【完全解析】碁の神とトッププロの差
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「碁の神よ。私と手合わせ願おう。」
「ふん人間風情がいきなり私とやろうとは片腹痛い。高尾よ。ちょっと懲らしめてやりなさい。」
「高尾は四天王中でも最弱(ry」
っていう展開。 世界統合レーティングのサイトによると、高尾先生の2月の成績は四天王トップ!
ここ3ヶ月の成績も山下・羽根を常に上回っている。
もしかしたら、四天王の中で最も神に近い存在かもしれない。 それよか四天王とかいう恥ずかしい呼び方なんとかならんの
少年漫画じゃあるまいし まず、黒番を200試合打てば黒番で負けないようになる。(コミなしの場合)
(白番と相互先番で打つ/相手の手を並べて最善を利く計算)
200局終了時(400手)で黒6目程度優勢の局面は劫でもないかぎり終局図。
続いて、こういう卑怯な手無しの場合。
プロである以上黒で4子ならなんとかという感じ。
大手合勝率と勝ち点互換でこういう数字が妥当とみる。 》453
それちゃうぞ。
この場合、黒70%なら、次は逆コミで7:3の指数倍で49:9
2子なら3乗で343:27
3子ならさらに49/9倍する形。 解析済みのゲームでも僅かなハンデで互角以上に戦えるからな。
2子なら勝負になるだろう。 コミ6目半で先手がパスしたら後手もパスして白6目半勝ち
なので先手必勝 昔の雑・質スレより
「秀行さんは研究熱心である。若手にもよく教えている。秀行さんの家で七、八段の者3,4人の
研究会、私と飲みながらときどき口を出す。七、八段の者をつかまえて、バカだ、チョンだという。
あまりに威張るので少し腹が立ち、『秀行さん、あんた偉そうにいってるけど、碁が全部で百だとしたら
いくつぐらい分かってるつもりだ』と詰問した。ギョロリとにらんだ秀行、『芹鴨、おまえも将棋指しの
はしくれだろう。おまえはどのくらい分かっているんだ。ちょっと待て、これに書け、オレも書く。』
メモを寄越した。
私は『四か、五か』と書いた。秀行さんは『六』と書いてあった。そして、私の『四か、五か』を見ると
『オレは思い上がっているのだろうか』 変に真顔になられ、胸が痛んだ。 −『破天荒盤外記』」
私の友人芹沢博文将棋九段の文から借用した。彼一流の粉飾はあるけれど、同じ勝負の道に
志している者の気持ちは通っている。 藤沢秀行『耐えて勝つ!』 1986 講談社 俺みたいに将棋の1割を知ってるような態度の人間からいえば、
目線によって答えは変わる。
将棋や囲碁の最善手の考え方などで言えば俺は1/100もわかってない。
しかし、将棋の世界の限界とか市場規模の相対的な部分では、
神を100としてプロ棋士を5とするなら10くらいは知っている前提で動く。
他の誰よりも知っている前提でなければ勝負は負ける。
プロ棋士でも、自分が対面する棋士に読みあいで負けてないと信じて指すように・・・ 持ち時間が無制限で、世界のトッププロが集まれば、
四子なら勝てる場合があるかもしれない(可能性がありそう)
三子なら、100%勝てそうにない。
トッププロなら、五子でやっと勝てる可能性が生まれそう。 アマ初段は10手先ぐらいを数通り読む。プロは30手先を10通り位か。
それで9子置かせて勝負になるわけだ。
神は300手先を10の300乗通りくらい読むんだから、9子ではとても勝負になるまい。 ただ全ての盤面を最後まで無制限に読めるってだけの神なら9子なら多分プロが勝つだろう
相手の応手まで完全に予知できる神なら9子でも危ないかもしれない 読みには、制限や制約がある。
九子なら、神は100%、勝てないでしょう。 9子置いて負けるまでは、9子置いたら負けるわけがないと思うもんだ。 >>336 負けてもノーリスクなら気楽にやって余裕で一発入れるね。 >>303 石は簡単には死なないんだよ。殺されるのは余裕こきすぎてるときだけ。 三子なら神様、五子なら名人で、四子でいい勝負かな。 >>481
強さの限界がなければそうだが
今のトップより石の効率が飛躍的に上がることは考え難い。
碁の手筋は遥昔に出尽くしてるし、全て読み切れたとしても強くなるのは僅かなものだろう。 プロの中でも2子程度の差はあるが、読む手数に10倍だの100倍だのの
差はあるまい。
神との読みの差は10の数百乗レベルだから、多少割り引いても9子では神には
勝ち目はないだろう。 チェッカーは、解析済みで10の31乗読めるわけだが
人間と引き分けることもある。
チェスのディープブルーは1秒間に2億手読むスーパーコンピューターだったが
その1万分の1以下の今の並のパソコンソフトと強さはそう変わらない。
部分的に読みきれるレベルになれば、それなりに最善手を打てるわけだから
そこから、いくら手が読めるようになってもパフォーマンスが劇的に上がることはない。 囲碁の手は、ランダムに打たれてはいない。
構想としての大きな流れ、可能な変化数は、多くて5つ以下でしかない。
その差も、2目以下でしかない。
形勢差が生まれるのは、大きなミスをした場合のみである。
そのようなミスの回数は、トッププロの場合、非常に少ない。
手順が100以上進行すると、どの変化も形勢差は生まれなくなる。
この厳格で永遠の法則(現実)を踏まえて考察すべきである。 「まね碁」をし場合の形勢差はどの程度になるのか
これも重要な法則の研究課題である。 逆込みなら勝てるけど、コミを出すとなると神様には100%勝てる。
これが、碁のゲームとして本質なのです。 ちょっとまて
盤面持碁を確実に成立させれる証明があるのか? 真似碁の序盤で白が天元付近に打つのは悪手だろう。
中盤以降でも相当天元の価値下げてからでないと緩着になりそう。
神が最善手しか打てない制約なら、局面が難解化することなく持碁になるような気がする。 神の定義がよくわからないんだけど、
・常に局面で最善の手を打つことができるが、相手の思考までは読み解くことができない
これでOK?
もし仮に相手の次に打つ手を完全に把握できるなら、その局面で最善ではない手でも相手がミスして最善手を打つよりも利益が生じるのを読めることになって、つまり相手が初手を打った瞬間に終局図が見えることになるよね
もし神が思考まで完全に読み取れるならトッププロでも九子じゃ入らなさそうかな。
最善手が打てるだけなら三子で勝負できそう 馬鹿は最善手というものを定義もせず、
最善手を求める。
自慢げに投稿する おまえらは、
本当に無知で馬鹿な芸人か? 人間同士の場合、目数が最も大きくなる手が最善手とは限らないよね。
劣勢のときに、何も考えずに単なる最善手を打っても
相手に最善手を打ち返されてしまうからダメ。
だから「相手が間違える手」が最善手になる。 そこら辺が人間同士のやる勝負の面白いところだよな
形勢いいと思ってる方は油断した力緩めてたりしてかなり逆転起こる。 >>502
棋譜並べの解説でも、「最善手」は結論が出た局面のみ使用され
「最強の一手」や「勝負手」とは使い分けられてる。
結果論的なものは、最善手とは言わないんじゃないかな。 >>502
>最善手を打つと、最善手を打ちかえされる。
中学生以下の記述レベル。
意味のないことを書いてまで自己主張したいのか。 >>502
コンピューターもモンテカルロ法では勝つ確率が最大となる手を打つ。 >>506
勝つ確率なら負けない。どうして負けるのか。
負けるのは、間違った仮説の確率だからある。
そのような確率を、勝つ確率とはいわない。 神との差なんて神でなきゃ分るわけないだろーが
バーカ >>490
○×や3目並べといわれるようなゲーム、あるいは囲碁の5路盤などは
人間でも神に近いパフォーマンスを上げる事が出来る。
こういったゲームでは神に対してほとんどハンデはいらない。
一方分岐が多くなり、手数が長くなるほど、完全に読み切れる神と
人間との差は大きくなる。
囲碁とチェッカーでは分岐も手数も大きな差があることを忘れてはならない。
チェスについてはソフトの進歩による効率化が10の4乗程度あった
という話だろう。
今のソフトを10の4〜5乗程度の計算速度のあるコンピュータで
走らせて、強さにほとんど差がないというなら話は別だが、それにしたって
神に要求される計算速度が10の数百乗レベルであることは忘れるべきではない。
>>491
読みの範囲が広がるほど、影響を受ける石の数は増え、候補手もかわってくる。
人間の候補手が最善手と重なるケースはかなり少ないだろう。 >>510
神に9子の人ですか?
