本因坊秀栄を語る part1
秀栄は、秀和がお妾さんに産ませた子供だぞ。
この事を知らないと、秀栄が持っていたルサンチマンが
見えない。
この事を知っていたら、秀栄のこだわりや兄弟に
対する態度が理解できる。
小生は、土屋平次郎が好きになったよ。
>>76 うほっ!失礼しました。
>>74の訂正
↓
明治15年は1882年。秀栄は1852年(文久2年)の生まれだから、
明治15年は秀栄は30歳だね。秀栄は12歳で初段だから、
明治15年は入段してから18年目だね。力碁の時代が
18年間あるのか?
秀栄の簡明さと秀策の簡明さはどう違うの?
秀和の碁と秀策の碁が合体すると秀栄の碁になるの? >>78
自分で並べて考えろよ。俺は両方とも全集3度くらい並べてそれぞれの布石パターンや戦法把握したが、
なんでも人に聞く前に努力するってことがお前はできないのかね
>>79
今は自分の部屋がないんだよね。食い詰めて実家に戻って、
三畳の部屋に荷物を置いて寝ているけれど、碁はできない。
親に監視されていて、エロ本も買えないんだ。 小生さん、そういったプライベートまで書いちゃうのはいろいろと面倒くさいことになりかねないから、なるべく控えた方がいいかと。
スレチ失礼。
>>81
そうだね。小生は小学生だから考えが足りないな。
秀和は正妻との間に子ができなかったらしく
秀和の子は全員が妾との子と言われている。
お妾さんが何人いたのかはわからない。
でも、秀和の子の百三郎がやりちんだったので、
おそらく秀和もやりちんだったんだと思うんだ。
秀和が秀策を連れて廓に行ったとか秀和が
算知と廓に行ったみたいな話は残っているんだよ。
秀栄が妾の子である事は、秀栄という人物を理解
するために重要だよ。 白番打碁集とか出してほしいな
名人名局選が出てるけど
あれでも十分かな
シナ版の秀栄全集では、222頁に載っている碁は
明治十二年の碁で秀栄は五段で、227頁に載って
いる碁は明治十七年で秀栄はまだ五段。秀栄の
棋風が変わったのは明治十五年頃なんでそ?
で、629頁に載っているシナ版の秀栄全集最後の
碁は秀栄八段と田村保寿六段との碁。
シナ版の秀栄全集は273局収録していて、概算で
約73局が力碁の頃の碁で約200局が大局観で
打つようになってからの碁と見ていいかも。
>>87
名人名局選を100回並べるだけでも何年もかかる。
ヘタしたら一生かかる。
名人名局選を100回並べてから全集を買うのがいいよ。
焦ってはダメだぞ。 秀栄(白) vs 秀和(黒)ってどうなんだろうねぇ
秀栄嫌がっているし ww
win7で読めないページがあるから、だめだめな日記直してみるか
秀栄か
個人的には理想像のひとつなんだけど、自分で近い棋風で打つのは無理だな
ようやっと、道的と秀策の棋譜をひとつづつ覚えたから、秀栄の棋譜並べでもして日記にのせてみようか
今は、病気再発で休職中(/_;) 「ポムの競馬日記」というブログで競馬の有料予想をしているのですが
私は6月からそこの会員になって既に150万円儲けさせて頂いています。
ポムさんはブログ内で3000万円の貯金画像を載せたり、
過激な文章などもあることからアンチも多く賛否が割れるところですが
有料予想の質はこれまで入会したどの予想よりも儲かります。
彼に代弁してこの素晴らしい予想を世に広めたいと書き込みをすることにしました。
宜しければ一度ブログを覗いてみてください。 今の中国の若手と秀栄を打たせてみたいな。
力いっぱい最強の手ばかり打ってくる若手を、ひょいひょいといなすような碁を
みてみたい。 父秀和の明るさと先輩秀甫の力強さを融合させた碁に思える 囲碁内弟子入用
齢十二〜十四迄 身豊体躯身元確実初段に五六目の手合為す者
但食料は不要 本郷区湯島天神1の77 本因坊秀栄
(明治35年4月13日)
6月にも再募集あったんだけど誰が入門したんだろう? コイツの有名局って三子にするやつ以外になんかあるの? 秀栄は晩成型らすいですがいつが全盛期ですか?オススメの棋譜は? おすすめはっていうか三子にして捨てたのは超有名局。
それに田村と打ったので名局と言われているのがちらほらあるからな。
その時期の棋譜はとりあえず全盛期でいいんでないかな。 生活が安定していた四象会時代に充実した棋譜が多いのかな???
性は級位者だからわからないけど、秀和と秀栄の碁は似ているらしい。
でも、ケンカを売られた時には秀和ならかわすような場面でも秀栄は
積極的にケンカを買うらしい。 秀和と秀栄は当時の言われようとしては似てきたとかなんとか褒めそやされていたようではあるが
当時ありがちな賞賛ではあろうが、実はあまり似ていないような気がする。
むしろ、秀和的な創意工夫と先進的な打ち回しを見せているのは秀甫とか呉清源あたりかと思われる。
秀哉相手に打つとインファイター田村に対してフットワークを駆使するような展開になったりするわけだが
秀栄の碁は基本的にとても地味な感じがする(そのかわり秀和や秀甫みたいにポカはしないw)
晩年の秀栄というのは、いわば本因坊家の碁を集成したような存在でしょう ほほぅ。
でも、秀和は極めて正確ではないのですか?
秀甫のポカは有名ですが。 呉清源先生は秀策の黒と秀栄の白を研究したんですよね。
秀栄の黒については語られなかったような…。 https://www.nihonkiin.or.jp/teach/history/history03.html
1879年(明治12年)本因坊家とは別に、村瀬秀甫が「方円社(ほうえんしゃ)」
を結成し、毎月の手合を収録して雑誌(=囲碁新報)を発行したり、碁の普及のため
古い段位制にかわる級位制を取り入れるなど、次々と新しい試みを打ち出しました。
また秀甫は西洋人とも接し碁を教え、ドイツ人コルセルト氏が弟子となっています。
本因坊秀栄は、1892年(明治25年)方円社に対抗して
「囲碁奨励会(いごしょうれいかい)」を発足しました。(=後の「四象会」)
明治中頃になると、政財界の中枢もようやく碁に目を向けはじめ、
積極的に援助するようになります。
方円社側では井上馨(いのうえかおる)、後藤象二郎(ごとうしょうじろう)、
岩崎弥太郎(いわさきやたろう)、渋沢栄一(しぶさわえいいち)らが、
また秀栄側には大久保利通(おおくぼとしみち)、犬養毅(いぬがいつよし)、
頭山満(とうやまみつる)らが有形無形の援助をしました。
渋沢栄一が主役の『青天を衝け』に、方円社や秀甫、さらに宿敵の秀栄が
登場するか? 登場するかはわからんが囲碁シーンはあるかもしれない。
大河は意外に囲碁使うからな。
ここ数年で言えばいだてんでは無かったくらい。 幕末維新キャラで言うと大村益次郎が囲碁好きだったというのは意外だった
しかもクソ弱かったとか >>132
『いだてん』はスポーツと落語がベースだったから、囲碁の登場の余地なし。 小島直記「回り道を選んだ男たち」(1987年)収録「本因坊秀栄」より
秀栄は、暇さえあれば古棋譜を手にして調べている。
木堂が覗いてみると、秀栄より段の低い者の打碁を調べているので、
「おい、それは一体どうしたわけだ。お前より下手な者の打碁を見ても何の益もあるまい」
と木堂が言うと、秀栄は答えた。
「高段の者はたいてい手が決まっていますが、段の低い者は、かえって稀に面白い手を打ち出すことがあります。
それが最も参考になるのです。ただ、彼等は後が続かぬために負けるので、負け碁にも好手はあるのです。」 >>140のエピソードが元になったのか、後に(大正時代)、当時の名人本因坊であった田村氏(本因坊秀哉)が、
「素人のヘボ碁を参考にするために、碁会所見物をして回っている」という都市伝説が流布されたそうだ
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1232819103/0445 ただし、低段のプロとアマの碁では、研究姿勢がまったく違う。アマでも6段以上なら、参考になる場合もあるけれど.. >>140 投稿者ですが、この記事は市販の書籍からの無断転載であり、
著作権侵害の懸念が生じてきたため、見なかったことにしてくださいませ(^_^;
なお、転載元は、作品社刊「日本の名随筆・別巻1・囲碁」です。
棋士の逸話やエッセイ、囲碁の歴史などに関する記事に加えて、
碁会所通いをする”ヘボ碁打ち”の作家たちのエピソードなどが大変面白く、
紹介したかったんだけどなぁ
無断転載なので、とりあえずやめておきます。
出版社様、何卒ご容赦くださいませ m( _ )m >>144について
下記のリンク先のスレに補足説明を投稿させていただきましたので、
よろしければご覧くださいませ。かなり長いですけど・・・
【解説会】囲碁関連イベントスレ【就位式他】
(レス番号0012〜0018)
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1706125974/ スレ乱立スクリプトが続いてるようなので
まともスレ age保守しておきます