村松梢風「本朝烏鶯争飛伝・古今碁譚」(大正8年)より

碁に関する珍談奇話は乏しくない。
かつて、二十一世本因坊名人田村氏(本因坊秀哉)が小石川辺へ用達に赴いた帰り途、
ぶらぶら遣って来ると、夏のことで俄か雨に出遇つた。合憎、雨具の用意も無く、
当惑しながら不図かたへを見ると、さゝやかな碁会所が眼についたので、雨宿りの積りで駆け込んだ。
すると四五人の常連がしきりに打ってゐたが、折柄手隙きの席亭が田村氏を側へさし招き、「どれ位お打ちか」といふ。
まさか名人とも云はれず、まだ初心だと答へると、「それでは先づ四目も置いて御覧なさい」といふので、
とうとう本因坊が四目の置碁(下手番)を打たせられたが、どう苦労して負けて遣りたくても、
席亭の石が独りでころころ死んで仕舞ふので、始末におへない。
すると席亭先生感心して曰く「なかなかお強い。それに性のいゝお碁だ」。

同時にこんな噂もあった。本因坊は近頃わざわざ市中の碁会所へ、ヘボ碁を見物に出掛ける。
それは、なまなか上手な碁を見ても参考にならないが、ヘボ碁に限って折々奇想天外の奇妙奇天烈な手を打つので、
大いに会得することが有るんださうだ、といふのである。(※注)

ところが、これらの話はどちらも嘘だ。その後私が本因坊に面会した折に訊いてみると、
毛頭そんな覚えはない、第一自分は未だかつて碁会所へ足を入れたことが無いと云ふ。
総じて奇聞逸話などいふものは、根を洗って見ざれば信用の出来ぬものである。

(※注)この風説(デマ)は、十九世・本因坊秀栄のエピソード(下記リンク先)が誤って流布されたものかもしれない。
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1257573901/0140