490は、チェッカーより碁の方が分岐点が多いのと
ソフトの効率化が進んだことを踏まえた上でのレスです。
チェスの例は、計算速度があがってもアプリの効率化が進んでも強さには限界があるため
トップの強さには大きな差は無いということ。
ここで差がないといったのは、置石に換算できるほどの差がでないという意味で
ハンデなしの対局では、僅かな差が勝敗に大きく影響するので当然強さは変わります。 神とか言うから物凄いもののように聞こえるけど
要は完全解析したコンピュータのことなんだよね
いくら完全解析したコンピュータでもプロ相手に9子は常識的に考えて無理だと思うわ >>511
チェスについても、現在のソフトと完全解析レベルには10の数百乗レベルの差はある。
多少の計算速度アップで強さにある程度の差があるなら、最終的にはかなりのハンデが
必要になるだろう。
また、ハンデの強さに対する収縮は、ゲーム固有の性質だろう。
特に囲碁のような分岐の多いゲームでは、たまたま人間の能力の限界が、ハンデの上限に
重なる可能性はそれほど高くない。
>>512
9子じゃなくて、9子ではきつい、ね。
もちろん正確に何子かはわからない。 >>513
計算速度とハンデ(置石)は比例しない。
チェスソフトは、解析の10の百乗分の一も計算できないから、計算速度アップで強さが変わる。
ある一定のレベルに近づくと、そこからはいくら計算力が上がっても微々たる変化しかなくなる。
人間のトップクラスだと1〜2年でアマ高段者、10年でトッププロレベルに成長するが
そこからは、1子も強くなることができなくなる。
これは人間の能力の限界というより、石の効率の限界の影響が大きいと思われる。
昔に比べ成長速度は上がり、層は桁違いに厚くなっても、江戸時代以降の歴代トップを比較すると
ハンデをつけるほどの大きな差があるとは思えない。
これも石効率の限界が影響してる。 >>514
個人の能力は、それほど差はないが、
棋力と効率については、大きな差がある。
この傾向は、今後も同じで、効率の考え方が大きく違う。
またコミが6目半になったことは、囲碁の発展と効率に大きな変化を生んでいる。
その最大変化は、白番と黒番の戦略が全く異なるものになった。
それは、構想というものの絶対的な必然法則が明らかになったことで、
構想力の能力差が、勝敗に大きく影響するようになった。 6目半のコミは、黒が勝つには、
1 攻めるという絶対条件を生み出し、
2 その結果、「厚みの効率」によって勝つ条件を生み出し
3 厚みの戦いとしての「天元での戦い優勢性」の条件
を生み出した。
つまり、
黒番においては、地合いを先行させ「先行逃げ切りでは勝てない」
という構想の絶対条件を生み出した。
この構想条件と着手効率の公理が、
「碁の方程式」の理論解明によって明らかになった。 黒番での、「先行逃げ切り」の構想の否定は、
布石や序盤での戦略において、大きな変化をもたらす。
これが、江戸から近代までの碁と、「現代の碁」の最大の違いである。 神との棋力差は、コミとの関係で生まれいる。
また形勢差は失敗の大きさに比例する。 >>514
そのハンデの限界は、人間の能力とは無関係の、個々のゲームの性質だろう。
たとえば、3目並べ、囲碁5路盤では人間の能力の限界のはるか下にハンデの
限界がある。
5路盤ならば、最善手を打ってくる相手とも、初段もあれば互角に戦えるだろう。
つまりハンデの限界は級位者レベルにある。
このハンデの限界は、手数が多くなり分岐が多くなるほど高くなってくる。
たまたま19路盤におけるハンデの限界が、人間の能力の限界と重なる可能性は
あまり高くない。 >>520
>ハンデの限界が、人間の能力の限界と重なる可能性は
>あまり高くない。
言い換えれば、互先で引き分ける可能性はあまり高くないということですね。
これには、異論はありません。
複雑なゲームほど神が強くなるのでハンデが広がる。
問題は、そのハンデが何子に相当するかになります。 囲碁のゲーム特性は、
打つ手は、どこにでも自由に打てるが、
勝負として勝つための手は、かなり制限されている。 超能力使う神の話をしてる人が結構いるな。
宗教家が信仰する作り話の神。 囲碁の打つ手は、
どこにでも自由に打てるように見えるが、
勝負としては、打つ手は、かなり制限されている。
つまり、
自分ひとり、自由に打てるゲームではなく、
相手の動きにあわせて打つゲームである。
このことに気づくと、碁が一気に強くなる。
(碁の方程式) 「完全解析・碁の神」となっている。
碁の手段において完全な打ち手 【神の定義】
