囲碁のルールについて語るスレ 2
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日本ルール、中国ルール、その他のルールについて語るスレ
【禁止事項】
同意のとれない価値観について強要したり、自分の価値観の正当性を主張したりするのは禁止です
どうしてもそういうことがやりたい人は別スレを立ててください
例:
・囲碁のルールは世界で統一されるべきである
・古いルールこそ正統であり、新しいルールは不当である
など >>163
実際セキ判定だぞ
それだと白が大敗だから互いに劫を取り続けて無勝負だよ
これを禁止するルールは韓国にはない
それに全局死活ってわけでもない いまだに対局停止の同一コウの取り返しはコウごとにパスしないとできないに納得行かないんだけどどうにかならんの
急にコウのルール変える事で実戦で起こりうる事と結果変わってるじゃん >>166
さてそれは、どういう意味で言ってるんだろう? どの程度の前提知識を備えている?
このルールの発端は、次の例図で左側の白が全部「実戦的に取れない」という結果があまりに異様である(碁の死活感覚的に受け入れられない)ことだろう。
つまり先人たちは、実戦の結果に納得できないからこそ、実戦とは違う結果を求めて敢えてそういうルールを選んだのだ。
この『思想目的』そのものを否定して、生きとすべしということなのか?
┌○┬●○┬┬┬○○┬┬┐
○●●●○┼┼┼○○┼┼┤
●┼●○○┼┼┼○○┼┼┤
●●●○○○○○○○○○○
●○○○○○○○○○○○○
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├○●┼●○○○●●●●●
○○●┼●○○○●●●●●
├○●┼●○○○●●●●●
○●●┼●●●○●●●●●
●●●●┼┼●○●●┼●○
○○○●●┼●○●●○○┤
└○┴○┴┴●○●┴●○○
それとも、左の白は死だという思想は否定しないけれど、その『具体的な方法』を修正したいということだろうか?
後者であれば、どういう案が考えられるか。
盤面を「部分部分に切り分ける」ような、もっと上手い定義は果たしてあり得るのか。
あるいは、幾つかの弊害から中国でも完全には施行されていない全同形禁止を採用か。 仮に月光の生きを認める全局死活でプレーしたとして
それも超コウルールがあれば左辺は死ぬのかな? ちなみにこの問題は中国、韓国、台湾ではそれぞれどう処理されてるんだろう >>168
超コウの下では、両コウをコウダテに利用しようものなら次の瞬間
同じ両コウを相手に取り返されて死ぬこととなる。
その間、月光生きの部分も何も解消できない。よって完全に無効。
ついでに隅のマガリ四目の場合はどうかというと、
隅四と両コウを両者それぞれが取り合うフリカワリとなる。
だからこの場合にはコウダテとして十分意味があるが、
このやり取りは両コウに限らないセキ一般とのフリカワリとまったく同じと言える。
ようするに、一度きりの捨て身のコウダテだ。 ところでだが、「月光生き」とはそもそも何であろうか?
「月光生きの『死』」に如何なる根拠を与えるかの問題は、『月光生き』なる概念(形)そのものの問題でもある。
┌○○┬●○┬┬
├●○●●○┼┼
●●●●○○┼┼
○○○○○┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼
●●●●●●┼┼
○○○○○●┼┼
└●●┴○●┴┴
中国ルールでは、上のセキが残っていると下のナカデは死ではない(理論上はそうなる)。
そしてこの問題に、超コウは何も影響しない。
一方で、部分死活では死だろう。
ようするに超コウなら月光の生きではないが、部分死活ならば月光の生きに該当する。
(個人的な感覚では、この図も「月光の生き」という語から連想される様態にいかにも一致する)
2つのルールは当然ながら別物だ。
とかくこの件で引き合いに出される隅四の死活の違いは言うまでもない。
この話は、さらに眼あり眼なし三劫にも関わる。
韓国ルール、あるいは日本ルールでも改正前までは、眼あり眼なし三劫は生き扱いだった。
言っておくが、どちらも部分死活での話だ。
ようするに、眼あり眼なし三劫は部分死活でも死とは限らない。
(現行の「パスをするまで同一コウは取り返せない」ルールでは死になるが、
このルールにはもっと根本的な問題――>>9や、あるいは幾つかの死活例を再現できない――が存在する。
ただしこの問題の要点は、「実戦と結果が変わること」ではない。)
一方で、超コウ(同形禁止の類)ではどうあっても眼あり眼なし三劫の死は免れない。
したがって、眼あり眼なし三劫の扱いもまた「月光の生き」の概念において重要な分岐点となる。 ちなみに韓国ルールでは、昨年の農心杯でまさに出現したように、眼あり眼なし三劫どころか、
次図のような形ですら生きになる。
○○●●●○┬┬┐
├○●┼●○┼┼┤
○○●●○○┼┼┤
●○○●○┼┼┼┤
├●○●○┼┼┼┤
●●○●○○┼○┤
├●○●●○○┼○
●●○○●●○○●
●○┴○●┴●●┘
ちなみに比較としてもう一つの図も載せておこう。
○○●●●○┬┬┐
├○●┼●○┼┼┤
○○●●○○┼┼┤
●○○●○┼┼┼┤
├●○●○┼┼┼┤
●●○●○○┼○┤
├●○●●○○┼┤
●●○○●●○○┤
●○┴○●┴●○┘
こちらはいくらなんでも死のはずだ。
前図との違いは中央黒石に尻尾がついているかどうか。そこが黒の生死の明暗を分ける。
これ如何に?
※繰り返すが、韓国ルールはあくまでも部分死活だ。前図は「部分的に取れない」から生きになるだけである。
ただし、『部分(関連する範囲)』というものの厳密な定義は明らかではない。
最後に、超コウによって引き起こる現象も再確認しておこう。
三劫や長生がほぼ無勝負になっている実態を説明できなかったり、
そもそも人間のプレイするゲームとしては不向きだというのに加えて、
さらに以下のような図であまりに常識外れの変化も生じる。
┌○●●●●○○○
●○○●┼●○┼┤
├●○●┼●●○○
●●○●┼●○┼┤ コミ6.5
├○○●┼●○○○ 超コウではどうなる?
○○●●┼●●●○
●●●●●○○○○
○○●○○●●●●
└○○○┴●○○┘ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています