才能をテーブルゲームで使い潰していいなら院生へ

もし君が囲碁が強いなら君の頭はとても良いということ。
君がその才能を使って一生涯ケースバイケースの分岐を追うだけのテーブルゲームの研究に費やすとしても君を止める権利は誰にもないが、
もし君が囲碁が強いならその頭を世の中の為になる研究とかに使ってくれればと願うばかり。

チェスだと、「いい歳になったらチェスのことは忘れろ」 といったようなことが言われている。
要するにその有り余る才能をもっと他のことに使いなさいということだし、世の中のいろんなものを見ろということ。
囲碁のプロ棋士になんかなったら、一生囲碁だけをやって才能も人生も終わらすことになる。

それだけの才能を持っていながら 「囲碁が全て、囲碁以外のことは知らない」 じゃ才能と人生の浪費で悲し過ぎるやしないか?