【現代棋士】囲碁最強者談義 part2 【歴代本因坊】
本当に強い棋士は現代に存在するものなのか?
それとも過去を越えられていないのか?
前スレ:現代棋士?【囲碁最強者談義】歴代本因坊?
http://game14.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1061978462/ 秀哉を最強者候補に入れるには正直違和感を感じるが、
大正最強というのなら納得がいく。
昔の棋士は全盛期が壮年期からぐっと中年期に近いところに
あったから、比較が難しいんだよな。坂田も、そういうタイプの棋士は
自分くらいまでかと思うと著書に書いている。それは若い林、加藤、石田たちの
突き上げを自らが食らったからこそ思うんだろうし、実際本格化が
30代後半以降になる一流棋士というのは80年代以降見ない。
まあ全盛期が長いから最強という話でもないとは思うが、
田村が秀栄の全盛期にもっと強かったら周囲の評価も違ったと思う。 今一番強い人間に飛びつくのは人間の心情。
とはいえ今の韓国であれだけの勝率を残すのは確かにすごい。
昔は国内戦だとあんまりやる気がなかった気もするが、結婚してから変わったのかな。
>>73
「全盛期の後期の頃から」と書くべきでしたね。わかりづらくてすみません。
>>71
周りのレベルが低かったといいたいのだと思うが、
その間タイトルを独占し続けたわけではない。
実際には全盛期であってしかるべき年代に本因坊を連覇してたのは高川で。
2冠もすぐに林にとられ、実力の割に勝負弱かった気がする。 >昔の棋士は全盛期が壮年期からぐっと中年期に近いところに
幕末の全盛時代にはみんな20ぐらいで強くなってる。
秀和は20歳で天保四傑を全部打ち込んでるし。
例外は丈和ぐらいじゃないですか?
40歳を超えてから碁界を制覇したのって坂田ぐらいかと。
秀栄も秀哉も30半ばで第一人者になってるから(先人が死んで繰り上がっただけだが) 治勲とチャンホは歳が20近くも離れてるからなんとも言えないなあ チャンホが治勲に東洋証券杯で3連勝したのは
チャンホ17歳、治勲37歳の時だからな。
若い方が勝つのは当たり前とはよく言われるが、若すぎだろ。 坂田は自分のタイトルのほとんどを40以降に取ったのは密かな誇りと言ってたな。
呉や宇太郎に重要なところで負けちゃったり、本因坊リーグ次点続きでなかなか挑戦できなかったのが痛いな。
しかし坂田はかっこいい。 秀哉はあまりに過小評価な気がする。
棋譜並べてみると分かるけど、名人についてから本気で打った碁はほとんどない。
そこを考えてみるべきだと思う。
瀬越との手合いが先になるまではほとんど本気で打ってないのに、
秀哉に迫るものとして認められてからの二子局は明らかに本気で打って、しかも持碁。
そのあとの向こう先番も勝って、事実上勝負付けがすんだあとはわざと1目負けてる。
三々、星、天元で有名な碁は、はじめは
「新布石にはこういううち方で勝つんだよ」
って教えるような打ち方で始まってるし、呉清源がうまく打ったら負けてあげよう
っていう打ち方してる。
この碁が争碁に化けたのは当時のファンが大騒ぎしたから。
引退碁なんて、65歳で重い心臓病を抱えての対局なのに、
「打ちかけのための封じ手」みたいな手の直前までコミなしの白でいい勝負。
結局当時の第一人者に5目しか負けてないんだからすごい。
最強候補の一人には確実に入ると思う。
>>79
囲碁の神様とまで言われた呉清源に負けるのは仕方がないとしても
宇太郎などという弱小棋院のザコに負けるのは流石にまずいだろ>坂田 時代水準を考慮するとやはり日本では秀和が最強じゃないかと思う
近代囲碁では韓国のチャンホかセドルだろう >>81
そのザコをいつまでもリーグで活躍させた現代棋士はごみですか? 秀哉の碁は強いけど時間をかけすぎていて今ひとつ心を打つものがない。
争碁でもないのに二手で打ちかけたりでは他の名人に比べて余裕がない印象
。もちろん当時最強には違いないが打ち込んでいる相手のレベルが低いので
ね・・。手合い数が少ない昔だと強くなるのに時間がかかるのは仕方ない
とは思うが、逆に衰える年齢も遅くなる気がする。
秀栄も秀甫が坊門を継いでいたら教わる機会も多くなって上達が早かったのでは
・・。秀策や秀甫はその点恵まれていたので若いうちから強いのだと思う。
丈和は一時期碁をやめていたので晩成なのではないか。
>>76
そう言われてみれば、晩成と言われる仙得でも30前後までには本格化しているな。
坂田の文章では、芸というものは若いうちには完成しない、という言い方だったから
勝負における強さはまた別にあるという前提だったのかもしれない。
あるいは、自分が若い頃に活躍していた大先輩に遠慮したのか。 >>80
つまりその秀哉が定先までしか迫れなかった秀栄ははるかに上で
秀栄が30過ぎても白をもって五分だった秀甫はさらに強く・・・ つっても昔の名人って言われた人達は二十半ばにはだいたい黒番必勝じゃなかった?
芸とか勝負とかでなくて、その意味で十分な棋力はあった気がする。 >>83
74歳当時の橋本宇太郎の本因坊リーグ入りを許してしまった
石田芳夫は救いようがないなw
仮にも木谷門下の三羽カラスの1人(コンピューター)なのに
三流老いぼれ棋士ごときに負けるなんて恥ずかしすぎるだろw 宇太郎より早く衰えちゃったんだから仕方ない>コンピュータ 宇太郎はここ一番に強い。
大手合で利仙先生にコミなし先番で敗れた直後、
第2期本因坊戦挑戦手合で先生にコミあり先番で勝利している。
コンピュータは24世を襲うと同時に止め碁かも。 >>89-92
明らかにスレ違いな話題はやめろ。
ここは「囲碁最強者談義」スレだ。 現代の10代の特徴:
正義感のかけらもないくせに「スレ違い」「重複スレ」等にムダに厳しく
「自演」「粘着」などの紋切り型のことばで他人を貶めて満足する。
知識が不足している上に考える力も足りないので
猿真似のように無意味に誤変換を多用する。
>>93
囲碁は大人のたしなみだからガキは出て行きな たしかに宇太郎は最強候補にはならないかもしれないが、
>>90-93は別に「宇太郎が史上最強だ」と主張してるわけではない。
その時その時の話の流れに関係なく、ただ単に単語に反応してスレ違いと認定するのはおかしい。 アホか。
ウタロウが史上最強だと主張するならいいが、主張してないからスレ違いなんだろ いや、歌郎がかりに最強だと主張しなくても、
最強候補を比較するものさしになればそれで良いんじゃないか?
秀策が最強だという人がいて、秀栄が最強だという人も別にいるとき、
秀甫を利用して、
秀策>秀甫>秀栄
というような話は出来ると思うんだ。
ただ、卯太郎がそういう話に使えるかどうかは知らない。 秀甫>秀栄はそんな気がするね。秀策と秀甫はよく分からないけど・・
秀甫は秀栄との十番碁でかなり手を抜いてる印象がするのは俺だけかな。
秀策とか秀甫は卯太郎同様スレ違い違いだろう。
最強と主張するならいいけど >>97
ああなるほど、そうか。それはうっかりした。
でもそれを踏まえて再考しても
厳しくスレ違いと断ずるほどのものじゃないと思う。
スレの流れからの自然発生的な話題だから。
あと俺は94ではないので一応。 瞬間最大風速で言うなら小野田千代太郎も捨てがたい気がする。
六段で2期連続大手合い全勝優勝なんて、人間業じゃない。
あの一年だけに限れば歴代でも相当な位置にいけるように思う。
まあ一年限定だけど・・・ 大手合なんだからハンデ戦なんじゃないの?
