囲碁のルールについて語るスレ 2
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日本ルール、中国ルール、その他のルールについて語るスレ
【禁止事項】
同意のとれない価値観について強要したり、自分の価値観の正当性を主張したりするのは禁止です
どうしてもそういうことがやりたい人は別スレを立ててください
例:
・囲碁のルールは世界で統一されるべきである
・古いルールこそ正統であり、新しいルールは不当である
など >>15みたいなねちっこい書き方はコンピュータースレ・前スレを崩壊に導いた荒らしの特徴
スルー推奨 >>16
はいはい気に入らないレスはみんな荒しってことね
自己解決したって書いといたのに中身のないレスされたんだもん
多少ねちっこくなるのもしょうがない ひょっとしたら>>16が荒らし本人かもしれない
こういう自演するのがやつの十八番だった
なんつってな
コンピュータースレ・前スレを崩壊に導いた荒らしのせいで妄想と不信が蔓延している
ほんといい迷惑だ スルーしたほうが良いのかもしらんが>>14は正しくない
正しい死活判定はこのまま終局した場合は全ての黒石も白石も生き石であり、かつダメを有する生き石であるからセキ石となり黒地も白地も0目 >>9
"パスをせずコウを取り返してはいけない"とそのまま解釈する場合は手入れが必要になるんだな
両コウ生きの場合、コウが発生している場所は別なのだから、
★○┬○┬●○┬
├●○●●●○┼
●●●●○○○┼
○○○○○┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼
ここから死活確認において、
1の2に白が打ったら黒は3の1に打てるように改訂しなきゃならんと思う
「パスをせず、"取り跡の"コウを取り返してはいけない」かな
と、思ったんだが改めて第七条死活第二項目を見たらちゃんと
>"同一の"劫での取り返しは、行うことができない。
と書いてるじゃないか ふたりとも間違えているだろう
>>19
白は死石だろう
生きというのなら、その理由を説明してほしい
>>21
同一コウ禁止ルールがあるから黒は★には打たない
手抜きでコウパス
すると白はセキにするしかなく、それはつまり全体の黒石が生きだということ
ところが黒▲だけは死石となる
すると、自陣中に自分の死石があることになるので、規約により地にならない
よって白石も死石だが取り上げられない
>>9の本質は、生石同士のセキではなく、死石同士のセキだ >>22
┌○┬○┬●○┬
├●☆●●●○┼
●●●●○○○┼
○○○○○┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼
★の一手前はこの形
同一コウ禁止ルールには抵触しない
即ち両コウ黒生きで手入れ不要の黒地8目 >>22
もう一度規約を読み返した
「黒が手入れ不要を主張した場合」、白の手番から死活確認が行われる
その場合、今現在アタリになっている黒石「のみ」は死に石と判定される「可能性はある」が、
他の黒石や白石は「相手方の着手により取られない石、又は取られても新たに相手方に取られない石」であるから
「生き石」である
なお、アタリになっている黒石が死に石であるとしても、ダメを有するセキ石の中の石であるから取り上げられることもない
遡って、このまま終局した場合は双方ともセキ石であり黒地は0目となるから、黒は手入れが必要となる >>23
>手入れ不要の黒地8目
あのね、規約上は手入れ【必要】になるということを議論しているんだけど >>24
修正
「相手方の着手により取られない石、又は取られても新たに相手方に取られない石」
↓
「相手方の着手により取られない石、又は取られても新たに相手方に取られない石を生じうる石」 >>25
規約上でも手入れは不要と俺はみてるんだが
どこの条文か引用してくれません? >>24
答えになってない
こちらが尋ねているのは【白が】生きである理由だ
白が生きを主張する場合は黒の先番から死活確認が行われる
どう考えても生きなわけがない >>23
第九条の「対局の停止」後での、死活確認の際における同一の劫での取り返しは、行うことができない。
ただし劫を取られた方が取り返す劫のそれぞれにつき着手放棄を行った後は、新たにその劫を取ることができる。
https://www.nihonkiin.or.jp/match/kiyaku/kiyaku07-2.html
と規定されてるから黒は3の一のコウを取り返すには一度着手放棄が必要なんだよ
だから黒から1の一に打って両コウの形にすると、白に取られて黒はどちらのコウも取り返せなくなるし、着手放棄すると白に全部取られる >>27
規約上手入れ必要は、>>9のツイッターのとおり多くの精通者の共通意見だ >>29
★○┬○┬●○┬ ここから
├●○●●●○┼
●●●●○○○┼
○○○○○┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼
┌○┬○┬●○┬ 白にこの様に取られたとき
☆●○●●●○┼
●●●●○○○┼
○○○○○┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼
┌○★○┬●○┬ 黒は★に打てる
○●┼●●●○┼ なぜなら"同一"のコウではないからだ
●●●●○○○┼
○○○○○┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼ >>28
なるほどねえ
「生き石」の定義は
相手方の着手により取られない石、又は取られても新たに相手方に取られない石を生じうる石
https://www.nihonkiin.or.jp/match/kiyaku/kiyaku07-1.html
だな
白石は相手からの着手によって取られる石であるから死に石、黒石は取られないから生き石なのか
とすると手入れは不要なの?
本当なのかな? >>31
対局停止後は「コウの取り返し」全般が停止されるんだよ
取り返すコウ各々全てについてパスが必要
なんか確かに規約の日本語も分かりにくいが
君の解釈だと「両コウに仮生あり」も否定できなくなっちゃうでしょ 第七条−2
第九条の「対局の停止」後での、死活確認の際における同一の劫での取り返しは、行うことができない。ただし劫を取られた方が【取り返す劫のそれぞれにつき着手放棄を行った後は】、新たにその劫を取ることができる。 >>34
https://www.nihonkiin.or.jp/match/kiyaku/kiyaku07-2.html
の下図の「白7上隅パス」を見ろ
君の解釈だとこの白7もパスせずに左上のコウを取り返せることになるだろ
繰り返しになるが、死活確認ではコウの取り返しは全て着手放棄が必要 >>32
>>22を読んでほしい
白先で黒はセキを選べば全体が生きに思えるが、
>>10のとおり実は▲の石だけは取られることになり、▲だけは死石となる。
こういう場合は、黒全体に囲まれた一帯はダメ扱いになり、黒白どちらの死石も取り上げられない。
事実上のセキ扱い。 >>35
それは死活確認において無限のコウ立てを使ってはいけないという規定ではないのか
どこに部分的死活においてもコウ取り返し禁止と書かれているのか >>38
どこのコウの取り返しも着手放棄なしでは禁止と解釈されるべきだよ
下記ページなんか参考になる
「死活確認の際、取られた劫は取り返すことができない」
「死活確認の際取られた劫は取り返すことが出来ないが、パスした後は取り返すことが出来る」
http://kanagawa-igo.net/top/2014igokiyaku/2014igokiyaku.html ID:X4BcMDDtは>>35が読めないのか?
そして規約のどこに
「死活確認において無限のコウ立てを使ってはいけない」
みたいなことが書かれているのか?
そもそも無限のコウダテの定義はなんだ?
そんな区別は規約上存在しない。 >>41
うん、だから、横座標1と3同一じゃないよね?
>>40
ごめん、書いてたね
>対局の停止とともに、
>"劫の取り返しは停止となり、"
>たとえ「両劫ゼキ」など無限の劫立てがあっても、それを利用して劫を取り返すことはできない。
解説が間違ってるって言いたいけど流石にそこまで言うのは野暮だからここらで折れるわ
手入れは必要でいいです。 >>37
なるほど
アタリの石だけ死に石扱いになって黒地ではなくなるのか
しかし「新たに相手方に取られない石を生じうる石」って定義が不明確すぎるきがするけどな
例えば白の取りに対して黒が1の二に打った場合、その石は「新たな石」扱いにはならないのか?
まあ手入れが必要っぽいにしても自分がちゃんと理解してたわけではなかったのが分かったので勉強になった >>42
囲碁規約はいろいろと分かりにくいから気にするな
悪文と言っても差し支えないくらいだ >うん、だから、横座標1と3同一じゃないよね?
うん、だから、同一でないでしょ?
ということは、左のコウと右のコウを区別して、取り返すにはそれぞれにつき着手放棄(パス)が必要なんだ >>45
そう解釈するのか
しかしそれならわざわざ"同一の" なんて記載は不要じゃないか
横座標1のコウを取られたら1をすぐ取り返してはいけない
横座標3のコウを取られたら3をすぐ取り返してはいけない
こういう意味での"それぞれ"と俺は解釈してた >>43
「新たに取られない石」が生じたかどうかは、死活確認の停止後に判断するものだろう。
>白の取りに対して黒が1の二に打った場合
当たり前だが、それに対しては白がコウを取り返すだけ。すると黒は規約7−2により打てなくなるから次に白に取られて全滅。
そこで検証は終了し、黒側に新たに生じた取られない石は存在しない。 基本的な質問ですけど、このスレだけでも「死活確認」って言葉がたくさん出てきます。
具体的にどんなケースでどんな手順でどう確認するのですか
「日本囲碁規約」にも「死活確認」ってことばがあるけど、具体的なことは全く触れられていないように思うのですが >>46
条文だけ読んでもどう解釈していいかわからない点はほんとそのとおりだ
死活例まで読み込んで実際にどう運用されているかを理解して、それでようやく8割くらい呑み込める
さらに、>>3にある「日本囲碁規約の問題点」まで読んで補完して、やっとかなり正確にわかる >>47
┌○●○┬●○┬
弐●@●●●○┼
●●●●○○○┼
○○○○○┼┼┼
├┼┼┼┼┼┼┼B白ツグ
俺が言ってんのはこの黒弐が「新たに生じた生き石」と捉えられるかどうかだよ
まあ普通に考えたら違うんだろうけどこの黒弐が「新たに生じた生き石」に含まれないのかは規約からは明瞭ではない >>48
死活確認を定義するとすれば、お互いが着手放棄して対局停止せざるを得なくなった状態にて、
地の計算に移行する前に「この石は生きか死にか?」ということを架空の想定着手によって検証すること。 >>50
ああなるほど、それは微妙な問題だ
というか実は俺も、「新たに取られない石を生じる石」の定義についてはおおいに疑問があるんだ
雑談スレにもかいたことだが、「新たに取られない石」というのは盤上のどこに生じたら認められるのかについて、
規約には一切言及がないように思える。
たとえばこんなのはバカバカしい話だ。
-----------------------------
┌☆┬●○┬○●┬●
●●●●○┼○●●┤
○○○○○┼○●┼★
├┼┼┼┼┼○●●●
├┼┼┼┼┼○○○○
├┼┼┼┼┼┼┼┼┤
┌☆┬●○●┐
●●●●○●★
○○○○○●┤
├┼┼┼○●●
├┼┼┼○○○
├┼┼┼┼┼┤
白☆と打たれても黒★と新たに取られない石を生じるから活石である!? >>52
極論すればそこに行き着くわな
こうなると全ての盤上の石は事実上「生き石」になる
最大限忖度すれば「新たに地を増やすか、相手の石を取るかして得を図ることができる生き石」くらいの意味なのかもしらんが
これで十分なのかもよく分からんし、規約として適切な表現に直すのも難しい
明言を避けるためあえてあやふやな表現を使ってるようにしか見えんな
まあでも手入れはおそらく必要で、その理由が思ってたのとは全然違ったのは勉強になった >>51
レスありがとう
俺が疑問に思うのは、死活で合意できないとき、お互いマッタもありで生きてるか死んでるか確認することが死活確認じゃないのかってこと
いずれにせよ盤面崩すから、元にもどすのたいへんだなあ >>54
>死活で合意できないとき、お互いマッタもありで生きてるか死んでるか確認すること
まさしくそれが死活確認ということになる。
盤面を戻すのは大変だけど、現代ではそれを理由にして地を数える日本ルールを否定するのは根拠が弱いと考えている。
トラブルが起きたときくらいはコンピュータの力を借りればいい。それなら終局盤面を保存したり、元に戻すのは簡単。 「マッタあり」が真剣味にかけるとか、あるいはいつまで経っても意見があわない。審判もいない。
そんな場合の対策なら、「死活確認」ではなく、「死活決着」だ。
対局者同士の棋力でもってして七条に沿ってマッタなし1回きりの勝負をすればいい。
どう決着をつけるかというのはあくまでも盤外のルール。アマ同士の遊びなら自由にやればいいんだ。
つまり日本ルールだろうが工夫次第で実戦解決的なことはいくらでも可能。
ただしそのためには、死活や地の数え方のルールといったテクニカルな部分を、
曖昧さや齟齬の生じないようにしっかりさせないとならんが。 マガリ四目が二つのスミでできたらどうすればいいの? どうすればって、曲がり四目の形なら劫ダテにもならないし、
通常形を理解しているなら何箇所存在しようが普通に解決できるはず ところで、「死活確認」というものを明確にしておくと、
実は曲がり四目の説明を簡潔明瞭にすることができる。
囲碁ルールの話といって先ず思い浮かぶのは、やはり曲がり四目の話だろう。
ところが自分はついぞ、これの腑に落ちる説明を今の今まで一つも
見聞きすることができなかった。
さて、どういうわけだが世間では、"万年コウ併存等の特殊ケース"を
想定しているわけでもなかろう初中級者に対して、この説明に
規約七条を持ち出したり、突然別ゲーの純碁の話を始めるようなのが多いが、
それらは自分に言わせればまったくの【デタラメ】だ。
むしろさらなる混乱を招くのみ。
『なぜそんなルールがあるんだ?』
『なぜ自陣への着手が損にならない別ゲーが突然出てくるんだ?』
こう言われるのがオチ。
そもそも通常の曲がり四目であれば、規約七条2などまったく必要ない。
規約の死活例7-1「隅の曲り四目」を改めて確認すると、
冷静にみれば七条の特殊なコウルールなどまるで適用していないことがわかる。
本劫を仕掛けての劫取りに対し、他方はすぐに取り返せないからパス、そして取り上げる。
どれもいたって基本ルールどおりのままではないか。
さらに、両者の着手放棄後には、一方的に取りにいける石を
わざわざ地を埋めずにそのままハマにしてよいことは
皆が日本ルールで打つ時ごく当たり前に守っている原則なのであって、
純碁の話など始める必要はどこにもない。
たとえ劫ダテが残っていようとも、たとえばセキ崩れを周りから順番に
取りに行く着手が終局前に必要などとは誰も思わないように、
劫ダテを消す着手も同じ理屈で考えればよい。それだけのことだ。
むしろ純碁の話などすると、万年コウ等の特殊ケースの場合に
結果が一致しないじゃないかと逆に突っ込まれることになる。
ようするに、曲がり四目の説明においてもっとも肝心なことは、
「死活確認」の原則なのである。それはつまり、
お互いが自由意思により着手放棄をしたら――@
死活は想定着手で検証する。――A
ということである。
ところが、ここに焦点を当てた解説というのはまったく見当たらないのだ。
なぜ皆、問題の本質を見誤ってしまうのか?
それは推測するに、規約の死活例が濫りにこの条項を当てはめていたり、
「死活確認」というものを明確にしていなかったりもあるだろうが、
さらには、劫というものを特別視しすぎているのではないかと思われる。
なぜなら日本の慣習ルールでは「本劫は手入れ必要」になっているからだ。
とすると、曲がり四目取り上げの想定手順中では本劫が発生するのだから、
最後に本劫を解消するための一手分の手入れまで省略できるかどうかは微妙かもしれない。というわけだ。
ところで。
さきほど私は、「本劫は手入れ必要になっている」と言った。
それはいったい現規約のどのルールだろうか?
…お気づきのとおり、「本劫は手入れ必要」をルール化しているものこそが、規約七−2なのである。
そういうわけで、曲がり四目について本質とは程遠い説明をこれまで散々見聞きし続けてきた私は、
以上のような真実に気づいたとき、3段ウェーブの衝撃を受けた。
この条項のおかげで曲がり四目が死になっていたわけではなく、
この条項のせいで曲がり四目が死である本質が煙で見えなくなっていたばかりか、
この条項があるがために曲がり四目は日本ルールでも死で当然だと胸を張れなくなっていたのである。 中国ルールと日本ルールそれぞれの「ぬるさ」
http://goxi.jp/diary/47497
これ面白かった http://goxi.jp/diary/46858
http://blog.livedoor.jp/genkuroki/archives/cat_10105077.html
両氏とも現行日本ルールへの批判を繰り広げて池田ルールを推奨しているのだが、
残念ながら理解が浅く感情論も混じっていて拙速な結論になってしまっていると言わざるをえない。
ちなみにここでいう「感情論」というのは、いわばゲーム哲学の違いである。
たとえばこういうことだ。
日本ルールが地の争いに立脚したゲームであるならば、
お互いが地を損する手しか盤上に残らなくなった時点でゲームは終わっているはずだ。
その先にもまだ大きな変化が残されているかの如く考えるのはただの幻想である。
実際にはもうお互いに打たないのだから、その先の<未来>も現実には存在しない。
であるならば死活は、その終局盤面のままの状態で個々の石に対して一意に判定を下せる
部分死活論で判別すべきだ。
だから、
「パスにペナルティをつければ手入れが損にならないから打ち続けられるだろう」
などという話は論外である。
そんなことまでして無理やり続けることは、もう「地を争うゲーム」からは逸脱した別のゲーム。
根本的に哲学が異なるのだ。
たとえば曲がり四目とセキが併存するとして、その終局盤面でどちらが手段を有するのかの優劣差は歴然としている。
だったらその差をもって「死に」とするのは立派に道理は通っているだろう。
対局はもう終わっているはずなのに、パスペナや同数着手を強制してまでなぜ打ち続けなきゃならんのだ?
なぜ敵に塩を送るマネをして、相手に反撃のチャンスが訪れるまでむざむざ誘導しなきゃならんのだ?
そもそもパスペナや同数着手というのは、現行日本ルールの特殊な死活ルールと比べて不自然じゃないと言えるのか? >>60
ゲームのルールに"ぬるさ"なるものなど本質的には存在しないということを強調しておこう。
ルールはあくまで単なるルールだ。
もっとも池田氏ですら、中国ルールの偶数ダメ問題を"ぬるさ"と捉えているのだが、
はっきりいってこれは恣意的解釈である。
そもそも日本式であっても、セキのない半目勝負においては、
コミが偶数ならば奇数ダメの時に、あるいはコミが奇数ならば偶数ダメの時に、
自分の手番で迷ったら手入れしてしまえばいい。
この理屈は、コミ6目半の半目勝負で最後にダメを詰めたほうが負けになる原理の裏返しである。
従ってこのような問題は、中国式の問題というよりも、碁(盤)そのものの性質なのだ。
というかそれ以前に、半目勝負などでなければ対局者は"ぬるい"などという恥など気にせず
不安なら手を入れてしまうことだろう。
もっと単純な話、中盤で大差がついてしまったら優勢側はぬるい手のオンパレードに違いない。
ぬるさがルールの欠点たりうるのであれば、そういうことも欠点だということになってしまう。
…が、荒唐無稽であることは言うまでもない。
そういうわけで、この問題を「ぬるさ」と捉えるのは、客観的な分析とはいえない。
正しくは、
『中国式計算法の元では、何も考えずに手を入れてしまっても勝てるだけの差を"はじめからキープしていた"』
と解釈すべきである。
ではその差の正体はいったい何なのかと言えば、中国式では石を数えるが故に、
手止まり着手が黒番(総手数が奇数…つまり黒の着手が一手多い)の場合には、
白番よりも1目の利得が発生するということである。
ところで、現代では先手有利解消のためにコミというルールが常識になりつつある。
その本来の意義を鑑みるならば、中国ルールにおいては手止まりも考慮して細やかに調整する方がより公平だといえる。
また、瀬戸プロの実戦例についても同様に客観的に分析する必要がある。
それは要するに、日本ルールにおいて終局を「2連続パス」として規定した場合に、
最後にコウの眼が残っていた場合にそれを地として数えるかどうかという問題である。
したがって、コウの眼を地として数えるならば、地を争う日本ルールにおいても
結果は中国ルールと変わらないのである。 「囲碁は地を争うゲームでなければならない」っていうのは感情論じゃないの?
元々は「取られない石の数を競うゲーム」(純碁)だったのが日本に来て「地を争うゲーム」に変化したわけだが、後者のゲーム哲学が最優先される理由は? >>63
まさしく、>>61のような主張は感情論だと言っているのさ。
ただし、リンク先の批判も感情論だということ。
たとえば「隅の曲がり四目無条件死は不合理である」という考えは、本当に客観的なのかどうか?
現行規約が不自然だというのであれば、池田ルールは不自然ではないのか?
それらの問いに対して納得できる説明ができるのかということ。
地を最優先しなければならないわけでもなければ、
石を最優先しなければならないわけでもない。
中国ルールの結果が絶対的に正しいわけでもなく、合わせることに執着する必要もない。
地か石か、という論争はゲーム哲学の対立であってどちらも優劣は存在せず、お互いに否定はできない。
赤と青どちらが好きか?そういう問題だ。
とすると、日本棋院が地の立場を選択するというのであればそれに反対できる理由はないし、
目的が地であるならば部分死活論の採用は自然な帰結だという話だ。 念のために、黒木氏の考察について詳しくツッコミを入れておこう。
・規約七条2は作為的で奇妙だという意見だが、条文の内容を簡略化すれば、
「双方着手放棄後に死活でコウが発生する場合は最初の取り番が勝ち」というごく単純なルール。
条文が複雑になってしまっているのは厳密性の確立のため。
とはいえ、それも落ち着いて解釈すればさして難しい内容でもなければ曖昧さもなく、
コウを指定してのパスはあらゆるケースで紛れの余地はない。
・前出ルールにより常に「劫尽くし」とみなせる根拠は、
「終局盤面における手出しの権利の優劣差」であるとして正当化できる。
あるいは「両劫に仮生一」などは、「見た目が不自然」などのような非論理的な
直感すらもそれなりに説得力があるだろう。
・さらにこのルールは、「地を争う」という基本精神に基づいて終局となった盤面において、
死活を一意に判定するのに合理的だ。
このルールがなければ「セキの併存する曲がり四目」はもちろんのこと、
その逆、つまり「曲がり四目の併存するセキ」も、それがセキではないことになる。
・「ハマを損する循環は碁の目的に反するので認めない」という理屈は、自分には自明に思える。
・さらに、死活例17などが結果と合わないといった指摘もあるが、
それはルールの方がおかしいことの証明にはなっておらず、
順番として普通は、死活例の方が間違っているのだと考えるべきところだろう。
「死活例17が本当はセキだから間違っている」というのなら話はわかるが、
ルールそのものがおかしいことにはならない。
・そもそも、規約の死活確認例には始めに次のような注釈がある。
『以下の死活例の「活き死に」の判定は、例図の状態で「対局の停止」となり、
死活確認した場合の判定結果であって、終局前に実戦で解決することを妨げるものでない。』
つまり、終局前に両対局者が規約に忠実に照らし合わせて死活例17をセキであると判断したならば、
(両対局者の勘違いによる合意などではなく、真に)それが正しいのである。
・また、既にスレで触れたように日本囲碁規約(1989)の問題点
http://igo.main.jp/jp-rule-mon1989.html
では、手入れが必要になる不具合も挙げられているけれども、
さりとてルールの方が間違いなのかどうかは誰にもわからない。
棋院に裁定を任せた場合には、あるいはもしかしたら"手入れ必要"なのかもしれない…。
…そういうわけで、上述のような観点はどれも現行日本ルールへの批判としては、根拠が薄弱なのである。
さらには、池田案を推奨するにしても、
仮終局ルールがなにを意味しているのか?
