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0001名無し名人
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2017/07/14(金) 17:48:08.51ID:ye5ud7+K
[test] 書き込みテスト 専用スレッド [てすと]
0854名無し名人
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2019/01/21(月) 04:20:12.79ID:OOXR4TkZ
高尾VS村川で十段戦挑戦者決定戦 1月31日に

 産経新聞社主催の囲碁タイトル戦「森ビル杯 第57期十段戦」の挑戦者決定戦が31日に、
高尾紳路九段(42)−村川大介八段(28)で行われる。十段2期の高尾九段は平成29年に名人を失ったとき以来のタイトル戦出場を、
村川八段は前期に続く五番勝負登場を目指す。
 午前10時の対局開始からウェブサイト「産経ニュース」で棋譜の進行を観戦できる。井山裕太十段(29)=五冠=との五番勝負は3月に開幕予定。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190118-00000596-san-cul
0856名無し名人
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2019/01/25(金) 05:36:16.20ID:8BvLi3rS
 今月21日には藤沢里菜女流本因坊(20)が、女流棋士として初めて7大タイトル戦の本戦で勝利した。今後は、女流棋士の
7大タイトル初挑戦への期待も高まっていくだろう。判官びいきかもしれないが、真剣に対局に臨む加藤の姿は、人の胸を打つものがあると感じている。
そして実力でも、ずっと男性中心だった囲碁界に風穴を開けることを期待している。(矢吹 大祐)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190124-00000072-spnannex-ent
0857名無し名人
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2019/01/25(金) 05:37:42.39ID:8BvLi3rS
 岐阜市在住の加藤は骨形成不全症という骨の難病のため、車いすでの生活を送っている。全国大会の少年少女囲碁大会で6年時に女子では
14年ぶりの小学生名人に輝くなど、能力は高かった。昨年はプロ1年目にして早くも女流タイトルの一つ、女流棋聖戦の挑戦権獲得にあと2勝まで迫る快進撃。
世代を超えた実力を秘めていることを証明した。
0858名無し名人
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2019/01/30(水) 08:18:06.21ID:hk4eC8TR
31日囲碁十段戦挑戦者決定戦に出場 村川大介八段に聞く

 コーヒー好きだ。コーヒーミルで丹念に豆をひき、粉をペーパーフィルターに移す。ケトルのお湯を少し注いで蒸らす。フィルターの中のコーヒーがゆっくりと膨らみ、
ゆっくりとへこむ。穏やかな時間が流れる。「癒やされますね」。静かに口にする。いれてもらったコーヒーは、人柄のようにやわらかく、深い味わいだった。

 盤上では力強く攻める棋風で、「外柔内剛(がいじゅうないごう)」という言葉がしっくりくる関西を代表する若手トップ棋士の一人だ。

 昨年12月、第14回産経プロアマトーナメントで4回目の優勝を成し遂げた。「準優勝も2回していて、得意な棋戦というイメージです」。決勝の相手はベテラン、
清成哲也九段(57)。「苦しかったの一言。勝ちにくい展開で、終わっても勝った実感がない不思議な戦いでした」と振り返った。

 昨年の成績は対局数56、37勝19敗。対局数と、勝ち星、賞金各ランキングで関西棋院の棋士ではいずれも2位と成績は順調だ。だが「勝ち星は多いですが、
竜星戦、王座戦は準決勝で敗れ、ここはというところで勝てませんでした。そこは残念です」と控えめに評価した。

 5歳のころ、祖父と父に囲碁を教わった。一つのことに熱中するタイプで、囲碁に向いていた。近所の碁会所に6歳のころに通うようになり、小学3年生で関西棋院の
院生になった。「碁会所とは違って強い人ばかり」。1年目は級位が上がらず苦労した。学校に行く前に棋譜並べをし、学校が終わると大阪市内の関西棋院囲碁学園
(現・こども囲碁道場)に通い、勉強を重ねた。「友達と遊ぶのは年に数回だけ。それでも囲碁をやめたいと思ったことはなかったです」
努力が実り、小学6年生だった平成14年11月、11歳10カ月でプロ入りした。当時、趙治勲(ちょう・ちくん)名誉名人の11歳9カ月に次ぐ2番目の若さだった。
ただ、プロに入ってしばらくは結果が出なかった。両親から禁止されていたテレビゲームを買い、友達と遊ぶようになり、勉強時間が減ってしまった。

 転機があった。15歳のころ、故・藤沢秀行名誉棋聖が神奈川県で実施した合宿に参加したのだ。そこで、戦わずに石を捨て、逃げるような打ち方を、藤沢名誉棋聖に
厳しくとがめられた。「逃げる姿勢はよくない。戦闘力をつけろ」この叱責は、まだ囲碁への考え方が定まっていなかった少年に、新たな考え方をひらかせた。
その後、藤沢名誉棋聖の全集(棋譜)を手に入れ、熱心に研究した。

 多くの囲碁棋士と同じように高校には進学せず、囲碁に専念した。朝から夕方まで研究会に参加し、帰宅してからも勉強した。「10代後半からは人と差をつけるため、
ストイックに勉強した」と自負する。結果もついてきた。

 これまでタイトル戦に4回登場し、26年に初タイトルの王座を獲得した。タイトル戦の相手は全て、日本棋院関西総本部所属の井山裕太十段(29)=5冠=だ。
1つ年上の井山十段とは小学2年生のころに知り合った。アマチュアの大会で活躍し、すでに有名だった井山十段に声をかけ、碁を打ってもらった。石を4つ置くハンデ戦となった。
当時、通っていた碁会所では「天才」と呼ばれていただけに、「4子は衝撃でした。それに、井山さんは子供なのに、オーラもあった」と振り返った。

 プロになったのは同じ平成14年。その後も同じ研究会で囲碁を勉強するなど交流が続いた。井山十段は17年、16歳で史上最年少の棋戦優勝を果たし、
21年には20歳で史上最年少名人となるなど活躍。いつも一歩先を行く。「井山さんは子供のころから実力者。ライバルだったわけではないですが、意識していました。
1つ年上なので、次の年には自分もそれぐらいの活躍をしなければと」

 26年の王座戦で井山十段からタイトルを奪取。だが、翌年の王座戦、28年の碁聖戦、30年の十段戦でいずれも退けられた。今月31日、第57期十段戦で、
井山十段への挑戦権を懸けた挑戦者決定戦で高尾紳路(しんじ)九段(42)と対戦する。「タイトル戦は棋士にとって夢の舞台。ぜひ勝って井山さんと打ちたい」。(中島高幸)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190123-00000626-san-cul
0859名無し名人
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2019/01/30(水) 08:22:33.23ID:hk4eC8TR
31日囲碁十段戦挑戦者決定戦に出場 村川大介八段に聞く

 コーヒー好きだ。コーヒーミルで丹念に豆をひき、粉をペーパーフィルターに移す。ケトルのお湯を少し注いで蒸らす。フィルターの中のコーヒーがゆっくりと
膨らみ、ゆっくりとへこむ。穏やかな時間が流れる。「癒やされますね」。静かに口にする。いれてもらったコーヒーは、人柄のようにやわらかく、
深い味わいだった。

 盤上では力強く攻める棋風で、「外柔内剛(がいじゅうないごう)」という言葉がしっくりくる関西を代表する若手トップ棋士の一人だ。

 昨年12月、第14回産経プロアマトーナメントで4回目の優勝を成し遂げた。「準優勝も2回していて、得意な棋戦というイメージです」。
決勝の相手はベテラン、清成哲也九段(57)。「苦しかったの一言。勝ちにくい展開で、終わっても勝った実感がない不思議な戦いでした」と振り返った。

 昨年の成績は対局数56、37勝19敗。対局数と、勝ち星、賞金各ランキングで関西棋院の棋士ではいずれも2位と成績は順調だ。
だが「勝ち星は多いですが、竜星戦、王座戦は準決勝で敗れ、ここはというところで勝てませんでした。そこは残念です」と控えめに評価した。

 5歳のころ、祖父と父に囲碁を教わった。一つのことに熱中するタイプで、囲碁に向いていた。近所の碁会所に6歳のころに通うようになり、小学3年生で
関西棋院の院生になった。「碁会所とは違って強い人ばかり」。1年目は級位が上がらず苦労した。学校に行く前に棋譜並べをし、学校が終わると
大阪市内の関西棋院囲碁学園(現・こども囲碁道場)に通い、勉強を重ねた。「友達と遊ぶのは年に数回だけ。それでも囲碁をやめたいと思ったことは
なかったです」努力が実り、小学6年生だった平成14年11月、11歳10カ月でプロ入りした。当時、趙治勲(ちょう・ちくん)名誉名人の11歳9カ月に次ぐ
2番目の若さだった。ただ、プロに入ってしばらくは結果が出なかった。両親から禁止されていたテレビゲームを買い、友達と遊ぶようになり、
勉強時間が減ってしまった。

 転機があった。15歳のころ、故・藤沢秀行名誉棋聖が神奈川県で実施した合宿に参加したのだ。そこで、戦わずに石を捨て、逃げるような打ち方を、
藤沢名誉棋聖に厳しくとがめられた。「逃げる姿勢はよくない。戦闘力をつけろ」この叱責は、まだ囲碁への考え方が定まっていなかった少年に、新たな
考え方をひらかせた。その後、藤沢名誉棋聖の全集(棋譜)を手に入れ、熱心に研究した。

 多くの囲碁棋士と同じように高校には進学せず、囲碁に専念した。朝から夕方まで研究会に参加し、帰宅してからも勉強した。「10代後半からは人と差を
つけるため、ストイックに勉強した」と自負する。結果もついてきた。

 これまでタイトル戦に4回登場し、26年に初タイトルの王座を獲得した。タイトル戦の相手は全て、日本棋院関西総本部所属の井山裕太十段(29)=5冠=
だ。1つ年上の井山十段とは小学2年生のころに知り合った。アマチュアの大会で活躍し、すでに有名だった井山十段に声をかけ、碁を打ってもらった。
石を4つ置くハンデ戦となった。当時、通っていた碁会所では「天才」と呼ばれていただけに、「4子は衝撃でした。それに、井山さんは子供なのに、
オーラもあった」と振り返った。
 プロになったのは同じ平成14年。その後も同じ研究会で囲碁を勉強するなど交流が続いた。井山十段は17年、16歳で史上最年少の棋戦優勝を果たし、
21年には20歳で史上最年少名人となるなど活躍。いつも一歩先を行く。「井山さんは子供のころから実力者。ライバルだったわけではないですが、
意識していました。1つ年上なので、次の年には自分もそれぐらいの活躍をしなければと」

 26年の王座戦で井山十段からタイトルを奪取。だが、翌年の王座戦、28年の碁聖戦、30年の十段戦でいずれも退けられた。今月31日、
第57期十段戦で、井山十段への挑戦権を懸けた挑戦者決定戦で高尾紳路(しんじ)九段(42)と対戦する。「タイトル戦は棋士にとって夢の舞台。ぜひ勝って
井山さんと打ちたい」。(中島高幸)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190123-00000626-san-cul
0860名無し名人
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2019/01/30(水) 08:27:28.40ID:hk4eC8TR
31日囲碁十段戦挑戦者決定戦に出場 村川大介八段に聞く

 コーヒー好きだ。コーヒーミルで丹念に豆をひき、粉をペーパーフィルターに移す。ケトルのお湯を少し注いで蒸らす。フィルターの中のコーヒーがゆっくりと
膨らみ、ゆっくりとへこむ。穏やかな時間が流れる。「癒やされますね」。静かに口にする。いれてもらったコーヒーは、人柄のようにやわらかく、
深い味わいだった。
 盤上では力強く攻める棋風で、「外柔内剛(がいじゅうないごう)」という言葉がしっくりくる関西を代表する若手トップ棋士の一人だ。

 昨年12月、第14回産経プロアマトーナメントで4回目の優勝を成し遂げた。「準優勝も2回していて、得意な棋戦というイメージです」。
決勝の相手はベテラン、清成哲也九段(57)。「苦しかったの一言。勝ちにくい展開で、終わっても勝った実感がない不思議な戦いでした」と振り返った。
 昨年の成績は対局数56、37勝19敗。対局数と、勝ち星、賞金各ランキングで関西棋院の棋士ではいずれも2位と成績は順調だ。
だが「勝ち星は多いですが、竜星戦、王座戦は準決勝で敗れ、ここはというところで勝てませんでした。そこは残念です」と控えめに評価した。

 5歳のころ、祖父と父に囲碁を教わった。一つのことに熱中するタイプで、囲碁に向いていた。近所の碁会所に6歳のころに通うようになり、小学3年生で
関西棋院の院生になった。「碁会所とは違って強い人ばかり」。1年目は級位が上がらず苦労した。学校に行く前に棋譜並べをし、学校が終わると
大阪市内の関西棋院囲碁学園(現・こども囲碁道場)に通い、勉強を重ねた。「友達と遊ぶのは年に数回だけ。それでも囲碁をやめたいと思ったことは
なかったです」努力が実り、小学6年生だった平成14年11月、11歳10カ月でプロ入りした。当時、趙治勲(ちょう・ちくん)名誉名人の11歳9カ月に次ぐ
2番目の若さだった。ただ、プロに入ってしばらくは結果が出なかった。両親から禁止されていたテレビゲームを買い、友達と遊ぶようになり、
勉強時間が減ってしまった。

