子実践の大エースが社会人三年目となり、順調にポスト白井のポジションを歩んでいるように思えた。 須藤のフローターサーブは、ネットにタッチNGだった時代、日本歴代最強のサーブだったと思う。
日本リーグでサーブ部門毎回上位、一度サーブ賞も受賞している。
圧巻だったのは77日ソ対抗最終戦第3セット。15点中6点ぐらいをサービスエースで叩き出した。
レフトから超インナーを決めたり、春高二連覇した八王子実践の大エースが社会人三年目となり、順調にポスト白井のポジションを歩んでいるように思えた。 金坂克子の動画あったわ
やはり松田とはタイプが違って
打ちやすい丁寧なトスを上げるセッターね 須藤佳代子は高校1年の春高から5冠を達成したけど、3年の頃の八実は須藤佳代子vs同級生の内部分裂で高校生活最後の国体で初戦敗退したのよね。
国体前に他の選手が「今度は私達でやらせて下さい」って菊間に直訴して菊間も了承した訳だけど、結局須藤がいたからこそ勝ち続けられたのよね。 159ですが162のエピソードは知らなかったです。
須藤は進路も、日立を蹴って富士フイルムを選んだり、どこか人と相容れないというか孤高の印象があった。178cmで指高230cm、垂直跳び68cm。
日立の山田監督が多少リップサービスも込め「白井以上の素質」とコメントしていたのを覚えている。
しかし持病の腰痛から膝を痛め、79年に半月板手術。以降は明らかに跳べなくなり、80年幻のモスクワ五輪代表から落選。81年春24歳で現役引退。一ファンとして、非常に寂しかった。 山田監督始め 協会も樹理より須藤推しだったわよね。樹理ファンだったからちょっと悔しかったわ。樹理は人気抜群だけど山田バレーにはフィットしてなかったし。まっでも須藤もそれほど決定力なかったわ。 >>163
須藤の親戚の方が富士フイルムのお役人だかなんかで、卒業後は富士フイルムに行ったのよ。
八実は日立と太いパイプがあったから勿論日立からもスカウトはあったんだけど、それを蹴ってしまったから暫く八実は日立に出入り出来なかったって話だわ。 横山樹理って本当ルックスだけだったわ
それも遠目で見ると髪型含めて可愛いんだけど、
アップで見ると大したことないのよねw
実力重視の山田から見ると問題外だったでしょうね >>170
実力が無いってか日立のコンビバレーに合わなかったのよ。あの独特のフォームはセンターに時間差で切り込むにも難しいわ。ディフェンスはデビュー当時は良くなかったけど ユニチカで鍛えられたから 後年はレセプもディグもまずまず及第点だわ。 でも横山って大したことなかったわよ
女の子ジャンプでジャンプ力もなくてね〜
ただルックスはバレー界のアイドルだったわね 日立山田バレーって強かったけど
地味な選手ばっかりであんまり人気なかったわよね
後年に素子が出てきて別に素子をアイドル視させようなんて誰も思ってなかったのに
本人がアイドル気取りでその振る舞いがオモロかったわw 2005年は大友はオポでしょ
グラチャンでセンターに戻ったけどさっぱりだったわよ
荒木は北京の中では一人気を吐いてたけど、
チーム自体が悪過ぎたからそれほどでもないわ
やっぱり最強は2010年の大友×井上じゃない
バランスという意味で >>173
あんた あれが女の子ジャンプって?
あのブロードジャンプは女の子には無理よ。で背筋 思いっくそ使ったスパイクはブロックを撥ね飛ばしてたわよっ。 いやブリっ子女の子ジャンプよw
打点低いわよ
パワーは多少あってもコースが甘いから
ほとんど拾われてたわ
だいたい横山がフィーバーした81年ワールドカップだってチームのエースは水原と杉山だったもの
しかし杉山加代子は81-88年まで全日本にいたのに何か中途半端なままで終わっちゃって勿体無かったわね
素材だけなら世界のエースになれる素質はあったのにね… 77年ワールドカップの山田の横山樹理の使い方が正に客寄せパンダ扱いで樹理が可哀想だったわ >>177
樹理がフィーバーしたのは81WCではないわ。その年は広瀬よ。樹理はもう下降線をたどりつつあったわ。79
プレオリあたりがピークよ。
樹理の打点は高いなんて誰も思ってない。パワーで打ち抜いて観客を沸かせてチームを盛り上げる正しくエースだったわ。 >>177
水原はエースではないわ。あくまでも補助よ。センターとの絡みで生きるタイプ。ただサウスポーだから二段も打ってた。
杉山は国内番長よ。 >>178
アメリカ戦とか ホント可哀想だったわ。樹理にあがったボールをビッグが横取りするのw
サーブの時の観客の樹理ー樹理〜の掛け声が何だか空しい。解説の生沼も苦笑。 富士フイルムで覚えてるのは水野ヒロミ(漢字が判んない)だけだわあたし。 >>179
>樹理の打点は高いなんて誰も思ってない。パワーで打ち抜いて観客を沸かせてチームを盛り上げる正しくエースだったわ
ソ連のリスカルみたいなタイプね。 >>189
ぐらいよね。あとキャロル ピーターセンとか岡村 石井は名前は何とかわかるぐらいね 県立藤沢から188cmの佐藤順子も富士フイルムに行ったわ。 何かの番組で樹里や水原や広瀬の元全日本メンバーがお笑いチームと対戦してたわ。
みんなオバサンになっててママさんバレーチームみたいだったけど、広瀬のレセプションと水原は流石だったわ。
水原のライト攻撃強烈だった。
それに比べて樹里は激太りでジャンプさえできなかったわw 広瀬と水原はまだママさんバレーで現役バリバリだものね
江上も
三屋もたまーに顔出してるわね
それより今日地方のローカルニュースで荒木田裕子が地元を訪問して講演してたけど、
声がさすがに老化しててショックだったわ…w そのメンバーならやっぱり幻のモスクワ五輪
日本vsソ連戦ね
あのとき初めて池知さんを見たわ
広瀬水原小川江上池知
あとレフトが誰だったかしら?
