勝つ前提であっても、例えばコミなしならば黒が最善を打っていれば黒は負けないのだから、
白はどちらにしろ黒のちょっとしたミスを拾っていきながら差を詰めるしかない。
というわけで白としては黒のミス待ちがそもそもの前提になる。
とすれば、どういう形でミスを待つかという方針があるだけで、
負けを最小にというのは、ある意味消極的にじっくりとミスを待つ方針であって、
局面を複雑化させるのは、積極的にミスを誘う方針といえる。
勝つためにミスを待つのが大前提であって、方針の決定は価値観などによってしまう。


碁の神がいるとして、何らかの基本となる思想のようなものがあり、
それに基づいて意思決定がなされて着手がなされるのであれば、
それこそが囲碁における絶対の価値観ともいえるのだろうけど、
その意思決定の過程がわからない限りは、
消極策と積極策のどちらがいいとはいえないだろう。

ミスの期待値や勝負手などを人間が数値化できるとは思えないしな。