 転機があった。15歳のころ、故・藤沢秀行名誉棋聖が神奈川県で実施した合宿に参加したのだ。そこで、戦わずに石を捨て、逃げるような打ち方を、
藤沢名誉棋聖に厳しくとがめられた。「逃げる姿勢はよくない。戦闘力をつけろ」この叱責は、まだ囲碁への考え方が定まっていなかった少年に、新たな考え方を
ひらかせた。その後、藤沢名誉棋聖の全集(棋譜)を手に入れ、熱心に研究した。
 多くの囲碁棋士と同じように高校には進学せず、囲碁に専念した。朝から夕方まで研究会に参加し、帰宅してからも勉強した。「10代後半からは人と差を
つけるため、ストイックに勉強した」と自負する。結果もついてきた。

 これまでタイトル戦に4回登場し、26年に初タイトルの王座を獲得した。タイトル戦の相手は全て、日本棋院関西総本部所属の井山裕太十段(29)
=5冠=だ。1つ年上の井山十段とは小学2年生のころに知り合った。アマチュアの大会で活躍し、すでに有名だった井山十段に声をかけ、碁を打ってもらった。
石を4つ置くハンデ戦となった。当時、通っていた碁会所では「天才」と呼ばれていただけに、「4子は衝撃でした。それに、井山さんは子供なのに、オーラも
あった」と振り返った。プロになったのは同じ平成14年。その後も同じ研究会で囲碁を勉強するなど交流が続いた。井山十段は17年、16歳で史上最年少の
棋戦優勝を果たし、21年には20歳で史上最年少名人となるなど活躍。いつも一歩先を行く。「井山さんは子供のころから実力者。ライバルだったわけでは
ないですが、意識していました。1つ年上なので、次の年には自分もそれぐらいの活躍をしなければと」

 26年の王座戦で井山十段からタイトルを奪取。だが、翌年の王座戦、28年の碁聖戦、30年の十段戦でいずれも退けられた。今月31日、
第57期十段戦で、井山十段への挑戦権を懸けた挑戦者決定戦で高尾紳路(しんじ)九段(42)と対戦する。「タイトル戦は棋士にとって夢の舞台。ぜひ勝って
井山さんと打ちたい」。(中島高幸)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190123-00000626-san-cul
0861名無し名人
垢版 |
2019/01/30(水) 08:29:06.74ID:hk4eC8TR
31日囲碁十段戦挑戦者決定戦に出場 村川大介八段に聞く

 コーヒー好きだ。コーヒーミルで丹念に豆をひき、粉をペーパーフィルターに移す。ケトルのお湯を少し注いで蒸らす。フィルターの中のコーヒーがゆっくりと
膨らみ、ゆっくりとへこむ。穏やかな時間が流れる。「癒やされますね」。静かに口にする。いれてもらったコーヒーは、人柄のようにやわらかく、
深い味わいだった。
 盤上では力強く攻める棋風で、「外柔内剛(がいじゅうないごう)」という言葉がしっくりくる関西を代表する若手トップ棋士の一人だ。

 昨年12月、第14回産経プロアマトーナメントで4回目の優勝を成し遂げた。「準優勝も2回していて、得意な棋戦というイメージです」。
決勝の相手はベテラン、清成哲也九段(57)。「苦しかったの一言。勝ちにくい展開で、終わっても勝った実感がない不思議な戦いでした」と振り返った。
 昨年の成績は対局数56、37勝19敗。対局数と、勝ち星、賞金各ランキングで関西棋院の棋士ではいずれも2位と成績は順調だ。
だが「勝ち星は多いですが、竜星戦、王座戦は準決勝で敗れ、ここはというところで勝てませんでした。そこは残念です」と控えめに評価した。

 5歳のころ、祖父と父に囲碁を教わった。一つのことに熱中するタイプで、囲碁に向いていた。近所の碁会所に6歳のころに通うようになり、小学3年生で
関西棋院の院生になった。「碁会所とは違って強い人ばかり」。1年目は級位が上がらず苦労した。学校に行く前に棋譜並べをし、学校が終わると
大阪市内の関西棋院囲碁学園(現・こども囲碁道場)に通い、勉強を重ねた。「友達と遊ぶのは年に数回だけ。それでも囲碁をやめたいと思ったことは
なかったです」努力が実り、小学6年生だった平成14年11月、11歳10カ月でプロ入りした。当時、趙治勲(ちょう・ちくん)名誉名人の11歳9カ月に次ぐ
2番目の若さだった。ただ、プロに入ってしばらくは結果が出なかった。両親から禁止されていたテレビゲームを買い、友達と遊ぶようになり、
勉強時間が減ってしまった。

