■転居し道場に通う
 仲邑さんは7歳から韓国にたびたび渡り、プロ志望の子どもたちが通うソウルの道場に出入りした。
昨年1月から思い切って家族と大阪から引っ越した。
 「伸び悩んでいた娘の殻を破りたかった」と、父の仲邑信也九段(45)は言う。引っ越す前は
大阪の関西棋院の院生(プロ候補生)だった。順調に昇級したが、飛び抜けて速いほうではなかった。
院内に同じ年ごろの子はほとんどおらず、寡黙だったという。
 ■すごく負けず嫌い
 ソウルの囲碁道場には仲邑さんと同世代の子どもがたくさんおり、しかもレベルが高い。5年前に
道場を開いて11人のプロ棋士を送り出した韓鐘振(ハンジョンジン)道場は、約40人の道場生を
抱える。「韓国では学校教育に優先して、囲碁修業に専念する環境が認められています」と
韓九段(39)は言う。信也九段は朝から晩まで碁盤に向かう子どもたちを見て「娘が世界を狙うには、
ここでやらせたい」と腰を据えた。
 並外れた負けず嫌いの仲邑さんは、同世代から刺激を受けた。初めて年下の子に負けたときは
「人生終わった」と大泣きしたが、その後は負けなかった。性格もはじけた。「おてんば娘。
よくしゃべり、よく遊んだ」。仲邑家の通訳を務めた税理士の梁世模(ヤンセモ)さん(43)は言う。
 昨年5月、日本の院生に当たる韓国棋院の研究生に。院生師範が棋力を判断して入会を認める
日本と違って、研究生は下部リーグを戦い、上位に食い込まなければ入れない。当時最年少で研究生に
なった仲邑さんは、今年さらに上のクラスに進む予定だったが、昨年12月、日本棋院からプロ入りの
オファーが来た。
 韓九段は「もっとここで力をつけてから帰国してほしかった」と言う。プロとの真剣勝負を重ねるこ
とが上達の一番の早道であることを認めつつも、対局のない日の練習環境はソウルのほうが望ましいと
言う。「時間が許す限り、ここで勉強してほしい」
 仲邑家もそのつもりでいる。崔九段との対局後も、しばらくソウルにとどまり鍛錬する。目標である
世界チャンピオンになるために、プロ入り後も日韓の往復生活が続きそうだ。(大出公二)