古代中国の思想家孔子は「仁」を最も重要な徳目として位置づけたのだが、智者でなければ仁者ではない
とも述べ、「智」の重要性を強調している。そして、智は五徳の内の一つでもある。
  
 このように東西の賢人がともに知識や知恵、それに類するものを重要視しており、実は真の徳とは知恵なのである。
では、日本の道徳の教科書にそのような教え(知恵を重視する姿勢)があるのだろうか、否、一切ない。では、代わりに
何があるのか、それは巧妙な誘導と「愛」である。

 「愛」とは果たして徳なのだろうか。「愛」には2つの意味があるだろう。対象を思いやるという意味と対象を欲する
という意味である。でも、なぜ、「思いやり」などの言葉を使わずに「愛」を使うのか。この真の目的は「愛」の意味を
修辞学的にすり替え、国家や家族を盲目的に欲求させることで、理性や倫理を度外視した奉仕を行わせようとするもので
ある。そして、国家に対する盲目的な奉仕は命の奉仕であり、家族に対する盲目的な奉仕は身体や金銭の奉仕(介護)である。

 このような高度なプロパガンダ工作を行えるのは自民党を操るアメリカしかいない。自民党議員の無知無学無教養な頭では
思いもよらないことだろう。

 実は今日本で行おうとしている徳育教育の真の目的は、日本人を国家のために命を投げ出せる人間を養成し、また、家族の
介護を無料、かつ、自分の生活を度外視してまで行わせ、国家の負担をへらさせようとするもの(浮いた社会保障費で軍事費
増大)なのである。すべて全体主義的思想を若者に植え付け国民を戦争できる人間にするためのものなのである。
  
 従って、これからこのようなインチキ徳育教育を受けざるを得ない若者たちは絶対にこれを鵜呑みにしてはならない。真の
徳とは知恵であり、それをしっかり心に刻みつけた上で教示される内容を判断すべきである。教師の教えを鵜呑みにしては絶対にならない。