 転機があった。15歳のころ、故・藤沢秀行名誉棋聖が神奈川県で実施した合宿に参加したのだ。そこで、戦わずに石を捨て、逃げるような打ち方を、
藤沢名誉棋聖に厳しくとがめられた。「逃げる姿勢はよくない。戦闘力をつけろ」この叱責は、まだ囲碁への考え方が定まっていなかった少年に、新たな
考え方をひらかせた。その後、藤沢名誉棋聖の全集(棋譜)を手に入れ、熱心に研究した。
 多くの囲碁棋士と同じように高校には進学せず、囲碁に専念した。朝から夕方まで研究会に参加し、帰宅してからも勉強した。「10代後半からは
人と差をつけるため、ストイックに勉強した」と自負する。結果もついてきた。

 これまでタイトル戦に4回登場し、26年に初タイトルの王座を獲得した。タイトル戦の相手は全て、日本棋院関西総本部所属の井山裕太十段(29)
=5冠=だ。1つ年上の井山十段とは小学2年生のころに知り合った。アマチュアの大会で活躍し、すでに有名だった井山十段に声をかけ、
碁を打ってもらった。石を4つ置くハンデ戦となった。当時、通っていた碁会所では「天才」と呼ばれていただけに、「4子は衝撃でした。それに、
井山さんは子供なのに、オーラもあった」と振り返った。プロになったのは同じ平成14年。その後も同じ研究会で囲碁を勉強するなど交流が続いた。
井山十段は17年、16歳で史上最年少の棋戦優勝を果たし、21年には20歳で史上最年少名人となるなど活躍。いつも一歩先を行く。
「井山さんは子供のころから実力者。ライバルだったわけではないですが、意識していました。1つ年上なので、次の年には自分もそれぐらいの活躍を
しなければと」

 26年の王座戦で井山十段からタイトルを奪取。だが、翌年の王座戦、28年の碁聖戦、30年の十段戦でいずれも退けられた。今月31日、
第57期十段戦で、井山十段への挑戦権を懸けた挑戦者決定戦で高尾紳路(しんじ)九段(42)と対戦する。
「タイトル戦は棋士にとって夢の舞台。ぜひ勝って井山さんと打ちたい」。(中島高幸)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190123-00000626-san-cul
0872名無し名人
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2019/04/20(土) 09:35:10.56ID:0KU5JAbX
俺の話を聞け五分だけでもいい、貸した金の事などどうでもいいから。
0873名無し名人
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2019/04/20(土) 09:37:25.27ID:0KU5JAbX
そういう言い方は無いんじゃないですか、余りにも私を侮辱してます。
0874名無し名人
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2019/04/20(土) 15:47:52.21ID:7ODoKBYT
十段戦一夜明け 関西棋院の村川大介新十段「妻の支えに感謝」

 産経新聞社主催の囲碁タイトル戦「森ビル杯 第57期十段戦五番勝負」第4局で井山裕太前十段(29)との熱戦を制し、
初の十段位を獲得した関西棋院の村川大介新十段(28)が、戦いから一夜明けた20日午前、兵庫県西宮市内で取材に応じ、
「家族や友人から届いたお祝いのメールに返信しているうち実感がわいた」と改めて喜びを語った。

 19日の対局後、妻の南さん(27)から「おめでとう」とLINE(ライン)でメッセージが届いたのは、関係者との打ち上げの席の合間だった。

 約2年前に結婚した後、対局や研究で多忙な村川新十段を南さんは支え続けた。対局に負けたときは、アマ初段の腕前を持つ南さんに
愚痴を聞いてもらうこともある。村川新十段は、「一緒に頑張ってもらってきた。感謝しています」と笑顔を浮かべた。

 今後の目標は世界戦だ。日本勢は、中国、韓国に後れを取っている。「世界で活躍している棋士は二十歳前後。私は少し年を取ってしまいましたが、
頑張りたい」と意欲を燃やした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190420-00000519-san-cul
0875名無し名人
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2019/05/17(金) 02:09:54.43ID:tUD7tsu4
全勝河野敗れ大混戦に 井山快勝望みつなぐ 囲碁名人戦

 第44期囲碁名人戦挑戦者決定リーグ戦(朝日新聞社主催)は16日に2局打たれ、全勝の河野臨(りん)九段(38)は孫普iそんまこと)七段(23)に敗れ、
リーグ初黒星をつけた。一方、前名人の井山裕太四冠(29)は山下敬吾九段(40)に勝って3勝2敗とし、挑戦権獲得に望みをつないだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190516-00000085-asahi-soci
0876名無し名人
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2019/05/28(火) 04:13:15.56ID:AN+M8naV
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レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。

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