呉清源総合
>>349
多分団塊の世代は呉清源のこと知ってるからその映画見れるよ。その映画って呉清源が宗教にハマってるところとかもあるの? yahooトップ、NHKの全国版に流れるとはすごいね >>351
そんなもん当たり前だわ。多分中国と台湾と韓国にもトップニュースとして流れてるよ。東アジアでは有名人だし。 >>334
戦後少し新しいことやろうと考えたが、人数少ない状況ではどうにもならんと考えを改めて戻ったし、
読売との契約問題もあった
中国の宗教問題とか色々あった様子で現在日本と同様に戦後の云々で不幸な面もあったんじゃないかと思うよ >>352
そうそう
相撲取りの双葉山もハマってたらしい。 >>356
この写真、確か2〜3年くらい前だったよね
三人がちょこんと正座してて、大竹先生がかろうじて同席できてて
写真見て盛り上がったのを思い出す 毎朝、「呉清源 新布石構想 黒の打ち方 白の打ち方」と、武宮師の「宇宙流 武宮正樹快局選」並べてる。正直、呉清源はいつ死んでもおかしくない歳だったから、訃報を聞いても特に驚きはないな。 100歳というか90代で外出できてることってすごいよ
普通寝たきりとかなる人が多いのにね >>360
うちのばあちゃんは90歳だけど元気に草刈りしてるぞ。人それぞれだよ。 >>361
多いのにね、と書いたけど「全員」とは書いてないよ
90歳のご老人が100人いたら元気で仕事できてる人の方がはるかに少ないのだから
いらんことで絡むのやめて ニュースでは文太に食われるんだろうな
なにも同じ日に死ななくても >>365
菅原文太は金曜日に亡くなったらしいから同じ日ではない。 老衰か
まぁ100も生きたら大往生だけどな
ご冥福をお祈りします うちの爺さんが90過ぎて死んだら、大往生と言うことで葬式で紅白饅頭出たよ。 「100歳になっても囲碁を続ける。そのあとは宇宙で碁を打っているよ」
先生の魂は肉体から解放されて宇宙で好きな碁をいつまでも打っていることと思う 天才だよなぁ。
ほとんど実戦もせずに棋譜並べだけでプロレベルまで行っちゃったんだよね。 >>371
天才少年すぎる神童ですね。囲碁やるために生まれたきたようなもんだよ。 梶原、秀行、坂田、そして最後の大御所も逝った
心から冥福を祈る >>375
15年経ってるわけだが…
加藤正夫ですらもう10年前か >>376
わざわざスマンw
そうだなあ、加藤も最近のイメージだ。
上村邦夫や中山典之も最近と思ってる。 >>371
棋譜並べは侮れないって。棋譜並べと詰碁やってれば強くなるよ。 またageてる奴がいると覗いたらマジだった
合掌(-人-) ゴセイゲンって誰だよ
東洋5段で打ってるが今回初めて知ったわ
調べたら昔はめちゃ強くて有名だったアマなのね 呉清源と藤沢里菜の二人の写真があったぞ。これは貴重だな。藤沢秀行と呉清源の写真もあった。 >>387
facebookの英語版日本棋院のページで見れるやで。藤沢秀行と呉清源が一緒に中国にいって北京で写真とったやつがあったやで。 https://m.facebook.com/photo.php?fbid=502607929795439&id=286261298096771&set=a.502607906462108.1073741848.286261298096771&refid=13
これが藤沢里菜と呉清源の写真
里菜ちゃんは記録係だったらしい
スマホからだからPC見れないかも >>367
やはり奥さんに先立たれてからかな。>>162 >>325
森繁久彌が死んだとき、「ああ、人は必ず死ぬんだな」って思った。 今月号のNHKの囲碁講座に載ってたが、趙治勲は夏ごろに呉清源のサインをもらいにいったそうだ。
長年サインが欲しかったそうだが、ようやくもらえたらしい。
そして数時間、一緒に棋譜並べをやったそうだ。
チクン先生間に合ってよかったな。 スーパーレッスンで万波さんを真奈美さんって呼んでたのが記憶にある たまにスレがageってくると、あぁ、ついに…と思ってきたが
今度こそ本当に逝ったのか…
でも俺としては10年前の加藤正夫の急逝のほうが衝撃が大きかったな
あのとき亡くならず、いまも生きていたらNHK杯に出続けるほど
活躍してたんじゃないだろうか 加藤正夫は実績と人徳を兼ね備えた稀有な人だったからな 神は大いなる遺産を残してくれたが
加藤さんは日本囲碁界においてまだまだこれからの人だったな 全盛期の呉清源を連れてきて井山と打たせたらそりゃ井山が勝つんじゃない?
