「囲碁は地を争うゲームでなければならない」っていうのは感情論じゃないの?
元々は「取られない石の数を競うゲーム」(純碁)だったのが日本に来て「地を争うゲーム」に変化したわけだが、後者のゲーム哲学が最優先される理由は?