樹理は激太りで不可だったわ
それからセンター三屋は直前に捻挫w
よりによってww 奥嶋桂子(佳子かも)。
江上、池知と同期。
山本聖子と言ったかな。174cmあったセッター。
JTで竹下の控えだった。彼女の母親。 >>197
有り難う〜
カネボウの奥嶋さんね
昔日本リーグ中継で珍しくカネボウ戦が放送された時に
めったに無い放送に色めき立ったのかカネボウの選手がバッチリメイクで登場してたわw
だけど素材も相まって何か色々と無理のある印象だったわww
今思えば自社製品のキャンペーンだったのかしら?ww 奧嶋の打球のスピードは私より速かったと樹里が語ってるのを覚えてるわ >>200
シャープさでは日本一だったよね。カネボウとすれば真方 岡松 花田が今ひとつ伸びなかったのが誤算だったわね。 カネボウと東洋紡が好きだったわぁー
初めてサインもらった選手は田渕さん、実家の押し入れにあるはずよw >>203
サウスポー曲者 田渕ね。北井とかも上手かったよね。 当時の日本リーグで失セットゼロの快進撃を続けていた日立
ほとんどの相手が10点以下しか取れないダントツの強さの中で
唯一、15-13まで迫ったのが北井有する東洋紡でしたね >>205
デカイ佐藤ー井上でセンターで久繁セッターかしら。
北井はカネボウ真方と大阪女短附でエース対角よね。 東洋紡の田渕さんてユニチカの水原さんより綺麗なサウスポーの人?
北井さんてダダみたいな顔の人かしら?
ユニチカは若生さんが大成しなかったわね。 >>210
若生姉妹 西川 林 那波 結城 高城とか色々 泣かず飛ばず。 高校の頃から注目されて鳴り物入りで実業団に入って活躍して
全日本入ってそれなりの実績残した選手って
大林と木村沙織くらいしか浮かばないわ
他のメダリスト達は皆んな無名だったわよね? 高校時代に日本一になった選手は大成しない
by 柳本晶一&中田久美 >>218
大林と木村ほどは全日本で実績残してないけど、
大山、栗原、荒木、新鍋、岩坂あたりも高校時代に実績残してるわね >>217
77W杯あたりの韓国かな?
劉敬花ー柳貞恵のツーセッター、曹ケイテイー金苑福のレフト。辺京子ー対角ライトが郭?
いいチームだった。
特に劉敬花172cmの打てるセッターは、松田紀子がライバルと月刊バレーボールでコメントしていた。
ソ連がブルダコーワが引退して、ムラジャン、ベルゲンとモントリオール五輪期セッター難だったため、
松田か劉かが間違いなく当時世界一のセッターだったろう。 ライトは沈順玉か。レフト金と合わせ、
W杯前77年世界ジュニア選手権(ブラジル開催、確か第一回)で
韓国が優勝。中国が二位。日本は周暁蘭や楊希がいた中国に決勝リーグでフルセット勝ちするも、韓国にストレート負けして三位だったはず。
須藤ー奥嶋、江上ー金子、セッター森田でライト橋口か川原。
「娘は育たぬ東洋の魔女」「甘さに外人記者失笑」
三位に終わった後の朝日新聞には、このような強烈な見出しが躍った。
ジュニア強化策の遅れと、インタビューで海外主力選手のことを尋ねた際日本のスタッフが答えられなかったことを手厳しく記事にしていた。
今から見ればまだ幸福な時代に思えるが…。 沈順玉は不運な選手だったわね。
77年81年WCは怪我でメンバーから外れて、83年アジア選手権では肝心な日本戦で体調不良であっさりスト負け。
87年にツインテールでw久々にナショナルチーム復帰も、88年のNHK杯後にチーム内のゴタゴタで外される。
ソウル五輪の為に復帰したのに五輪に出られなかったわ。 >>223
朝日新聞は
反日ザイニチ朝鮮人&支那人の会社 今というかアトランタ後の水泳ニッポンって
競泳は本来個人種目なのにやたらチーム意識仲良し意識を強調するようになって
協調性に欠ける選手は排除される傾向があるけど
今の選手団に群れない選手がいたわ
最年長の古賀淳也よw
普通なら引退する年齢なのに2021年福岡世界水泳まで現役続行宣言まで飛び出したわw
何処までもKYな古賀淳也に注目ねw まあそれはあるかもね
陸上は徹底した個人主義のマラソンの成功例があったから、
チーム意識仲間意識は希薄で個人主義な所があったけど、
日本マラソンが転落して逆にチーム種目のリレーがある短距離陣がチーム意識仲間意識を協調して群れ出して結果は出てるのよね ただチーム意識仲間意識を持ってチームワーク良く群れるのもいいけど、
仲良し軍団になってしまうとお互いに妥協してしまうのよね
特に女は
あの選手はこのレベルでやってるから私もいいかなみたいな
近年の女子の伸び悩みはこの辺にありそうよね
アトランタでの歴史的な惨敗からチームワーク重視で復活はしたけど、
もう20年以上経っているわけで、
チーム作りとしてそろそろ曲がり角に来てるのは確かよね まあ普段の世界水泳だったら例えこの結果でもそれほど叩かれることはなかっただろう
ただ今回は3年後に東京五輪が控えてるからな
国としては前年のリオ五輪超えは当然という目で見てるから
まあ仕方ない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています