本因坊秀哉(田村保寿)を語る
すれ違いだけど、坂田栄男の『坂田一代』を読むと、坂田先生は碁は
修業時代にほとんど並べていないようなことが書いてありました。
坂田先生は実戦の他には詰め碁で勉強していたのでしょうか?
秀哉みたいに力碁と言われる人たちは、他の棋士よりも詰め碁を
やりこんでいるのでしょうか?
発陽論の解説書は囲碁珍瓏発陽論で
死活妙機ではないので誤解のないように念のため 坂田さんの碁の殺し屋という本によると
坂田さんは相当な詰碁通のようですよ その本、アマには出来るわけの無いことを
当然出来ないといけません、とか書いてるのが
坂田節全開で面白いんだよね
ただ死活がすぐ完璧に読めなけりゃ碁は打てない、
というのは真実ではある ほんとにそう言い切れるかね?!
死活があまり読めなくても
感覚が優れていたら、そこそこ打てるし、そこそこ勝てると思うが。
或る意味では真実だ、くらいのことを言いたいだけなので。
死活が読めないってことは、場合によっては
一手パスのような手を打たないといけないということでしょ。
ただ現実の対局では、どうせ相手も読めてないわけだからね 先手のところを後手に甘んじちゃったりしたら感覚も糞もない
運ゲーになっちゃうんだなとひしひしと感じる今日この頃 >>107-108
『碁の殺し屋』を読んでみました。
坂田先生は、アマは『碁経衆妙』を全問マスターしなさいと書いていました。
基本的な石の死活を網羅していて、実戦に役立つそうです。衆妙が全て
頭に入っていなければ殺し屋とは言えないそうです。
死活が一眼でわからないといけないようです。
碁経衆妙は、約520問あるようです。
かつて月刊囲碁クラブで、プロの高段者たちに
「好きな昔のプロ棋士」というアンケートを
取ったところ、秀哉を挙げた人はそう多く
なかったそうですね。
もちろん、坂田栄男のように、秀哉を高く
買っているプロ棋士もいるのですが。 先代が名人中の名人で次代が昭和の棋聖だからな、谷間世代で見劣りするのもしかたないかと 次代って誰のことよ
関山利一のこと?
高川格のこと?
実家に秀哉全集を全巻置いてあるのだけれど、
もう捨てられてしまったかも…。
秀哉は弱くないじゃん。名人じゃん。
>>114
そう答えるしかないだろ
坂田栄男には秀哉門下の立場があるものw
好きか嫌いかで訊かれたら、人間性の面で金の亡者などとも非難されていた秀哉の人気が低いのはしょうがない 個人の性格と打碁の良し悪しを混同して考えるのはいかんよね
こういう風潮は石谷広策とかのせいだと思う
秀策には囲碁棋士の棟梁として碁界を率いていく器量は
なかったかも。
盤外も強い秀哉がいなければ、日本棋院は設立されていない。
碁が強いだけの人が名人になってはいけないのだと思われ。
この人さぁ、実力的には「?」だったんだよね。
棋譜が証明しているんだろ?
雁金を追い出して、実力で叩きのめしたんでしょう?
雁金時間切れの局の後、秀哉は入院したんでしょう?