七段の秀策がお城碁で勝ちまくったように、実力より段位が低ければ勝ってもおかしくない。
石田芳夫の大手合30連勝とかに比べてもどうなんだろう。
趙治勲の33(?)局連続負けなしとかもあるし。 小野田の優勝は昭和17年秋・18年春だったかな。当時は木谷・呉
につぐ実力者の一人だったから調子がよければ全勝も可能だったのかも。
御城碁だと二子局もある中での道策・大仙知の記録も立派だね。秀策の
19連勝も難しい記録。黒番が多いとはいえ天保四傑相手の白番も勝ってる
ので立派。
>>106
もしかして小野田連続優勝のときの段位の厳しさ知らない?
今の日本の昇段規定の九段が当時の四段に相当するんだけど。
>>109
わかりにくいツッコミだな。
ほかの棋士の段位も低かったので小野田一人が
有利な段位にいたわけじゃない、と言うべきじゃないか? >103
禿同
そこから考えると秀和、秀策、秀甫のだれかが最強だと思う
丈和や幻庵より前、大仙知、元丈、仙知は強いが秀和との対戦(丈和と幻庵だけだが)から比較すると少し劣るのではないかと思う
道策や道的、個人的に中村道碩なんかは中盤から終盤からものすごく強さを感じるがいかんせん布石が古くて分からない
比較的新しい時代、呉や坂田はまだ生きてるし先人達と比較するのはやめとく 呉の序盤の柔軟な発想や坂田の中盤の切れ味は三秀や丈和よりも
勝るように思うけど確かに幕末のレベルは高いね。秀和や秀策で
も算知や仙得に苦戦している碁も多いし・・。
まあ今の定石の原型を秀和や秀策が打ってるケース(大斜や小目
)が多いんだけど呉はそれに新たな解釈や変化を生み出している
から序盤で優位に立ちそう。坂田の碁を並べたら中盤以降坂田が
三秀に劣るとも思えないしね。
江戸前期の碁についてはスピードに欠ける部分で評価が低いよう
な気がする。道策は布石も割合現代的で発想が柔軟だから評価が
高いのだろう。
>>111
秀和が「秀策が長生きしていたとしても、秀甫には・・・」というようなことを言っていたはず。
つまり、これは秀策と秀甫がともに生きていた時代では秀策のほうが強かったのだけれど、
才能では秀甫が勝る(将来的な最終到達点が高い)ということだろう。
実際に秀甫が最終的に秀策よりも高い点に達したのかという点では意見が割れるだろうが、
私は秀甫が強かったと思う。
秀策と秀甫の最後の対局時では1子も差はなかったと思う。
しかし、秀策の死後秀甫は1子は強くなっていると思う。
だから秀策よりも秀甫の方が私は強かったと思う。
同じように秀和と秀甫を比べても最終到達点では秀甫が上ではなかっただろうか。
つまりこの三人の中では秀甫が最強だと私は思う。 秀甫の全盛時には秀策は下り坂だろうから
それを考慮に入れた発言だという意見もあるぞ。 秀甫って秀和に白番いれたことあったっけ?
秀策はたしかずっと黒もってたから比較しにくいし。
どちらかと言うと序盤での布石感覚ですこし独特な分、
秀和は秀甫を高めに評価した気ガスる。
逆にいえば中終盤は二人とも完璧に近いというし、ほぼ五分だろう。
勝ち負けでいえば、秀策の実力は疑いようがないからな。
勝ち負けは運といわれてしまうともうどうしようもないが。
知るかぎり秀和の黒は鉄板で、秀策でも黒で怪しい時もあったし、秀甫はポカしたりするけど、
この3人でやりあって白番をいれるのはほとんど無理な気がする。
手合いで見れば互い先が崩れるほどの差がある気がしない。
秀栄がなー。可能性では白でもなんかこなしそうな気がしないでもない。一方で黒がよくわからん。 >>114
そういう意見もあるのですか、参考になります。
となると>>113で書いたのはちょっと違うことになるのですかね?
>>115
秀和と秀甫は最後は先相先になっていて、
そこでは秀甫の方がいくらか勝ち越していたはずです。
だけど、秀和は先番では一つも落としていなかったと思います。
その三人の白番を入れるのは難しいというのは、
「先番と白番の打ち方に違いがあって、
三者とも先番は得意だけれど、白番は苦手だった。」
というふうな解釈でしょうか。
その意味では秀栄は白番が得意だったということですか?
黒番と白番で別けるとこんな感じかな
黒番:道策
白番:秀栄 秀策の黒、秀栄の白。
>その三人の白番を入れるのは難しいというのは、
いや、コミなしだから・・・ >>113
実は私も秀甫最強説を唱える一人です
道策、丈和、秀策の三棋聖よりも強かったのでは?と思っています
ただ人格者じゃなかったため時代の評価が下げられてるんではないかなーと思います
跡目問題の時に丈和未亡人から反対されたり
ある対局でノゾキを打ちトイレかなにかで席をたった秀甫が戻るとまだ長考してた対局者に対して
「天下の秀甫が打ったノゾキだぞ。継がぬ馬鹿があるか」
など問題があったような逸話が遺されていますからね
しかし>>115氏が言われたように多少ポカがあったりにしろ棋譜からは柔軟な序盤戦、読み負けない接近戦、勝ちまとめるのがうまい中盤戦、そして秀甫の一番の強い所はヨセだと私は思っています 秀甫に肩を並べるものがいなかったから強く見えるのは仕方ない 秀甫は先相先で秀和に5−3、黒で負けたのが有名なヨセの見損じの一局
で残りの黒番は五勝しているのでもう少し打つと互先になってたはず。
晩年は秀栄を向定先で5−5と圧巻の強さ。坂田や林が評価するのもうな
ずける。実際並べると中盤の力の強さやヨセの巧みさに感心させられるね。
秀栄は秀甫との10番碁以降に強くなった印象があるから、
そこをとって秀甫が一番って感じはしないんだよな。
あの頃の秀栄って五、六段だったよな。
たしか終わったあとに七段に押されてたけど、
まだ少し黒でぬるい感じがあった。洗練には程遠いというか。
ちょっとさきの六段の時の田村の方が強い感じがする。
>116
不毛だけど仮に三秀が打ち盛りの時でも良いけど
三人で打ちこみ碁やったら、3人とも黒番が鉄壁すぎて誰も白で勝てないだろうということ。
白番が下手だからという意味ではない。準名人クラスは黒鉄板だろ。普通。
伊藤松和みたいに、白の方が棋風にあってるというような個人差はあるかもしれんが。
ただ布石の進歩とかもあるけど、白番の秀栄だったら何回かいれることができるかも。という妄想。
秀栄の打ち盛りの時の黒番は見たことないから分からん。
まぁ秀栄でもたまにヨセミスったりするから、やっぱりそんなに変わらんとは思うけどね。
>121
俺も本で読んだり全体的に並べて感じた印象だから技術とか深くは突っ込むな。
まぁ俺はなんだかんだ道策最強だと思うんだ。
不出来は燃やしたとか、一門総出で考えたとかいう話も聞くが。
秀和、秀策、秀甫、秀栄の4人じゃ、秀和が最強だと思う。
秀策も秀甫も、秀和に黒を持ったなら中押しで勝たないと。
秀和は秀甫にきっちり中押しで勝ってる。
秀策に対してもおんなじ結果が出たと思うよ。
よく「秀和に対する秀策の白番がみたかった」なんていわれるけど、
秀策ファンにとっては白を持った棋譜がなくってよかったんじゃないかな?
そんな秀甫のことを「名人の域に達した」なんていうあたりに秀和の自身を感じる。
ちなみに秀栄は「親父には二子でもいやだよ」って言ってる。
半分は冗談だとしても、秀和に強さを知ってる秀栄だけに勝てないっていう思いはあると思う。
>>125
「秀甫=名人」の評→秀和の自信
なるほど。これは説得的。
勉強になりました。 >>120
秀甫が人格者じゃないなんて説は初めて聞いた。
三秀はみんな人格的にも立派だろ。 >>125
秀甫・秀和十番碁をじっくり並べれば黒番秀甫の完勝譜が多いよ。
秀和は最後まで作ることが多いから中押し勝ちにならないだけで
・・・。34歳の秀甫は秀和に追いついていたと見るほうが自然だ
と思う。秀和のコメントは自分に追いついたという意味だろうけど
いかにも自信家の秀和らしい発言。
秀策・秀和戦は跡目になってから極端に少ないので何とも・・。
残ってる棋譜からなら秀和優位だろうけど同じくらいの年の秀和
も丈和や幻庵相手に苦戦している碁もあるので難しい。
丈和も跡目になってからの黒は鉄板で不敗だったので三秀に劣るとは
いえないと思う。
>>120
>>127
ノゾキに継がぬ・・・という逸話は私は初耳ですが、おもしろいですね。
自信の現われと見るか、驕りと見るか、人それぞれでしょうが、
その場に居合わせないのでわかりません。
秀甫は中江兆民の近代非凡人31人の内の一人に選ばれていました。
人格者であったかどうかは分かりませんが、
こういうのに選ばれるのですから、
少なくとも非人格者ということはないだろうと思います。
>>113
秀策存命なりともいえども秀甫に歩あり
というのが秀和の遺した言葉ですね。 バカバカしい・・・・・
棋譜の蓄積があるので現代の方が強いに決まってるんだけどな。
江戸時代の天才科学者平賀源内と現代の凡庸な学者と
どちらか上かと言うというまでもない。
幼少の平賀源内をタイムマシンでつれてきて現代科学の教育を
受けさせればやはり天才になる可能性はあるが、
中年の平賀源内を現代につれてきても何の役にも立たない。 ちなみに将棋の羽生は
大山十五世名人より現代の三段リーグの方が上と言い切ってる。
棋譜の蓄積があるから当たり前なんだけど。
エジソンやダビンチやアルキメデスと現代の二流学者や技術者と
どちらが上かな? 棋譜の蓄積が役に立たない中終盤の力が物を言うのが、
囲碁というゲームの特色なのだよ。序盤だけならその通り、
現代の方がずっと上だと言える。
囲碁を知らない人の意見を代弁してくれていると思えば、
>>130-131はごく自然な話だね。しかし一般人は自分の知らない世界に対して
バカバカしいまで言うかな?いや言うかもしれない。そのくらい特殊なケースだろう。
平賀源内だダビンチだって言い出すのは、好意的に見れば一般人に
近い感覚を持っていると言える。ただ普通に見れば、囲碁始めたばかりのおバカさんね、
ってとこだな。 知識の蓄積の影響は分野によってそれぞれなんだから他の分野の例を持ち出してもしょうがない。
宮本武蔵と現代の格闘家どっちが上かな?とか言ってもしょうがないだろ。
囲碁のことは囲碁の言葉で語ろうぜ。 囲碁は運の芸ですからね。昔の人のほうが優れていることは十分ありえるんですよ。
譜が残るという意味では音楽に近いかもしれませんね。 現在の韓国は研究生で世界トップ棋士と先で打てるレベル。
昔の日本は新初段が名人に2~3子。
半目を競うプロの世界でこの差は凄まじい。
ネットの普及もあって情報の量とスピードが段違いであることと
幼少の頃から人権を無視して囲碁漬けにして競争させるような過酷な環境の差と思う。 >>131
羽生がそんなことをいってたって?
現代に棋士には珍しく天野宗歩を高く評価してる人だぞ。
直接対局してる(しかも結構負けてる)大山にそんな評価をするわけがない。
平賀源内はともかく、アルキメデスやダビンチをなめてるのか? 現在と昔比較されても。昔もいつのものかよくわからんし。
そもそも手合い割りから名人と初段格は四子と決まっているんだからどうしようもないだろ。
七段格は現タイトルホルダーと同等くらいとされていたから、三子の手合い割りだが。 >>133
宮本武蔵≦チェ・ホンマン
平賀<<チョン・モンジュン
ダビンチ<イ・ブル
秀策<<<<<<セドル 絵画にしろ音楽にしろ過去のからの積み重ねだけど
現代の方か優れてるかな?
囲碁はこれに近いものがあるように思える
例えば手筋なんて何百年も前に出尽くしてるんだ
あとは個人の力量次第 いろいろ新しいことやっても結局昔の打ち方で落ち着いたりするよな
コミ碁では重いと言われてた秀策のコスミを打ってるプロも増えてきたし 張栩がチャンホに対して秀策流でコスミを打ったことがある。 チャンホが2手目星だけどこれ?
ttp://wiki.optus.nu/igo/index.php?cmd=kif&cmds=display2&kid=16924
これは研究で打ったのか、それとも似た形になったから打ったのか。
俺だったら秀策流と同じ形になったら、コミがあろうがコスんでみるけどなw 石田芳夫の全盛期って強かったと聞いたけど、どのくらいのものだったの?
全盛期が短かったのはなぜなの? >>145
なんといってもコンピュータといわれるほどの正確な計算とヨセの力でしょうねぇ
イチャンホが神算のヨセなんて本を書いてたけど30年以上前にそれをやってた感じ
具体的には当時の第一人者だった林海峯の天敵といわれたのと、大手合30連勝とかかな
全盛期が短かったのはやっぱり緻密な計算で打つスタイルに消耗を強いられたという説と
同門の加藤、武宮、趙といった次世代が台頭してきたからという感じでしょうか あの世代はとにかく強いのがうようよいたから、
それで石田芳夫の全盛期はみじかかかったんだよね。
全盛期があるっていうだけで十分すごいとは思うんだけど。
でも父に言わせれば、やっぱり林海峰のほうが強かっただってさ。 何をもって最強とするかは非常に難しい。
以後を勝負事とをしてみればやはり圧倒的に勝つことが
最強であるためには必要なのだろうと思う。
だけど、同時代でないから比較できないことが多い。
というわけで「布石」「中盤」「ヨセ」の三つに分けて考えてみた。
布石:秀策
中盤:坂田栄男
ヨセ:石田芳夫
布石はやはり秀策が良いと思う。
先番はもちろん白番でもやはり間違いがないと思うから。
中盤は坂田の張り詰めたうち方の右に出るものはいない。
江戸時代の人よりも現代(昭和以降)の方が私には強そうに見える。
対局の相手も同じくらいに強いからかもしれない。
ヨセは李昌鎬とかその他の現代棋士とも比較は難しいけれど、
石田芳夫は終盤に勝ちきる確実性で最強かと思う。 布石は昔の人を出したらダメじゃないのかなあ
秀策が素晴らしいのは否定しないけど 秀策は布石下手な部類に入ると思うけどね。秀和のほうが上手だと思う。
むしろ秀策は中盤以降の強さのほうに見るべきものがあるのでは。御城
碁の松和戦などが好例。 ヨセ=チャンホってのはイメージ先行で、チャンホが一番すぐれているのは形勢判断。
セドルが相手だと戦いをチャンホが仕掛けることが多いのは、セドルとヨセ勝負したくないから。 秀策は、リードを守るのが巧いね。
光一みたいに優勢になったら露骨に味を消していき
簡明に勝つ。店仕舞いのスペシャリスト。
コミなし黒番は最初から有利だし。 布石:゙薫鉉
中盤:呉清源
ヨセ:坂田栄男
私が棋譜を並べて最も感動した人たち。最強といっても良いだろう。
3部門に分けると私ならこうなる。
秀策は確かに強い。だけどなんとなく緊張感が足りないような気がする。
゙薫鉉の打ち方はなんというか全部打ってしまう欲張り具合が好きだ。
中盤はむずかしい。呉清源は並べていて強いと思う棋士の中の一人かな。
秀和や秀甫などの幕末明治も強いけど、現代棋士のほうが上かなと思う。
ヨセはジリジリ計算で詰めるタイプよりも手筋で勝負を着けにいくタイプが強そうに見える。
そういうわけで坂田や加藤正夫タイプの方が呉清源や李昌鎬タイプよりも強そうに見える。
でもこれは好みの問題かもしれない。 布石:秀栄1900年
中盤:秀策1855年
ヨセ:知得1810年 布石:サイレンススズカ
中盤:クロフネ
ヨセ:テイエムオペラオー 序盤 呉清源
中盤 丈和
終盤 イ・チャンホ
呉は序盤を工夫(研究)して優位に立つ碁が多い印象。
丈和の中盤は素晴らしい。
チャンホは終盤に絶妙手で逆転というケースが多かったので。 >>156
秀栄1900年と知得1810年について解説をしていただけるとうれしいですね。
>>159
丈和の中盤は相手が弱いから決まっているだけのような気もしますが、そんなことないですか?