これを説明できなければ、池田案を世に広められるほどに理解しているとは言い難い。
黒木氏は、碁の基本ルールを「物理法則」とたとえているが、
パスペナや同数着手というのはそれに反してはいないのか?
物理法則ではない新たな義務を対局者に課すのであれば、大義が必要だ。
だが、「中国ルールに結果を合わせる」などという理由では、主体性がなく大義に欠ける。
そんな理由では結局のところ、わけのわからない不自然なルールということになり、
現行規約とたいして違わない。
私が求めているのは
「地を争うことを選択した日本ルールでなぜそんなことをしなければならないのか?」
というゲーム哲学的な解答である。 先手、後手それぞれ一回ずつやって
合計で勝敗決められるようにしたらだめなんすか。
将棋とかチェスと違ってせっかく数値で結果出るんだし。 そうしたら一戦目がつまらなくなると思うぞ
切るか切られるかの戦いして50目くらい負けたらそれで終わりだから一戦目は安全策ばっかりになりそう
それはともかく、2局やってまで平等性を保とうって発想は先人には受け入れられなかったんだろうな >>68
> 2局やってまで平等2局やってまで平等性を保とう
それは互いに先で打つのとはちがうのか 先後入れ替えての勝負は番碁で実際に行われている。
しかし>>67の提案は数値を持ち越すことのようだな。
でもそれは2戦目が事実上のハンデ戦になるということ。
将棋で言えば駒落ち、100m走ならスタートラインが違うようなもの。
それは本当に平等か?
なにより打ち方そのものに影響する。定石も変わってしまうだろう(秀策の黒番コスミのように)。
と考えれば、少なくと棋譜の残る公式対局に相応しいルールではない。 どうしても目数の数値を使うのなら、いっそ勝敗の概念を無くして、リーグ戦全部で目数を出してその総和で順位を付ける、とかになるのかな 日本囲碁規約が正しいルールというわけではなく、古来の日本ルールを正当化しただけ
正直、こじつけもいいとこだと思う
だけど、日本で特に取り決めがないときは日本囲碁規約に従うべきだな サッカーでホーム&アウェイの2戦合計で勝敗を決めるってよくあるし、ありえなくはないな。
碁の質は変わるだろうね。負けてるときの一か八かの勝負手がやりにくくなりそう。 先手後手を入れ換えた2面で同時に進行すれば時間の節約になるな。 ようするに半目負けも100目負けも同じ負け(勝ち)だったのが
大差で勝つことにインセンティブが生じることになる。
新しいゲーム性が生じるのは確かだが、
しかし囲碁の他ゲーにはない特徴として、実力にかかわらず死活や攻め合い、コウが絡むと
いっきに大量失点の可能性があることは注意すべきだろう。
しかもそれを常に読み切るのは高段者でも難しい。
となると、本能的にリスクを回避しようとする人間は
ひたすら堅い手を打ち合ってのヨセ勝負が頻出することが想像できる。
それがゲームとして面白いかどうか。
リーグ戦等で採用するとしても、小差で全勝するよりも、
相手のうっかりミス等で偶々大石を仕留めた1勝のほうが何倍も有利になったりする。
それが実力の序列として適切なのかだ さらに数値を出さなければならないということは、
いかなる状況でも基本的に投了は認めないということになる
これも大きな変化だ 将棋の世界のことはよく知らないけど、50手詰みと100手詰みの間に差をつけるようなもんかね >>77
100手って詰将棋じゃないんだから…
将棋で言えば何手差か(自玉が詰めろの局面で相手を詰ませば一手勝ち)という概念での評価だな
序中盤に優勢な方は受け潰しを目指して盤上の最善手を放棄することになる
つまり「斬り合いを完璧に読み切った一手勝ち」より「読み切れない安全勝ち」の方が価値が高くなるわけだから試合として確実につまらなくなるだろうね それより何手目で詰めたかでスコアを付ける感じか。
ゲームの方針がぐちゃぐちゃになる 仮に完全解析が終わって先手必勝のような結果が出たとして、
囲碁の最善手順はお互いの目数差が最も小さくなる手順だというのはおそらく見解の一致するところ。
しかし将棋の最善というのは、
必敗側が端から勝ちを諦めてひたすら詰みまでの時間を引き伸ばす手順なのか、
それとも一手差の局面が最も長い手順なのか、
あるいはその他?という疑問がある。 囲碁でも似たような考え方はありそう
必敗側が端から勝ちを諦めてひたすら詰みまでの時間を引き伸ばす手順
→石のぶつかり合いを避け最終的に最小の目数差で負ける手順
一手差の局面が最も長い手順
→大石の取り合いが生じ一手差で攻め合い負けとなる手順 >>78
囲碁の差って「何目半勝ち」ってのが常にはっきりしてるじゃん
将棋あまり知らないから持つ疑問なんだけど、将棋って「何手差の勝ち」って常にはっきり確定するもんなの?
スレチでごめん 将棋は、先手が王を取った後、後手が王を取ったなら、同じ手数で王を仕留めてるのだから引き分け。
なんてルールにしたら大変だなw >>61 複雑なルールはすべてダメだ。あるべきルールは「純碁から終局時にあきらかに石を置けるところに置く作業を省略したもの」であるべきだ。 世界の囲碁ルール
https://www.amazon.co.jp/dp/4818206741/
銘鋺は好きな棋士の1人だが、ことルールの考え方については真っ向から対立する。
「日本ルールと中国ルールは同じである」→着手、終局、死活、得点あらゆる点で異なる。人間はともかく、神様からしたら別のゲームであろう。
「終局は合意によって決まる」→終局は対局者各々の利己的な着手放棄によって決まる。そこに意思疎通は不要。
「日本ルールでは死活を部分判定にしないと隅の曲がり四目等で不都合だ」→全局判定でも何も問題はない。
「地はあやふやな存在だ」→それが全局判定にしろ部分判定にしろ死活確認を終えたなら、地は「生石のみに囲まれた格子点」という明確に定義できる可算量。
「中国ルールの問題はゲーム目的が二重になってしまうこと」→日本ルールでも厳密には「地+ハマ」という二重の目的になっているといえる。
「パスはコウダテになる」→これは言い換えれば「直前手番と同形になる着手以外は禁止しない」ということだが、是非はともかく日本ルールでも全局同形禁止いわゆるスーパーコウを導入することは考えられる。
「終局を三連続パスにする」→単純にそう規定すると、両劫ゼキが生じた際に無勝負になってしまったり、両劫生きの解消手入れが必要になる。
以上の反論はいずれも、銘鋺が日本ルールの利点として主張する「計算が早い」「得点ルールがゲーム目的と一致する」ということを否定するものではない。
私自身も日本ルールには日本ルールの良さがあると考えるが、ただしそれは、日本ルールが中国ルールと明確に違うからこそ価値があるのだ。
どちらも同じだとしたら統一してもいいじゃないかという話になってしまう。
終局後の整地計算の問題だけであればそれは番外のルールだ。 本書に挙げられているこの図は、日本ルールの死活が部分判定でなければならない理由にならない
ABCDEFGHJ
1┌┬┬●○┬●○┐
2├┼┼●○┼●○┤
3├●┼●○●●○┤
4○●┼●○○●○┤
5├○●┼●●○┼┤
6○○●┼┼●○○┤
7├○●●●●○┼┤
8●○○○●○○┼┤
9●●●○●○┴┴┘
上図のとき、白は手を出せないからパス。
一方黒も、白が手を出せないことを読み切ればパス。ここで終局。
そうすれば死活確認に入るが、黒白どちらから解決してもいずれは、
左下の白石が死、上のセキ部分の黒が死、という結果になる。
それを元図に当てはめると
ABCDEFGHJ
1┌┬┬●○┬┬○┐
2├┼┼●○┼┼○┤
3├●┼●○┼┼○┤ 黒ハマ9子+地23=32
4├●┼●○○┼○┤ 白ハマ5子+地21=26
5├┼●┼●●○┼┤ 結果白0.5勝ち
6├┼●┼┼●○○┤ (中国ルールと結果が変わるのは元図の最終着手が黒番だからであり、収後ルールでは一致する)
7├┼●●●●○┼┤
8●┼┼┼●○○┼┤
9●●●┴●○┴┴┘
本図はこのように部分判定でなくとも理路整然と解決できる んーだれもルール問題に興味ないのかな?
ひとつ図を出してみよう
日本ルール(コミなし)結果はどうなる?
┌●○●は┬○┬●○┬○┐
●●○●●○○○●○○○○
├●○○●●●●●●○●●
●●●○○○○○○○○●┤
○○○●●●●●●●●●●
●●○○○○○○○○○●┤
○●●●●○○┼○┼○●●
○○○●●●○○○○○○○
├○┼○┼●●●●●●●●
○○○●●●●○○○○○○
●●●●●●○○●●○●●
├●○○○○○●●┼●●┤
い●○┴○┴○ろ●┴●┴┘
争点は「い」「ろ」「は」の地点 中国ルールは明らかにおかしい。
自分の地に余計な手入れしても損にならないなんて。 >>87
王銘鋺の本は私も読んだ。あなたと同様、王銘鋺の主張に反対だ。
王銘鋺は純碁からの入門を勧めている。それは同感だが、純碁で入門するのならプロまで純碁を基本としたルールにすべきだ。
具体的には、純碁を基本とするが、明らかに石を置けるところを埋める作業は、対局相手から疑義がないかぎり省略してかまわないということだ。 確かにメーエンさん嫌いじゃないけど純碁は作戦としていいとは思えない。すくなくともサンプル実験でわかりやすい受け入れやすいとわかってから進めれば良かった 部分死活論が囲碁から幾何学的な美しさを奪うから日本ルールはセンスがない
しかしダメ詰めが得点に影響する中国ルールも同じくらい気持ち悪い
地+アゲハマでかつ全局死活論なルールがいい この形はコウだけど無条件死ですなんて頭の悪いルールを何で今も残そうとしてるんだろう >>99
頭の悪そうなやつだな
無条件死ならコウではないだろ ただの隅の曲がり四目の話なら「コウ」とは言わない。
仮にそれを「コウ」などと言うのであれば、
これだって劫ダテが残ってるうちは取れないことになるぞ。
├┼┼┼┼┼┼┼┤
○○○○┼┼┼┼┤
●●●○○○○○○
└●┴●○┴○┴┘
それとも、両劫に仮生き一つ問題まで知ってる上で
「頭の悪いルール」などと惚けているのかな スーパーコウでさくっと解決するような些細な問題だが?
秒で解決する問題をわざわざ覚えることを増やしているだけなんだよな スーパーコウでさくっと解決?
おまえはなにもわかってない
☆●○┬○
●○○○○
●○○○○
●●●●●
●┴●┴● >>107
終局処理でトラブルになるから中国は部分死活を辞めたんだよ
必要もないのに敷居を高くしてるの 中国の部分死活ってのはどういうもの?
終局処理のトラブルとは?
それから敷居の話は別問題
入門や指導のことなら後になってからルールとその背景を理解すれば済むこと >入門や指導のことなら後になってからルールとその背景を理解すれば済むこと
だから何で敷居を上げる必要があるんだよ
お前の相手は疲れるだけだ >>110
それがゲームというものだ
ルールを覚えるのが嫌だというのならルール無用の殴り合いでもすればよかろう
あとスーパーコウだって中国ルールでは三コウ等の無勝負は認めているので、
その辺りの曖昧さがまったくトラブルになってないわけではない >何で敷居を上げる必要があるんだよ
という理屈を重視するのなら、地とハマのルールも不要ということになる
確認しておくが、お前は>>97とはもちろん別人だろうな?
そして>>97に対しても「ダメが得点になって何か問題か?」と答えるのだろう 両者が着手をパスしたら終局になる、というルールはあったっけ?
そうでなければ>>103は黒死で>>105は白死だろう。 >>111
おれは110じゃないんだけど、ただいたずらに敷居を上げてるだけのルールだとしたら、「それがゲームだというものだ」というような鷹揚な気にはなれんなあ
ちょっと違うかもしれんけど、将棋の二歩禁止や打歩詰め禁止も敷居を上げてるだけの意味不明なルールだと思う 囲碁はプロ棋士ですらこんな状態だからw
三谷 哲也 @hfye865d 10月30日
これ、隅の形って白が無条件で取られてるってことでいいんでしたっけ?
30年近く囲碁やっててルールが今だによく分かってない
https://twitter.com/hfye865d/status/1322021343823458304
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