今の環境で勉強してたらとか言い出したらキリがないけど
そうじゃないと碁が何も進歩していない事になる >>394
本当に良かったなあ。俺も呉清源先生に一目会いたかったが、
チクンさんがこうして会いに行けたと聞いて、もうそれでいいと思ったよ。 安永一の名が出てこない
彼ぬきでは呉清源師を語れないはずなんだけどね
もう完全に過去の人なんだな >>407
安永一って中国流の考案者ってだけしか知らないな >>410
藤沢秀行と呉清源が北京にいった時の写真があったぞ。 >>410,411
いい写真ですな。
ご冥福をお祈りします。 パートの仕事から帰ってきた。
今知った。うわーん!(`;ω;´)
昨日、以文会友の古本が届いたんだよね。 濡れ子さんは翻訳家になるの?
濡れ子さんはおいくつなの? ご冥福をお祈りします。
打込十番碁全集を買ったばかりでした。
生涯をかけて勉強させていただきます。 呉清源先生は約二年間碁石をまったく持たなかった時期が
あるそうなんですよね。自伝に書いてあった。
宇太郎先生との打ち込み十番碁でその二年間から復帰した。
ジウで共同生活を送りながら打たれた打ち込み十番碁が
結構あるんだよね。考えられんわー。 >>419
性は40代後半ですよ。確か依田と同い年。
なんとかネットワーク技術者として再就職して無事に定年を
迎えたいね。その時が来たら、自給自足分だけ農業をやりながら
技術文書の翻訳をしたいね。それが今の夢ですね。
ちょっと豆腐とモヤシを食べてきます。 Ahhh. レジェンドという言葉がふさわしい人だったな。
棋院は何か称号を贈るかな。名誉名人でもいいと思う。 モヤシ食べてきた。
名人戦発足の企画段階で呉清源先生を初代名人にして
呉清源先生に挑戦者が挑戦するという案があったんだよね。
でも、呉清源先生のマネージャーさんはその案を強烈に
プッシュせず、日本棋院側の渉外をやっていた秀行が
ちゃっかり自分が初代名人になってしまったんだよね。
呉清源先生はこの件を自伝で少し残念そうに書いているよ。
呉清源先生は名人になりたかったんだよね。そしてそれは
当然だよ。 九段というのは本来は名人を意味したし、八段は
準名人を意味した。
大手合ので成績で九段になったばかりの藤沢庫之助(朋斎)と
呉清源先生との第一人者の座を争う十番碁で呉清源先生が
朋斎を打ち込んだ時点で呉清源先生は事実上の名人なんだよね。
そもそも、呉清源先生が騙されて?ご本人が知らないうちに
日本棋院に辞表を出され読売新聞の専属棋士にされて
いなかったら、呉清源先生が大手合をきちんと打っていたら、
朋斎が九段になれていたかどうか怪しい。 呉清源先生の打ち込み十番碁の対局料はジコウソンの
ポケットに入ってしまったんだよね。
打ち込み十番碁の対局日程やらなにやらは、読売は
ジコウソンと交渉していたんだよね。 そもそも、呉清源先生は囲碁殿堂入りしたの?
間に合わなかったんではないのかな?
呉清源先生は、過去に囲碁殿堂入りを『未だ修行中
だから』と言い訳して辞退しているんだよね。
でも、性の仲介で過去を水に流して今年は殿堂入りしてくれる
予定だったんだよ。 (´;ω;`) 呉清源先生は読売新聞社に食われてしまった。
読売が呉清源先生にやったこと:
呉清源先生を読売専属棋士にするために瀬越先生を
騙して瀬越先生に呉清源先生ご本人に無断で日本棋院の
退職届を出させ瀬越先生を自殺させた。
ジコウソンと共同で呉清源先生を搾取した。対局料の
一部であった読売山荘は呉清源先生に名義を書き換えた
のかね?
