井山自身が「人間である自分がプロとして囲碁を打つ意味」をそういう部分に見出してるのかなと思う
「こう打てば勝つ」という手を打つのならオレじゃなくてもいい、みたいな
藤沢秀行も人真似して勝っても意味がないみたいなこと言ってたけど、井山も似たようなこと考えてるのかな
でも昔の井山は打ちたい手を打つかどうかのバランスが良かったのに、今は崩れてるように思う
AIとか世界戦とか記録とか色々意識しすぎなのかもしれん