ワルをやるのも命がけじゃん。
実力的には秀栄が苦手だったぐらいで充分トップクラスだったよ、ただ名人を名乗るなら断然トップじゃなきゃ周囲が納得しないだけ
大正時代のトップ棋士は秀哉、雁金、鈴木、瀬越、野沢かな、名人になりさえしなければもっと評価上がったんじゃないかな
中川カメ三郎も名前がエロイ。
しかも、何人もいるんだよ…。
秀哉全集の復刊きぼん。あれは出版事業として評価できる。
安かったんだよ。
囲碁:没後70年の命日に東京・本妙寺で「秀哉忌」 羽根直樹本因坊が祭主
囲碁の本因坊戦創設に尽力した二十一世本因坊秀哉名人をしのぶ「秀哉忌」が、その命日(18日)に東京・巣鴨の本妙寺で営まれた。
昨年、初防衛を果たした羽根直樹本因坊が祭主を務め、秀哉の流れをくむ大淵盛人九段の一門ら、関係者も参列した。
秀哉は世襲制最後の本因坊。その名跡を日本棋院に譲り、タイトル戦に移行することを決断した後、1940年に65歳で死去した。
多くの歴代本因坊が眠る本妙寺に葬られ、命日に「秀哉忌」が行われるようになった。今年は没後70年だ。
秀哉の墓前に立った羽根本因坊は「囲碁界が今後も盛り上がっていくように頑張りたい、と気持ちを込めて祈った」といい、
「来年も本因坊として、ここに来られるように全力を尽くしたい。国際戦でも結果を出したい」と抱負を語った。
http://mainichi.jp/enta/igo/news/20100121dde012040035000c.html
今日は祝日ですね。小生は祝日にはひろゆきさんに感謝することに
しています。我々がここで社会悪を叩いたり未解決事件の捜査に
協力できるのは、集団ストーカーに悩みながら2ちゃんを維持している
ひろゆきさんのおかげです。今はチーママですが、ひろゆきさん、ありがとう。
/ , ´ ` 、 ヽ
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', <ヽ ` ̄ ̄´ ` ̄ ̄´ / j. ノ
ヽ //l i /lV/
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| | / / /-―‐‐、 ヽ.j ヽ.| |
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`Y |ハ, | ー''´  ̄ヽ `´ | .| | ヽ `ヽ
http://www.youtube.com/watch?v=rxu1SfbppWk 秀哉全集の復刊きぼん。あれは出版事業として評価できる。
安いのに棋譜が山のように収録されていました。
>>127
雁金先生は本郷の生まれと書いてあったような…。
東京都本郷に、元は三河国豊橋藩の藩邸に仕える武家であった家に生まれる。 引退一年前の碁で藤沢庫之助に二子で勝っているのが凄い 名無し名人様
windows me もXPも スクラップにしました
GAM社の囲碁ワープロ 研鑽 すごく良いソフトです
いろいろ探しましたが気に入ったソフトがありません
そのためXPモードで何とか使用しているのですが改良版があればと思って
います
何か参考になることがありましたらよろしく 世界に向け発信を続ける4chのPolitics板(http://4-ch.net/politics/ ) [Japan] Confrontation
between Jimintou and Minsyutouスレッドより。このうんこ臭い英語(のようなもの)から判断すると、
Kyoumo Unkoって引退に追い込まれた 雲孤さんじゃないかな???
↓
秀哉に弱いというイメージがあるのが非常に残念。野澤竹朝のせいだね。秀哉も時代の覇者だし、
反対者をことごとく打ち込んで本因坊を襲名し、名人にもなった。小生は、秀和に人間性の
問題があったと見ています。小生は碁が弱いので検証できないのだけれど、保寿が秀和に嫌われた
原因は、実は秀哉は秀和と打つ時には緩めていたのではないかと思うのです。どうなの?
秀哉はカネの亡者みたいに言われる事があるけれど、秀哉は秀和未亡人の生活の面倒も見ているじゃん。
そもそも、世襲名人は算砂・名人道碩・名人算知・道策・名人因碩(道策の実弟)・道知(道策の実子?)・
察元・丈和・秀栄・秀哉 の10人しかいない。秀哉が弱いわけないんだよね。坂田先生あたりが秀哉名人は
秀策より強いとか言ってくれるといいのだけれど…。
>>142 秀和じゃなく、秀栄だろう?
>>143 やばい。142はチクンと同じ感覚か!
>>144 全集の一巻に、算英(俊哲の豚児)に撲殺されている棋譜があるけれど、
秀哉は始めから戦う碁だったと、むしろすがすがしい。相撲に例えれば、
突き押しで横綱になった保志か??? 秀哉が弱いのなら、雁金先生は
もっと弱いんじゃん。
秀哉の全集は、博文館から刊行されていたけれど戦争で中断したんだよね。秀哉会
(弟子の団体?)は諦めずねばり強く活動を続け、最終的には活字になった棋譜の
ほぼ全てを日本棋院から1980年代?に出版したんだよね。しかも、全6巻で各巻が
2800円で! 収録されている棋譜は、750を超える。当時の棋院の理事長は、IQが
180を上回る酒井猛だった。棋道振興のために、秀哉全集のリプリントを強く
望みます。だって、強いじゃん。 >>143
秀栄より評価してるんじゃなくて、
秀栄より一段低く見るのはおかしいといってただけだと思う。 秀栄に定先だった秀哉は、ハンデ的には半目置かれていたという事でしょう?
三手の詰碁もろくに解けない小生ですが、秀哉は緩めていたと思うのです。
秀策は『師匠に黒を持たすわけにはいきません』とか言ったような。秀甫は
気にせず師匠に黒を持たせた? 秀哉は緩めて嫌われた?
詰碁をやりこまないと検証できないなぁ…。 ほとんどの棋士を師匠と同じぐらいまで打ち込んでいたって本当? 秀哉のどこが弱いのか具体的に指摘して欲しいね。
布石が下手なのか?でも、布石に機略ありと秀栄に言われている。
中盤の戦いがダメなのか?丈和のように鮮やかに一本入れられないのか?
寄せが下手なのか?寄せを軽視した力だけの碁なのか?それで名人になれるのか?
筋や形が悪いのか?秀哉の棋譜を並べると形が悪くなり弱くなるのか?
(`・ω・´) どうなんですか!? >>147
秀哉が「緩めた」?それはないでしょう。
死の直前の秀栄にキツい詰問状を送るほどの秀哉の性格からして
それは考えられない。 ただ秀栄との最後の2番勝負はちょっとあやしいところがある
最初は持碁1局をでっち上げようとしたんだけど上手く作れなかったんで
2番勝負にして1勝1敗の打ち分けにするつもりだった。
でも秀栄の2勝になっちゃって話が違う、と秀哉が竹朝に愚痴ってた (`・ω・´) >>151 秀栄が実力No.1の田村を跡目に据えず、跡目を決めないまま
亡くなりそうだったから四段で本因坊を継がざるを得なかった
とてもつらい思いをした秀元に仲介して貰った。何が秀栄を
そこまで意固地にしたか納得できない。『保寿がカネに
汚かった』などという理由はこじつけに過ぎないよ。秀哉は
棋院に様々な権利を寄付していないかな?秀哉全集が激安
だったのは、そのおかげではないのかな?
(`・ω・´) >>152 適当な事を…。『一〇〇万人の詰碁』の呉清源の巻で王立誠が
段位で三段の実力差がないと打ち込めないと言っているよ。
秀栄は秀哉を打ち込めなかったけど、秀哉は秀栄以外の人を
ことごとく蹴散らしているじゃん。小生は秀栄に人格の問題が
あったと思いますよ。この件はプロなら誰でも知っているけれど
語る事ができないタブーなのか???強い人が検証すべきだし、
明治の碁はもっと語られるべき。巌崎健三は漢じゃないか???
それとも俊哲算知殺しなのか???小生は10級の詰碁も
解けません…。 >>150
布石に機略ありっていらんことすんなみたいなニュアンスらしいけどね
別に秀哉の布石が悪いわけじゃなくて秀栄は誰に対しても辛口なんだけど >>153
151の者ですが、俺は秀哉が秀栄に対して「緩めたか否か」を書いただけですよ。
>>153は>>151に対する「反論」なんですか?
何が言いたいのかさっぱりわかりません。 巌崎健三ではなく、巌崎健造だろう? おまいは明治の碁を知らないな…。
健造は俊哲算知の弟子で、俊哲算知の実子の安井算英が子供の頃に健造は
殴っているんだよ…。田村と同じ位の悪人だ。健造は方円社の社長も
やっている。明治期の安井門の最強者じゃないかな?長い間、田村の
ライバルだったんだよ。
俊哲算知は上手七段に昇ったけれど、手合割りは六段のままだった。
御城碁の出場回数は史上二位で、秀策の出場回数(19回?)を
遙かに上回る。前座時代の大仁田みたいな感じで、やられ役を
コツコツと勤めたのかな?雲孤さんは易しい詰碁も解けない癖に、
秀哉の碁は俊哲算知の碁に似ているとか妄想をぶっこいているよね。
田村が千葉のお寺でブラブラしていた頃、誰の碁を研究したのか
誰か知らないかね? >>153
秀哉は雁金を打ち込んでたか?蹴散らしてたか?
秀哉を擁護するあまりズレた事を書いている人がいるねえ。 棋正社はプロの段位が甘いじゃん…。棋正社がアマに発行した段位も甘かったと思うよ。
台所が苦しかったのかな?棋正社の免状が物置から出てきたら、宝物だよね…。
雁金先生の当時の段位は雁金先生(棋正社)が主張していた段位だから、田村との
対戦成績で検証すべき。雁金先生は田村に大きく負け越しているような印象があるよ。
名人は十段扱いだから、そこから雁金先生の実力を検証すべき。現在は、雁金先生は
名誉回復して日本棋院の贈九段だったかな???