双方が最善対応時の最大となる目数を得る手を瞬時に打つこと
よって、中国式の計算なら中国式の計算で、日本式の計算なら日本式の計算で最善が読めること。
当然ながら、コミとかは関係なく、最初から負けが確定している数字をつける場合もある。
(6目差になるのが回答の場合初手は半目負けに向かって打つ) 初手が複数ある場合(都合8種類はあると思われる)はそのすべてが神の1手である。 二子は、神様有利
三子は、神様やや有利
四子は、人間やや有利
五子は、人間有利 >>532
誤爆しただろw
ttp://kohada.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1317573390/698 最善手をひたすら打つだけなのは神じゃないな
相手の癖や思考まで瞬時に読み
悪手や無理手も含めて最終的に勝率が最大になるように打つのが神 完全解析のコンピュータができたとしたら、その強さは
平均してトッププロに2子から3子の間くらいかなあ。 >>534
ここでの神は、愛の神ではなく、真理の神。
理論に反する着手を行うことはない。
また、神の思考の好き嫌いは、あなたの欲望感情。 >>537
お前こそ神の定義に主観入ってるわ
そもそも終局まで全局面を読める神にとって理論もクソもない
囲碁理論ってのはあくまで囲碁が読み切れないことを前提とした打ち方の指針のことだからな
神は単純に全局面から全検索して勝率が最大となる手を打ち続けるだけ 何を持って勝率を最大とするかというのも、主観で変わるんだけどな。 神はすべての局面を読みきっているから
勝率は0%か100%しかないんだけど。 それは人間側の応手まで完全に予知できる場合の話
例えばある局面からお互いに最善手を打ち続ければ人間の半目勝ち
でも人間が応手をどこかで間違えれば神の勝ちだとすると
人間が間違える確率がそのまま神の勝率になる >>538
愚かな者に一言。
囲碁は、同等の価値が多数存在する。
つまり、読みきるゲームではない。
囲碁における効率の概念は、意味のない「最善手」という概念ではなく、
同等価値における自由性(選択の可能性)から生まれている。
この同等価値は、手順の進行で徐々に減少するが、
その減少は、黒白で異なって進行し、
その差が、制約条件の差となり、形勢差に影響を与える。
--------------
馬鹿の空想ほど、無意味なものはない。 >>540
>勝率は0%か100%しかないんだけど。
明らかに、間違っている。
形勢差は、着手ミスのみによって生まれている。
人間は、100%ミスをするし、
そのミスの程度によって勝敗が決定する。 >>543
囲碁は読み切るゲームだよ
お前本当に頭悪いんだな 囲碁のゲーム特性は、
1 最大価値の手が、同時複数存在する。
2 最大価値の大きさは、徐々に減少する。
3 形勢差は、構想の自由度によって測定される。
4 形勢差が生まれる原因は、悪手、つまり可能性減少と
機能性の乏しい確定性の増大よって生まれている。 ここでの神の定義によれば、神の着手に対する人間の応手も全て読み切れるんだよね。
だとすれば、相手がミスする前提で局面で最善でない手では無い手を神は打ってくるわけだよな・・・だとすればトッププロでも三子ではまず無理だろうな >>547
人によって定義が違うから話が噛み合ってないんじゃないの
1.神:完全解析したコンピュータと同等、ただし処理速度と記憶容量は無限とする。人の応手は読めない
2.超神:上記の神の能力に加えて人の応手を完全に予知できる。つまり手合が決まった瞬間に勝敗が決まっている
3.究極神:相手の精神を操って意図的にミスさせたり、2度打ちさせたり、口を操って投了と言わせることができる。何百子置いても勝ち目無し
俺はずっと神っていうのは「3」くらいの能力を持ってると仮定してたから話が合わない
>>1がちゃんと定義決めないのが悪い 囲碁が分からないならオセロで説明すると、
58手目にどこに打っても4目勝つ局面があるとする。
この場合、最大3か所のどこでも最善手となる。
これが囲碁の場合は、序盤だと1通りや2通りで利かないのはわかるよね? 問題となるのは、59手目で片方しか取れない4目勝ちと、2択で間違えれば4目勝ち以上に勝てる場合。
この場合、どっちが正しいのか?
そこでどちらも最善と言えば最善だし、間違える可能性があるのに4目で決定してはならないと言えばそれもありであろう。
ここがまず1つ目 2つ目は、同じ4目勝ちでも、双方が打てない場所を作る4目勝ちはありかどうか?