呉清源先生の日本棋院への復帰をサポートせず引退を
勧めた。年金月に200円だっけ?(今ではタバコ一箱すら
買えんわー。)呉清源中心の棋戦を発足するという約束は
反故にされた。
呉清源先生が中国からチンソトク少年とジョウエイヘイ少年と
あと一人預かろうとした時に呉清源先生はなぜか読売に
相談に行ったのだけど、呉清源先生を門前払いした。
棋院が呉清源先生に贈る称号は『名誉名人』よりも
『大国手』がいいと思う。 >>425
藤沢朋斎は九段に昇段したあとも大手合いに参加してもう一回昇段規定を満たしてる
そもそも九段に昇段する人間が出現することが想定されてなかったから
それくらい当時の日本棋院では抜けた存在だった 棋士とかのTwitter、軽く触れただけで後はふだんどおりな奴かハナから触れもしない奴しかいない
やっぱTwitterってクソだと改めて感じた >>371 棋譜並べは簡単に言うけど時間もかかるし苦痛やぞ。
スポーツでいうグラウンド十周した後腕立てスクワット腹筋千回に相当 1961年に交通事故に遭って長時間の正座手合いは苦しかったんでしょうね。 「呉清源 極みの棋譜」の主演のチャン・チェンが
すぐにブログで追悼コメントをアップしてて泣けた。 >>402 おそらく全盛期の呉清源先生。呉先生は、過去100年間でおそらく最強の棋士。
呉先生は、満天下先相先に打ち込んだし、怒涛のごとく新布石や新城跡を開発した。
主たるタイトルが本因坊しかなかった時代、本因坊になると、ご褒美として呉清源先生に打ってもらえる、という、
訳の分からない別格の強さと扱い。
今でも棋聖戦で頂上決戦している二人のところに、呉清源先生が見学に見えると、対局終了すぐにその二人が
呉清源先生のところに挨拶に行って正座して呉先生から囲碁のお話を緊張して伺うという関係。
とにかく呉先生は、別格。とにかくずば抜け。すごいという言葉では到底言い表すことのできない凄さ。
布石だって昭和8年開発の新布石は期界の布石を一変させたし、
21世紀の布石でも、目外し対策とか二軒手抜きとか小目に大ゲイマかかりとか、
言われて初めて気がつくコロンブスの卵なエッセンスの塊。
定石は、ナダレ外曲がりを開発して一斉に真似された。すると今度はその対抗策としてまた呉先生が今度は
ナダレ内曲りを開発。とにかく、すごいとしかいいようがない。
呉清源先生のお陰で、布石も定石も格段に進歩した。
しかも無双の強さで新聞碁が人気を得て、読売新聞の売上なんか三倍増になった。
新聞碁が人気になったんで、三大タイトルも定着して期界全体もリッチになった。
その財源があったんで、囲碁の世界普及活動も活発化した。
碁の内容の向上から碁の普及の土台作りに至るまで、あらゆる方面で囲碁界に貢献したのが呉清源先生。
神様としか言いようがない。マジ生き神様。
そんな神様と、たかが人間の井山と比較するほうが失礼千万。
そもそも今回は、100歳を記念して神様が仏様に衣替えしただけ。
呉清源先生は死なない。永久に死なない。囲碁の歴史とともに永遠の足あとが刻まれている。 日中戦争中も日本にいたのだから、大変な迫害を受けているはず。
打ち込み十番碁は中国人対日本人の見せ物でもあったよね。
集団ストーカー被害者なのに苦しみながらあれだけの成績と
実績を残したのだから、驚くばかりだよ。
性も集団ストーカー被害者だから、よくわかるんだよ。
棋士である以前に一人の人間として尊敬できるひとであった。(´;ω;`) (`・ω・´)ピコーン!
二代目中川亀三郎がいたのだから、二代目呉清源がいても
おかしくない。
海峰さんが二代目を襲名して翌日にウに三代目を
継がせるのがよかろう。 日本囲碁なんて8割超のチョン系に1割中華系、日本人愛好家なんて1割もいないよ 北京で生まれて日本で生涯を過ごして
ソウクンゲンと兄弟弟子で台湾で大国手もらったりしてるから
みんな孫みたいなもんだろ 清源が生まれたのは福建省の福州というところ
ただすぐに父の事業の関係で北京に引っ越したが 川端の呉清源棋話読んでるけど細かいことみんな忘れてるなw 朝鮮日報が訃報を伝えた記事で川端との対談本にも言及しているね
読売新聞の記事なんかよりもはるかに深い内容で、今の囲碁界の状況を物語っている
呉清源氏はほかの学問にも造詣が深かった。ノーベル文学賞受賞者の川端康成氏との対談集に次のような記述がある。「囲碁は古代中国
の哲学である360の陰陽、つまり天文学から出た可能性がある」「儒教の易は運命の知恵であり、道教は魂を重視する。私の性格は道教の方
により近い」…。川端氏は本の中で「あれほど純潔な芸術家は見たことがない。彼は東洋精神の精髄」と書いた。
呉清源氏はまた、「囲碁は調和なり」という有名な言葉を残した。1940年代に「囲碁の全ての着点は調和に向かって進む航海の過程」とした。
「勢いと速度」という現代囲碁の二本柱は呉清源氏の新布石と調和の概念によって完成されたものだ。
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