ところで! このスレを見ている人たちの中に日本政治史を研究している学者がいたら、
院社対抗戦(大正大争碁)を日本政治史の視点から分析して岩波から出版してよ。
岩波新書は、何年かに1回は囲碁の本を出してもいい。既に、『囲碁の世界』と
秀行の自伝を出してるよね。他にもあるかな?レドモンドに自伝を書いてもらい、
ジュニア新書に入れるべきだよね。
雁金先生は貧乏人で、若い頃に伊藤博文の家で住み込みの書生をしていたんだよね。
その縁で、伊藤博文は雁金先生を終生かわいがったらしい。一方、田村はおじさんが
国会議員なんだよね…。田村も、碁を捨てて車引きだかバッタ屋だかをやった時期が
あって苦労しているけどね。
大正大争碁は、雁金先生のタニマチ(長州閥?)と田村のタニマチ(新興の大倉財閥?)との
代理戦争だと雲孤さんが妄想をぶっこいていて事実のように語るから、誰か検証してよ。 >>156
お城碁の出場回数一位は、本因坊察元(名人碁所)の弟子で本因坊道策(名人碁所)の
師匠である本因坊道悦の師匠である本因坊烈元。これ、豆知識ね。
君ら、碁の歴史をこれっぽっちも知らない。明治の碁はもっと語られるべき。 >>156
×: 本因坊道策(名人碁所)の師匠である本因坊道悦の師匠である本因坊烈元。
○: 本因坊丈和(名人碁所)の師匠である本因坊元丈の師匠である本因坊烈元。
おまいは碁の歴史をこれっぽっちも知らないな。 >雁金先生は田村に大きく負け越しているような印象があるよ。
手合が先なのだが。
>名人は十段扱いだから、
???
>現在は、雁金先生は名誉回復して
???
>岩波新書は、何年かに1回は囲碁の本を出してもいい。
岩波現代文庫でなら「実録囲碁講談」「囲碁の民話学」「呉清源とその兄弟」
座隠談叢は歴史書と言えるレベルではないからなあ。今で言えば別冊宝島みたいなもん。 その代わり昭和囲碁風雲録だしたけど。
歴史書なら、日本囲碁大系の林裕解説部分を一冊にまとめるとよいかも。 林さんも座隠談叢を引用しているでしょう?竜騎兵は、談叢を現代語に書き直した
ダイジェスト版みたいな本を出した事がある。
座隠談叢は易しい文語で書かれているけれど、文語は文語。今となっては、
岩波文庫でなければ収録できないよ。紀伝体的な書き方で、個人ごとの
エピソードがゴマンと収録されています。そして、君らの想像を遙かに
上回る数の棋譜が収録されている。記憶で書くけど、200くらい棋譜が
納められていないかな? 持っている人、情報の補足をタノンマス。
座隠談叢は文化的に非常に重要で、読み物としても大変面白いよ。
歴史書か否かなんて小さい問題。黄帯か緑帯で岩波文庫に入れたい。
みんなも小生の意見に賛同して、あちこちで座隠談叢をプッシュしてね。 >>149
俺が2ちゃんで始めて立てたスレだ、それ。
懐かしい。
>>167
そのスレにはもう書き込めないから、ここに投稿しちゃおう。
↓
弥吉は車坂下の本因坊道場の隣に住んでいた大工の子。
車坂下の本因坊道場って、上野公園にある碁会所の
ところにあったの???
秀哉名人曰く「打碁1000局並べれば初段になれる」だそうですので秀哉名人と丈和名人の打碁を並べて初段になるよ。 昔の初段は今でいう県代表クラス。
1000局並べればそれくらいは普通にいけると思う。
1000局って口で言うほど簡単じゃないし。
俺なら道策の153局を全部暗譜するとかにするかも(もし努力するならの話だけど)
道策の碁って、わかりにくくない?小生の棋力が10級以下だから
理解できないだけかな?
道策と丈和と秀哉では、棋風の直線度は 秀哉>丈和>道策 だと
思うのです。強い人の意見を聞きたいな。
ちんぷんかんぷんでもいいじゃん。棋譜並べは絵の
模写みたいな行為だと思えばいいじゃん。
秀哉の棋譜を並べるのは、秀策の棋譜を並べるよりも
楽しいんだよね。
石田芳男(本因坊秀芳)は『遺恨試合』という本に
「初心者が丈和の棋譜並べをするのはおぬぬめ
できない」と書いていたような記憶があります。
小生は今はもう碁はやっていないけど、過去に
棋譜並べはちょこちょこやっていたよ。学生時代に
テレビを持っていなかったからね。小生は四十代
半ばのオサンだけど、自分で買ったテレビは1台
だけ。過去に3台のテレビを所有したけど、2台は
貰ったテレビでした。
本当は低段くらいになったって良く分かってないのは同じなんだけどね
強くなりたくて、秀策の棋譜を少し並べたけど、
地味でよくわからなくて、つらかった。自分が
弱くて、感心することができないの。当時、
秀策全集の第一巻を古本屋で1500円くらいで
ゲットして持っていた。古本で四巻本を全て
揃えたよ。
秀哉全集の第二巻を新刊でゲットしてからは、
田村保寿の碁を並べていた。ほぼ毎月1冊
購入して、第一巻以外は全部揃えた。当時、
既に第一巻は品切れで買えなかった。最近、
古本で第一巻を1500円くらいでゲットして全て
揃えたよ。田村の碁は、もちろんわからないけど、
小生のフィーリングにマッチした。俊哲算知の
碁に似てると感じた。軽やかさが無くて無骨で
芋っぽいとオモタ。だが、それがいい。
図書館の日本囲碁体系?もちょこちょこ並べた。
算知の碁には何も感じなくて何も覚えていないけど、
道碩の碁は面白かった。初心者でもわかる急所を
直接ビシビシ攻撃し、水面下の戦いで初心者には
わからないけど相手の石が死んでいたり捕獲されて
いるのではなくて、詰碁みたいな感じで盤上で殺して
いたような記憶があります。
丈和や幻庵の碁はよくわからなかった。でも、丈和の
スタイルを身に付けたいと思った。
日本囲碁体系?の元丈の巻は全て並べたような
気がする。元丈の碁は攻めのスタンダードだと
オモタ。知得の碁をどう感じたか忘れた。
×: 算知の碁には何も感じなくて何も覚えていないけど、
○: 算砂の碁には何も感じなくて何も覚えていないけど、
小生は、TMネットワークもWinkもテレビで見たことが
ないんだよね。で、当時、警備員のバイトをした時、
日系ブラジル人ではないかと疑われ、ブラジルの話を
されたり、サザエさんの家族や東海道新幹線の駅名を
何度も質問された。 丈和と幻庵は死ぬか生きるかの殺しあいみたいなのばっかりだから
読めないし分からないけど何か凄い感じはするように思う
>>184
凄い感じはするよね。盤面が石で埋まってしまうし。
幻庵は四哲の一人なのに、なんか評価が低杉。
丈和がいなければ幻庵が名人になっていただろうから、
幻庵は歴代井上因碩で棋力No.1かもしれん。名人因碩と
同じくらい強いのであろう。
入段年齢:
秀策 10歳
趙治勲 11歳
幻庵因碩 12歳 若く入段できるのは、周りが弱いからと思う。
韓国だと、強くても年齢制限ギリギリだったりする人多いよな。 >>183「小生」さん、あなた時々出てくるね。
なんか古碁に詳しいみたいだけど。
ちなみに棋力はどれくらい?
棋力は十級程度でした。いまはもっと弱いと
思います。
能書きは初段あるかも。 そうですか・・・
いや、10級の人は古碁を語ってはいけないというルールはないので・・・
まあ、頑張ってください。
10級あれば、生涯碁を楽しめるんだYO!
能書きは二段あるかもしれん。
>>184
秀哉対雁金戦も激しい戦いじゃない?雁金時間切れの局は、
対局後に秀哉は入院したんじゃなかった?記憶違い???
雁金は、元々は秀甫の方円社のエースでしょう?秀甫が
亡くなった後、秀栄は方円社を潰すために雁金を坊門に
引き抜いたんだよね?我らが田村(秀哉)の方が強いのに
秀栄が雁金を跡目に立てようとしたのは、雁金引き抜きの
件で、秀栄と雁金の間に密約があったと小生は見ますね。
雁金先生は田村の弟弟子として本因坊秀哉の
右腕になっていたら、秀哉が亡くなってから
頼られたんじゃない?
雁金先生の未来を奪ったのは、実は秀栄じゃない?
雁金先生には人間的な弱さがあったと思う。
そう言えば、秀哉名人も方円社から坊門に
移ったんだよね。秀哉名人は、方円社から
いびり出されたんだよね。
秀哉名人の引退碁は双方の持ち時間40時間で
行われた。相手の木谷実七段の消費時間は
34時間19分だった。秀哉名人の消費時間は
持ち時間の半分にも満たない19時間57分だった。
木谷実七段は、川端康成の『名人』では
大竹七段という名前にされている。なお、
この引退碁に起用された時点では、木谷師には
大竹英雄先生はまだ入門していない。
秀哉名人は引退碁を打った時には既に病に
冒されていた。健康を取り戻すことなく、
引退碁の翌年に亡くなった。秀哉名人が
持ち時間を使い切っていないのは、健康状態と
関係があったと思う。
秀哉名人も木谷実先生も、趣味は将棋だった。
川端康成の『名人』によれば、木谷先生は秀哉名人の家で
内弟子をした時期があったらしい。で、病気をして秀哉名人の
奥さんには世話になったらしい。
木谷先生が秀哉名人の引退碁で正当な言い分であれこれごねて、
対局放棄を何度も言い出したのは、秀哉名人に勝つ事に対する
恐れがあったのだと思う。
秀哉名人は、晩年の30年間は黒を持つ事がなかった。
また、秀哉名人が亡くなった時、八段の棋士はいなかった。
秀哉名人の晩年の10年に勝負碁が3回ある。1度目は
雁金先生との勝負碁で、秀哉名人は心臓を悪くした。
2度目は当時五段の呉清源先生との勝負碁だった。
前田が助言したとの流言があった対局である。3度目は
当時七段の木谷先生がお相手した引退碁で、その翌年、
秀哉名人は亡くなった。
秀甫と秀栄と秀哉を比較すると、秀甫は名人になっていないんだよね。
秀栄と秀哉は名人になった。
秀哉は弱かったのか???そんな事はあるまい。
秀哉に弱いイメージがあるのは、野沢竹朝のせいだよ。
秀哉には子供はいなかった。秀哉には弟がいた。
秀哉名人は、将棋でも麻雀でも連珠でもビリヤードでも
長考したらしいね。食事をしていても虚空をぼんやりと
見上げて脳内碁盤で局面を検討していたらしい。
加藤正夫先生みたいな人だったんだな。
秀哉名人には、婦人の妹が赤ん坊を見せに来て
隣の部屋で赤ん坊を泣かせていても内弟子達が
家の中で暴れていても気が付かない程の集中力が
あった。
滝の音がうるさいから止めろと言ったのは将棋の
ひふみんだけど、木谷先生も滝の音がうるさいと
言った事があるらしい。秀哉名人の引退碁の
途中で豪雨による水害があったらしい。対局が
行われた旅館の裏の川も大増水して岩も流れよ
といった勢いの激流になったらしい。その時、
秀哉名人は川がうるさいといったらしい。全盛期の
集中力は既になかったのであろう。 歴代名人
江戸時代
本因坊算砂
中村道碩
安井算知[名人算知] 名人碁所
本因坊道策 名人碁所
井上道節因碩[名人因碩] 名人碁所
本因坊道知 名人碁所
本因坊察元 名人碁所
本因坊丈和 名人碁所
明治以降
本因坊秀栄
本因坊秀哉
名人は、約340年間に10人しかいない。
秀哉や察元が弱かった筈ないじゃん。
田村と雁金の跡目争いは秀栄ばかりが悪いのでは
ないのかもしれない。
田村は本因坊秀元(土屋百三郎)や安井算英(俊哲算知の実子,
安井家10世,安井家最後の当主,いわゆる豚児)に可愛がられた。
算英には実子がなく、養女がいた。算英は保寿と養女を娶せて
保寿に安井家を継がそうとした事があり、保寿も乗り気だった。
いや、逆だったか?
算英の養女には好きな男性がいて、その男性は囲碁の関係者では
なかった。算英は結局はその結婚を許して安井家を絶えさせて
しまっている。保寿は安井家の当主に足る棋力人格見識があると
算英の眼鏡にかなったんだよね。
だが、この件で秀栄は田村は頼みにならないと考えたのかも
しれない。この件は、時系列の表を作って検証すべきかも
しれない。