呉清源総合
弟子とらないので有名だったのに
林海峰は弟子にしたってのがまた憎い 昭和二十一年八月の橋本宇太郎戦から
昭和二十六年五月の岩本薫戦までほぼ5年近く黒番では負けてない 昭和三十二年二月六日の
橋本宇太郎との王座特別戦第二局とかどうだろう wiki情報だけど1930年に大手合で昇段(29勝3敗)してから
1961年の第三期日本最強決定戦優勝(交通事故に遭うまで)まで
呉清源16歳〜47歳までの31年間だろうか
データ
1964年まで 493勝199敗 勝率7割1分1厘(持碁除く)
1973年まで 532勝239敗 勝率6割9分 中国の共産化、せめて文革がなければ、
もっと自由に行動できて
日中台を股にかけて今以上の足跡を残したろう 俺呉清源の「この手ご用心」という本3冊持ってるけど
勉強になる本だと思う。
ただ呉清源の棋譜を並べた事はほとんどないね。 趙治勲によれば、
十番碁の呉清源の碁を並べてみると、無理な手が多くて驚かされるらしい。
十番碁で相手を打ち込むために、
コミなしの白番で勝つために無理っぽい手を打つ必要があったのだろう。
「全体的に無理気味な碁ができてしまった」と趙治勲は書いていた。
少なくとも、坂田や林、趙、小林のようなタイトル戦の覇者ではなかったな。 無理な手は多いんだけどだから弱いってわけじゃないんだよな
坂田を含めたタイトル保持者が特別対局で呉と対局させてもらってたけど、
悉く呉の圧勝で終わってた
何十年も碁界の頂点にいながら全盛期にタイトル戦が殆どなかったのは不幸
それでも道策、秀策と並んで史上最強棋士の一人という評価は変わらんけどな >>17
本因坊戦はあった。
たぶん戦争中は外人が伝統あるタイトルをとるのはどうなのかとかいう
意見が多くてタイトルに挑戦できない雰囲気だったのでしょう。 読売と契約して十番碁を打ってるだけでものすごい収入があったらしいよ >>22
宗教にはまったのは、なんらかの悩みやストレスがあったからではないかと 対応できてないコミ碁を避けられたのだから
長い目で見れば利益 >>25
橋本宇太郎も書いてたね「私たちの世代はコミ碁が苦手だ」って。
その橋本でも息長く活躍したから、呉清源でもかなりやれたかも。
呉にとっての大敵は、長時間の碁における自身のスタミナ不足だったのではなかろうか。
一日打ち切りの碁ならまずまず頑張れたのではないかと思う。 >>26
たぶん椅子対局ならやれたのではないかな。
いい椅子だとだいぶ楽だし。 帰化問題など戦争をめぐっての周りの思惑に翻弄された。
おかしな宗教に走ったのも環境に耐え切れずの結果。
瀬越が守ってやれるほどの力もなかった。
あの実績でも素質からすれば物足りない。
雑音がなければ真に棋聖にならび称される棋士になっただろう。 極みの棋譜のDVD買ったけど、もう少し対局シーンが欲しかった。 でも実はコミ碁って呉の全盛期でもあったし勝ちまくってたんだよな
二連星が得意の布石だったし、勝てなくなったのは事故が原因と見るのが妥当だろう 死ぬ気で碁を打って周りを全部打ち込んだのに、タイトル戦始まるから
また横一線からって言われたらやってられんだろう >>31
読売がタイトルを創設するときに初代タイトルを呉清源に
名乗って貰えばよかったかもな。名人戦だったかな。
でも、そんなことしなくても、まわりが全部打ち込んだ相手なら
普通勝つと思うだろ。 打ちこんだといっても先相先だから圧倒的というほどではない wiki見たら20年以上に渡って行なわれた十番碁で全部勝ち越してる
毎日新聞の三番碁でも藤沢、橋本、高川相手に十六連勝とかあるし、先相先でも殆ど勝ってる
十番碁の先相先で坂田栄男に一回負けたんだけど、
その後、通常の手合割で打ち直したときには呉の6勝2敗とかで途中で終わってる
トッププロを全員打ち込んだのは既出だけど、
六段や七段、八段が呉に挑戦するシリーズがあって、たぶんそれも全部勝ち越してる 呉清源は、来日していきなり棋院の飛びつけ四段になったような記憶が…。
中国にいた頃は、日本の棋譜を取り寄せて並べていたんだよね。
秀策の碁や囲碁新報?の合本を並べて勉強していた。囲碁新報?の合本は
重いので呉少年は指が曲がってしまい、爪は伸びなかった。
昔、若き日の依田が呉清源に打ってもらった棋譜が週間碁の
一面に載っていたのを覚えています。
>>35
当時の呉清源のレーティングは、チェスに例えたら3500くらいかな???
ほとんどの十番碁は内容的には相手に五分以上に打たれてる 五分以上に打たれてるのに30年以上トップ棋士相手に勝ち続けたのか
そんな偶然があるんだなぁ 本人もプロもそういう見解が多いよね
ほとんどとは言わないけど劣勢の碁で勝ちを拾うことは多い様子
あの時代の棋士は時間に追われてポカとか多いんだよね(今もか) 敗者には優勢な碁を勝ち切る力がなかった、その差
本当に実力が拮抗していたら元丈知得ぐらい打ち分けるのではないか まぁどっかに差があるんだろうな
技術か運か精神力か知らないけれど 読みと形勢判断の力が違うから序盤で奔放に打って劣勢になっても結局は取り返せるってことだ。
呉清源にしてみたら下手と互いで打ってるようなもんだろ。 中盤戦での力の強さは有数だと思う。そこから終盤への持ち込み方が特に秀逸。
序盤で色々試すのも将棋の羽生名人のようなスタイルで長くトップを維持できた
要因かも。 呉泉少年が北洋軍閥のボス段祺瑞将軍と打った棋譜を並べた事があるよ。
いままでkgs1dで呉さんの言うことは戯言だと思って
ろくに本も読んだことなかった
↓
なんとなく本読んでみた
↓
kgs3dになった←今ここ
嬉しいんだけどなんか悔しい
食わず嫌いってやっぱ駄目だな というか 神様呉セイゲン といわれるほどの人なのに
ザれごとだと思ってた とか
どうしてそう思い込むことになったのか知りたい。 現代の世界トップクラス棋士の碁でも「これは悪手、こう打てばわかりやすくいい」とか
書いてるし「おいおい…今となっちゃこいつらの方が強いだろ…変化図にしてもこうなれば確かにいいけどならんだろ」
とか思う人は割と多いだろうと思う 改行がめちゃくちゃだ、すまん
規制はやくとけねえかなぁ >>48
新 呉セイゲン道場シリーズ
>>49
戯言ってのはちょっと言いすぎでした
少なくてもこのスレで言っていいことではなかったですね
すみません
でもコモクからのコゲイマジマリに
序盤そうそう肩を突く人の言うことなんて信じられないと思ったんですよ
勿論呉セイゲンのすごさは知ってますが
例えるなら東大の数学科教授が
1+1=1だなんて言ってる というように思えたのです
自分の考えとまったくあわなかったのです
いまじゃ僕もよくコゲイマジマリに
肩突きしますけど(汗