ヒカルは、
・1999年8月〜1999年12月の期間(アマ時代)は 平均して1ヶ月に1子
・1999年12月〜2001年5月の期間(院生〜プロ時代)は平均して3ヶ月に1子
のペースで強くなっている(「毎月1段」という単純なモデルである!)。
・ただしプロ試験の期間中に一番伸びたとみて、2000年5月〜10月の期間は
上記ペースより約1段強いものとみなす。
・ほった先生の「1目半」「6目半」は、それぞれ「実力差なし」「実力差定
先」の「記号」か?
・2000年5月時点で、村上2段に6目半負け(盤面1目負け)は、単純計算では
ヒカルが村上2段に定先となり、ヒカルは5目ほど想定した実力より強い。
「悪手を好手に化けさせた」好局だったから例外と判断する。
・2000年8月時点で、洪秀英がヒカルに2子置こうとしたのは、挑発ではなく
冷静で妥当な判断。この時点でヒカルが互先で洪秀英を破ったのは会心の一
局であり「できすぎ」といえる。

アキラは、
・1999年12月時点で「プロ7段相当」(←1998年12月,2000年8月,2001年10月から
の内挿&新初段シリーズでの座間王座戦)。芦原4段に1勝2敗ペースというの
では、弱すぎて辻褄があわない(プロ試験で不戦敗の1敗のみでの合格は無理)。

伊角は、
・2000年10月末時点で「プロ6段相当」。ストーリーとしては「もともと棋力は
あったが、精神的なもろさで実力が出せなかった。中国棋院訪問で弱点を克服
した」ということであろうが、それだけで置石1子分も強くなれるか疑問で不
自然。「秀英ほどにも打てたかどうか」という自己評価、プロ試験での本田戦
の敗戦は、ともに技術的なものであり、精神的なもろさとは別問題のはず。
第2回ピカイチキャラコンテスト(第13巻P.28)で圧倒的な支持を得たため、当
初よりも重要なキャラクタとして使用することに予定変更したのかもしれない。