本因坊秀哉(田村保寿)を語る
まだ本因坊秀哉と対局したことのある人は何人かご存命のはず >>428
徳川慶喜も囲碁をやっていたと記憶している 古今東西の名人名手が束になってもソフトに勝てないご時世なのだから、
強弱を論ずるのは時間の無駄。 道策や秀策、秀哉が今のAIと打ったらどんな感想を持っただろうか。
バサラ気質の秀哉だったら碁盤ひっくり返してたかもしれない。 『名人』読んでいます。文中に出てくる赤ちゃんは、小林泉美さんの伯父のはず。 大竹君って木谷実だよね?
なぜ大竹君にしたのだろう・・・・ 林芙美子随筆集「文学的断章」(昭和11年)収録「本因坊秀哉氏」より
何もこれはと云ふ愉しさなぞないと云って芯からつまらなそうでもあるが、
十歳の時から碁が好きであったと云ふだけに、碁と本因坊とはプラスまたプラスで、
色々な世間の事には興味がないと云ふこともうなづけるのだ。
小さい時学校へもやらされたが、昨日習った事は翌日にはケロリと忘れてゐる程、物忘れが早くて、
只々碁が好きであったと云ふことだった。
「学校から、見込みがないと云って断られてしまってね」と、ニヤリと笑ふ。
「本当に碁は好きだった」
と、碁を習ふために、一切の夾雑物を排したガンコさがうかゞへる。まるで芸術家風なのだ。
芝居だって活動だって面白かないと云ふのだから。
まして、日本棋院の前にあるフロリダのダンスホールなんかは本因坊には吃驚ものだらう。
碁と日蓮宗とはどんな関係にあるのか知らないけれども、はじめ支那から伝はってきて、
日蓮宗の坊主達が盛んにやったものだと云ふ。
碁は第一に品のいゝもので、隣の座敷から碁石の音でも聞こえてくると、如何にも閑日の気分がするものだ。 依田以外にも、学校の勉強 オール1でも、タイトルを取れた人がいた。 村松梢風「本朝烏鶯争飛伝・古今碁譚」(大正8年)より
碁に関する珍談奇話は乏しくない。
かつて、二十一世本因坊名人田村氏(本因坊秀哉)が小石川辺へ用達に赴いた帰り途、
ぶらぶら遣って来ると、夏のことで俄か雨に出遇つた。合憎、雨具の用意も無く、
当惑しながら不図かたへを見ると、さゝやかな碁会所が眼についたので、雨宿りの積りで駆け込んだ。
すると四五人の常連がしきりに打ってゐたが、折柄手隙きの席亭が田村氏を側へさし招き、「どれ位お打ちか」といふ。
まさか名人とも云はれず、まだ初心だと答へると、「それでは先づ四目も置いて御覧なさい」といふので、
とうとう本因坊が四目の置碁(下手番)を打たせられたが、どう苦労して負けて遣りたくても、
席亭の石が独りでころころ死んで仕舞ふので、始末におへない。
すると席亭先生感心して曰く「なかなかお強い。それに性のいゝお碁だ」。
同時にこんな噂もあった。本因坊は近頃わざわざ市中の碁会所へ、ヘボ碁を見物に出掛ける。
それは、なまなか上手な碁を見ても参考にならないが、ヘボ碁に限って折々奇想天外の奇妙奇天烈な手を打つので、
大いに会得することが有るんださうだ、といふのである。(※注)
ところが、これらの話はどちらも嘘だ。その後私が本因坊に面会した折に訊いてみると、
毛頭そんな覚えはない、第一自分は未だかつて碁会所へ足を入れたことが無いと云ふ。
総じて奇聞逸話などいふものは、根を洗って見ざれば信用の出来ぬものである。
(※注)この風説(デマ)は、十九世・本因坊秀栄のエピソード(下記リンク先)が誤って流布されたものかもしれない。
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1257573901/0140 >>443、>>445 の投稿者ですが、これらの記事は市販の書籍からの無断転載であり、
著作権侵害の懸念が生じてきたため、見なかったことにしてくださいませ(^_^;
なお、転載元は、>>443は、作品社刊「日本の名随筆・別巻1・囲碁」、
>>444も作品社刊の同シリーズで「別巻11・囲碁U」です。
棋士の逸話やエッセイ、囲碁の歴史などに関する記事に加えて、
碁会所通いをする”ヘボ碁打ち”の作家たちのエピソードなどが大変面白く、
紹介したかったんだけどなぁ
無断転載なので、とりあえずやめておきます。
出版社様、何卒ご容赦くださいませ m( _ )m 番号間違えた
>>444ではなく、>>445でした。失礼しました。
>>445も作品社刊の同シリーズで「別巻11・囲碁U」です。 >>446について
下記のリンク先のスレに補足説明を投稿させていただきましたので、
よろしければご覧くださいませ。かなり長いですけど・・・
【解説会】囲碁関連イベントスレ【就位式他】
(レス番号0012〜0018)
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamestones/1706125974/