一発決まってそのままズルズルというのが古い碁では多いので、
私は江戸時代(など層の薄い時代)の棋士の中盤はさほど強いとは思えません。
現代のほうが、ワザが決まってもその後まだぽっきりと折れずに戦いが続くので
ワザは決まりにくいかもしれませんが、それでも強い印象を受けます。
呉清源の序盤は確かに工夫が多くて、空振りもあるけれど、抜きん出た才能を感じますね。
特に勝ち碁では圧倒的な強さを感じます。 >>160
丈和の中盤は技が決まることも多いですが、相手が高手の場合は形勢判断
をしながら簡明に勝ちに行くケースも多く非常に柔軟なので高く評価して
います。力ももちろん強いのですが碁をまとめる構想力という点で歴代屈指
だと思います。
御城碁譜で江戸後期筆頭に上げられているのもうなずけますね。
>>145
正確に言うと、マージャンに溺れたせい。 >>160
技が決まってもぽっきりと折れないんじゃなくって、
勝ってるほうがふるえで決め手を欠いてるっていうのが正しい表現かと。
勝ち碁を勝ちきる腕が現代の棋士にはかけてるから、そういう印象になってるんだと思う。
ちなみに呉清源は新しい試みをしてるように思われてるけど、
ほとんどは秀哉が過去に打ったことがある手法。
無知な現代棋士が呉は新しいことを試みてるって言ってるだけ。 初めに打った人間が偉いかどうかはさておき、新しい趣向を
衆人の認めるところまで持っていった功績とその実力は
十分に評価されていいと思うけどな。
ミニ中国流を「道策流と呼ぶべきだ」という声があり、俺もこの呼び名は好きだが、
300年前の手法が通用しているかのような呼び方にも聞こえ、些か抵抗を覚える。
道策は偉大ではあるが、ミニ中国流を洗練させた現代の棋士たちは、
この戦法における功績としてさらに大きなものを持っていると俺は思う。
秀哉が呉と同様の新手をことごとく試みていたという話は寡聞にして知らないが、
そうだとしたらはじめに(?)試みた点において秀哉は評価を受けていいと思う。しかしながら、
そのことで呉の評価が下がるわけではない。 廃れた布石を打ってる棋譜があったらこのスレで取り上げるのはどうだろうか
スレ違いな上に2chのノリとずれるが 初めに打った人間は偉いに決まってます
たとえ深い考えはなかったとしても 偶然としても >163
秀哉ではなく秀和の間違いでしょう。梅鉢は秀和が最初に打ったはず。
小目の定石は秀和考案が多い。
それから重要なのは呉清源は過去に悪いとされていた形の有用性を示した
ことに意義があるわけ。最初に打っても有用性を示さないと定石にならな
いのだよ。秀策流にしても丈和が打っているが戦法としての絶対的価値を
高めたのは秀策だから秀策流でいいと思う。
星打ちに対する小ゲイマ受けの有用性を示したり、大ナダレの内まがりを
考案したりという点ももちろんだが布石に応じて定石にとらわれてないと
ころが最もすごいところ。単に新手を生み出したから評価されているわけ
ではない。
なお技が決まりすぎる(特に江戸前期)のは力量の差があることの証左
と考えるほうが正しいと思う。 梅鉢は知得も打ってたような気もするが記憶違いかもしれない。
なお定石や布石に関しては木谷実考案のものも多い。小目の二間高
バサミも打った例ならば他にもあるが定石にまで高めたのは木谷の
功績。他にもツケヒキ定石や木谷定石などかなりの数にのぼる。
>>145
石田芳夫は1981年には既に弱体化してただろw
何しろ橋本宇太郎とかいう耄碌ジジイのザコ棋士に敗れて
本因坊リーグ入りを逃したというのだからあまりにもお粗末。
死の瞬間まで碁石を握ってリーグに在籍したまま亡くなった
火の玉宇太郎センセイを悪く言わないでください>< なぜだか知らないけど橋本宇太郎には粘着アンチがいるから。