つまり、目数の差で決めるのか?それとも比率で決めるのか?
つまり、32対28と33対29と34対30の場合、これはどれが正しいだろうか?
言うならば、20目勝ちなら全部取っての20対0がいいのではないだろうか?
囲碁でも、セキ活きとかありで汚い終局というのがありか?
そう考えると、同じ差なら当然手数が短いほうが良いと思わないか? >>551
定理1 双方最善手を打った判定は、
ミスがない場合は、終局までの手数が長い方になる。
定理2 定理の結果、
目数のもっとも小さい結果が、最善の手順の評価となる。
ミスがない場合は、終局までの手数が長い方になる。 最後に、中押し勝ちの定義で終わり。
手数で勝敗を考える場合、盤上の目数で中押し確定というのがある。
オセロなら上辺ななめ33マス占拠なんだけど、
囲碁でもすべて活きていて361マス中181マス抑えた場合。
これをどう考えるのか?
終盤だと並べて数えるのが責務と言えばそれで終わり。
でも、手数方式だとこれは中押しで同じ目数差でも序列上位になる。
将棋だとこれに詰み1本道問題というのがあって、
「最後の連続王手は手数から除外」厨が結構多い。 >>551 >>552
対局者の構想能力の評価は、
互いの構想阻止が最優先するため、
定理1 定理2が、成立する。 第一条件
⇒神は相手が最善対応した際を計算して最大の目数差で勝つように打つものとする
(負ける場合は最小の目数差で負けるように打つものとする)
第二条件
⇒第一条件で複数種類の方法がある場合は以下の選択肢を除外する。
1・・・双方の地の差を完全に確定させる最短の手(勝利宣言)
2・・・不要に劫立てなどを行い最後に半目取られるのを伸ばすだけの手
3・・・181マス(勝ち数上限)を抑えて終局させるための最短手数
(この3種類以外に何がある?) ◆ 対局における最善の手順とは
考察の前提は、双方が最善の構想を選択した場合には、
構想の優先順序は、
自己の構想達成でなく、
相手の構想阻止となる。 <<555
>1・・・双方の地の差を完全に確定させる最短の手(勝利宣言)
双方にとっても最善手順と、
最短手数という仮説は、仮説として成立しない
仮説そのものが矛盾する。このことに気づけないと
論理そのものが崩壊している。 >>555
人間サイドにミスを前提とした考察と、
ミスがない状況を前提としない考察とが混在し、整理されていない。
また、人間がミスをしてもしなくても、
最善手順の終局は、その後人間が最善手順を打つと、
終局での形勢差が確定している場合において、
最長の手順終局となる。
これは法則として成立している、 どのような理論考察においても、
その原点となる「公理」を知らず無視した議論は、
考察のおいては、単なる「矛盾の拡大と思考の混乱」だけになる。 >>548
2は、人の調子で毎回結果が変わるだろう。
相手の考えが分かったところで置石に換算できるほど差がでるのかはわからないな。
3だと、ただのイカサマじゃん。
何の話し合いにも発展しようのない魔法使いとの対戦を想定する意味がわからない。 「攻める」という意味への理解と能力差が、
神と人間の能力差になる。 魔法使いというCOMの電源抜きは抜きにしよう。
これを認めたら終わりだからね。
人間も神も正しい整数のコミに向かって打つという前提で考えよう。
通称「神対神」の「至高の1局」と定義しよう。
この条件で複数回答があるという前提でその複数からどれが正しいかが設問。
ここまではOK? その場合複数の解全てを列挙するのが正答だろう。
二次方程式みたいに。 >>563
あなたは、自分で理論研究したことがない。そのため、
>その場合複数の解全てを列挙するのが正答だろう。
この意見を正当な意見であるとして、他者に要求する。 囲碁にはルールがある以上、神の手であって「制約条件」は存在する。
神の手とトッププロとを違い検証する場合には、
神の手と人間の手との「制約条件」の違いを検証する必要がある。
神と人間のもっとも大きな違いは、
神はその思考時間で一瞬であり、
人間は、無限の思考時間があっても、
神の思考精度を超えることができない。
>>564
数学の問題なら、普通のことだよ。
解が二つある二次方程式の解を一つだけ答えても減点されるだけだ。 神と人間とのもっとも大きな能力の違いは
1 思考時間の長さ
2 ミスの多さとその被害の大きさ
である。
つまり、何が正しいではなく、
ミス手を打った時の勝敗に及ぼす影響である。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています