【現代棋士】囲碁最強者談義 part2 【歴代本因坊】
本当に強い棋士は現代に存在するものなのか?
それとも過去を越えられていないのか?
前スレ:現代棋士?【囲碁最強者談義】歴代本因坊?
http://game14.2ch.net/test/read.cgi/gamestones/1061978462/ 趙チクンも秀策、秀甫などは非常に素晴らしいと言ってるね
逆に道策のことはあんま評価してないみたいだが 趙治勲傑作選で秀策のことを「ああいうひたひたと盛り上がってくる碁は
どうも、、」とあんまり好みでないように書いていたぞ。秀和とかの軽い碁
のほうが好みのようだぞ。
>>337は根拠を示してくれ おそらく>>337の根拠は「地と模様を超えるもの」だと思う。
「幼少の頃秀策を並べたとき、丁寧で完璧すぎる打ち回しが、
かえって退屈でつまらなく感じてた」とか言うような事が書いてた気がする。
まぁ好みと評価は別物だという事だわな。 治勲は、昔の層の薄さを指摘してたな。
先とかありえねー
高尾でもセドルに勝てるよ。 >先とかありえねー
>高尾でもセドルに勝てるよ。
それはどうだろうか? >>340
秀策の時代は層が薄いとは思えないけどな・・・
秀甫、丈和、秀和、太田などなど 先なら楽勝。
互先の場合コミを出さなければならないからこそ
黒は頑張らなければならないが、
最初からコミがなければ無難な手を選んで安全勝ちできる。 だといいがな……呉清源が十番碁を打っていた時のことを考えると、言い切るのはかなり難しいかと。
微妙に薄く打ちながら差を詰めるセドルの姿が想像できる。
関係ないが、この間坂田の碁の5を買って読んだら、「薄い碁を打つのは橋本宇太郎、山部、それから呉清源、
私(坂田)もカミソリと言われるくらいだから薄いのでしょう」とか書いてあってワロタ。坂田先生の文章はさりげないユーモアがよい。 呉の時代も層が薄いと言われてるよね。
呉の白番は、無茶をするという評価もあるくらいだし
コミなしの白番で勝つ事は尋常な事では無いと思う。 しかし高尾がセドルの無茶な手に正しく応じることが出来るのだろうか 先で勝てるくらいならコミのある白を持っても勝てそうなもんだけどな。 棋力が低いとコミは、あまり関係ないからな。
定先も互い先の黒も勝率変わらない人達なんだろうな。 もし中韓の存在がなかったら
井山って今頃神クラスの扱いなんだろうなあ 現代棋士最強派の人たちは、
今後更に強い棋士が誕生してきて
今のところ最強といわれている棋士を凌駕していくとお考えですか? 韓国はここらへんから後10年くらいがピークっぽいな
日本ももうブームなさそうだし後は中国か >>350
ありえるな。
スポーツでも引退して対戦不可能になった選手等は、美化されていく傾向があるけど。
直接対戦でボコラれたらフォローできないからな。 セドルの棋譜を並べてたとき道策でも勝てないと思ったことが1度だけある >>356
その一度とはどういうとき?
どんな棋譜並べたときですか? 単に二人を比べたら今のほうが強いんだろうなとは思う。
だけど、当時と今では実力者の層が違うから
大差の勝負だと実際以上に勝った者の強さが際立って見えるよね。
その棋士の当時の棋士の仲での偏差値の差があるかどうかってことかな
層が厚くなったのは確かだけど、個人の能力で言えば
頂点はそう変わらないだろう。
野球で例えるならいかに練習法が体系的になっても
200キロの球を投げれるってことはない。 言いたいことはわからないでもないが例は全く適切ではない。 >>358
道策の場合、むしろ負けた方の弱さが際立って見える碁が多いわけだが・・・
>>361
それはいま世界戦で負けている日本棋士と同じだということ? >>360
何故。中盤戦以降は手割論のころから進んでいないのだから
頂点は人間の能力の限界あたりで打ち止めってのは同じことだろ。 >>363
囲碁の場合、打ち止めは人間の能力の限界ではなくて
囲碁の棋理のなかで最善手としての盤上の限界ではないかな
盤面には最善手があるはずだから
もしもそれは進歩していないのなら、
すでに最善手に到達しているか、かなり肉薄しているかと言うことだろうと思う >>363
頂点が変わらないというのは一つの説として検討に値するかもしれないが、
その例として「200キロの球を投げる」ことを出すのはいかにも荒唐無稽だということ。
それは単に、垂直跳びで2m跳ぶとかイルカより速く泳ぐとか、「人間にできそうもないこと」でしかないから、
頂点の実力が変わらないこととは何の関係もない。まして、野球は球を速く投げることを競う競技ではないし。 現代の道策がセドルということですか
それは秀策だったり呉清源だったりのときもあった
最強者同士を比較するなんて無意味というか不可能だね >>366
100マイルの速球なら例えとしていいんじゃない?
100年ぐらい前から剛速球投手はこれくらい投げるけど、
現在の方が投げられる投手は多い。
まあ、この例えがちゃんと囲碁に対応してるかどうかは別問題だけど。 まぁ若干ルールが違うから、もともと正確に比較するのが難しいんだよな。
ただ、他人の碁もアホみたいに並べているプロ達が
昔の名人の棋譜を並べて強いって言うんだから、
相当つえーのは確かなんだろうな。
序盤の段階は今と打ち方が違うので参考にし辛い面はあるかもしれないけど、
中終盤は分かりやすく棋力に繁栄されるからな。
世界的なコミなし碁の棋戦でもあれば、もっと評価が高まる気はするんだけどな。 確かにそうだね
細かいこと言ったらコミが4目半と5目半と6目半でも違うだろうし
そういう点でも比較しにくいのは間違いないね 仮に江戸時代の棋士と現代の棋士が実際に勝負をしてどちらが強いのかを決めるとしたら、
その勝負はどういうルールで行なうのが良いんだろうね
どういうルールで勝負を行なえばどちらが強いのかを判断できるんだろう? 囲碁というものを勝ちと負けを出して二者のうちどちらがより囲碁で強いのかを判別するにはどうしたら良いんだろう?
コミありかコミ無しか
先番白番はどうするのか
何番勝負にするのか
囲碁を二者の強弱を決めるための勝負事であると仮定した場合、
どういう勝負を行なうことで二者のうちどちらが強いか(秀でているか)を決定できるのだろう
というようなことを言いたかったんです すいません 現在互先と呼んでいるものは本来の意味での互先ではない
コミ6目半の碁をで先番白番を交代して10番打つのか
コミ無しの本当の互先を10番打つのか
どちらがいいんだろう 様々な条件でやるのがいいだろう。
13路10番、コミ無し10番、早碁20番、持ち時間3時間30番、
二日制8時間20番、持ち時間20時間10番の100番勝負
これくらいやったらわかるかな >>374
コミありの現代のルールでやれば現代の棋士のほうが有利だという話がある
コミ無しのルールでやったらその当時の棋士のほうが有利なんだろうか
呉清源はコミ無し碁に対応しきれずに第一線から取り残されていったという話があるけれど、
コミ無し碁を続けていたらどうなっていたんでしょうか
最強時代の呉清源と現代最強棋士がコミ無し打ち込み碁の十番勝負でも行なったらどちらが勝つのだろう
同じ時代の棋士でも直接対局がないと分からないのに
仮定をくりかえしてどちらが勝つかの判断は不可能だな。
例え実力差があったとしても。 200Kmは投げられないかもしれないが、
170Kmなら投げられるかもしれないじゃないかw >>377
コミ無しで互い先の十番碁をやったら
呉清源のほうが強いと思うな
いまの棋士よりも柔軟なうち方が出来そうな気がする 秀策はなんでヒカルの碁では誰もが史上最強って言う
みたいに描かれてるの? 秀策は実際に史上最強候補のひとりだから。
呉清源も李昌鎬も修行時代は秀策の棋譜を並べて研究したらしいし。 そういえば、
コミ無し白番最強
コミ無し黒番最強
コミ碁最強
っていう話題があったのって前スレだったかな 1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
こういう区切りで最強決めてみたら? >>342
江戸時代の代表する棋士を羅列して
層が厚いと主張する人がいるけど
歳けっこう離れてね?
+-十年くらいで打ち盛の状態で戦える棋士を考えてみると
現代に比べ、圧倒的に層薄そう。 たしかにそうだね
全盛期を同じくする数人によるライバル物語というのが続いてるぐらいが
層が厚いという状況でしょうね うん、トップの棋士はたしかに強いけど今より層が厚いということはないね。
秀甫とか秀栄の碁見ると明治あたりはさらに層が薄い印象。 で、大正はさらに薄かったんだろうな。明治の西洋崇拝の影響で。
平成は後世から何と言われるんだろうね。 今は戦国時代
コイツ最強!とか思っても5年くらいで失速する
秀和のように20年以上碁界のトップに君臨するなんてもうないだろう 昔の手合い割り制度がトップでも常に工夫を求められるという意味で、
強い名人を輩出していたんじゃなかろうか。
それはあるかもね
黒番でも白番でもあるいは二子でもこなせるというのがすごいよね
いまはそんなひといないもんね 昔の名人がそれなりに強いのは、碁の強さに限界が近いからだな。
>>394
セドルなら今の日本の棋士に二子で勝てる 趙治勲が第一期の大三冠の頃?、雑誌の企画で
山城宏、小林覚、王立誠と打ち込み碁を打って
向定先で3勝2敗、向2子で2敗だった。
山城はリーグ入りしてたはず。
小林光一は日中名人戦で「手合いは定先でいいよ」って言ったはず。 >>394
そのとおりだね
それぞれで打ち方が変わるのを使い分けるというのは
かなり難易度の高いことですよね
>>397
向定先って向先のことだよね?
定先も向先のことだよね?
今もあるのか知らないけど、
週刊碁の新初段シリーズってのも打ち込みだったかな 言うまでもなく秀策
井山が中韓棋士を撃破して世界戦で優勝を重ねるようになって
初めて比較の対象になる >>397 光一かっこいー さすが日本のp棋聖名人
中国だの韓国だのには千か西で迎え撃ってこそ日本の名人たりうる。
ふさわしくかっこいい。
女子高生に負けてきたり一回戦で負けるような名人はいらない。 >小林光一は日中名人戦で「手合いは定先でいいよ」って言ったはず。
今は逆にそう言われそうorz
光一は富士通杯の観戦記で「中国の検討陣から『強すぎる』との声が上がった」
ってのが印象に残ってるな >347 無茶な手じゃないよ
プロ相手に無茶な手ばっかりで こんなに勝てるわけないじゃん
読みの深さが半端じゃないんだよ
セドルさんの読みの深さは凄いと思いますよ 無茶でたらめそれは人間の力でギリギリ最善を打てない手
そういうのを打てる人が神に近い力を持ってるといわれる セドルは勘が優れてるんだと思う。
メイエンによると、10代のころは1局打つのに持ち時間20分くらいしかつかってなかったらし。
それに打った碁並べ返せなかったっていうし。
読んでたらそんなことにはならないでしょ。
今はどうかわかんないけど。 そういう話を聞くたびに思う。
どうにかしてトッププロたちの脳内イメージを見てみたいと。
プロってだけで神レベルなのはわかってはいるが。
俺なんか考えてるのか考えてないのかわからんようなもんなのに、
あいつらは一体何を見ているんだろうな。 見えないものを見ている。
猫が虚空を見つめるように。 その時代の最強者と二番手の手合いがどれくらいになったら圧倒的に力の差があると判断してるの?
呉清源の打ち込んでいたころは明らかに力の差があると判定しているんですよね
圧倒的って言ったら先、先二以下だと思うけど、そこまで差があった時代は
時代全体のレベルも問われるからなあ。 だけど、競技人口の点では今も昔も大差ないと思うんだよね
2000年代と呉清源時代とで競技人口って違うのかな
もしも競技人口が100万人ならば、だけど
100万人のトップという点では同じような気がする 呉が十番碁とかしていた時代の競技人口は1000万人と聞いたことがある。
当時の娯楽が少なかったのと、新聞のあおりで。
あと全員先に打ち込んでもそれはもう飛びぬけているといっていい。
トップと二番手が先二以上の差というのは通常ありえん。
九段の手合い割り自体が通常ありえんものだからな。
黒番でまず負けることがありえない七、八段を打ち込むんだからな。
中盤以降がいまも未知の世界なら、個人の力量が絶対となる。
従って、道策が最後の棋士の名に値する棋士といえよう。
幕末の元丈・知得から秀策くらいまでは
2番手以下を先に打ち込んだことはなかったと思う
ところがそれ以降例えば秀栄とかは圧倒的な実力差を示した
これはどういうことなんだろうか?
レベルが下がった? >>416
もしも呉清源時代の囲碁の競技人口が1000万人ならば
そのトップたる呉清源の気力のレベルというものは
現代のせいぜい数百万人の競技人口の現代のトップの棋士(今だと張栩)
よりも高いレベルにいたということになるはず
さらにその当時のその他の棋士を向先ぐらいには打ち込んでいたのだから余計に
呉清源という隔絶された存在の棋力は高かったということになるはずだよね
時々出てくる呉清源の時代は層が薄いという指摘は間違っているどころか逆だったということになるよね
碁制限は無理手を打つのがうまかった。
それを強いといってしまえばそれまで。 碁介助のした手打ちの名人とかわランのではないか
打ち込めば強いが 互いにするとなぜか負けるという >>420-421
そういう意味の話をしているわけではありませんが、
その話の中でいう無理集と言うのがそもそも何かと考えると
現代の棋士と呉清源の違いというのはあるのかないのかわからないのではないでしょうか
>>422
海外まで含めてもいいのですが、話の単純化のために日本国内だけにして考えています。
そういう理由で現代のトップの棋士を張栩とあえてカッコ書きしました
>419
囲碁だけでもないがトップレベルについていえば、競技人口はあまりあてにならんだろ。
人間の能力の限界についていえば名人クラスで差は余りでないだろうからな。
陸上競技とかと同じで。
あと今と昔の比較は持ち時間ありと無制限、コミのありなしと
微妙な差異があるからこれまた一概に言えない。
当時の呉清源が強かったと思うが、だからと言ってチョーウが弱いとはいえない。
世界戦における今の日本勢が一段下なのは認める。
あと時代によってトップとトップ下の層の厚い薄いは競技人口関係なく起こりえる。
呉清源の時代はよくしらんが、世代の波による。時間軸によって変わる。
秀栄の場合は時代のせいもあって、秀和秀策の時代に比べると周りの面子が劣るといえる。
秀栄に対して唯一先を守った二番手の田村が五、六段なのだから当然で、
周りの芸との対比で秀栄が一段落ちる名人に見えるかもしれない。
実際八段の秀甫と先での十番碁がうちわけに終わり、
坊位を譲ったあとに七段に進められた経緯もあってなおさらそうみえるのだが、
しかし秀栄は晩成型と言われる珍しい棋士で、晩年強くなった。(らしい)
江戸時代の高手に比べて白番での星打ちをよく用いたところを見ると、
布石において一歩すすんだ感覚を先んじて身に着けていたのが、
名人に推された強さの秘密だったのかもしれない。 >>424
呉清源も中国からきたから張栩と同じようなもんだと思う
>>425
たしかに競技人口が最強棋士の棋力を決めうるというのは間違いかもしれません
ある程度の創刊はあるでしょうが
競技人口が多いからと言って必ずしもその当時の最強棋士のほうが強いとは言い切れませんね
となると、最強棋士の棋力はより何によって決まってくるといえるんでしょうか
>>425
名人推挙のいかんと言うのはその人の棋力(極論すれば勝負強さ)だけではなく、
むしろその棋士の棋風の先進性や芸術性によってなされていたということでしょうか
囲碁が勝負事であるか芸術であるかという点では、
囲碁をどういうものととらえているかその見方に左右されていたんでしょうね >>427
それはあるかもね。
対局で勝つということと同時にその棋士の棋譜、芸術性ってのもあっただろうし
その他の人望やらこねなんかもあったと思う
だけどそれは全て勝負に勝った上での話だよ
その当時の第一人者でありながら名人になれないってのはあるけど、
第一人者で無いのに名人になれるってことはないから
本因坊を継ぐとか継がないとか言うのとはまた別の話だよね すごい高級なスレだな
将棋でこういうのやったら、荒れてどうしようもなくなるんだけど
ゲームによって人間性も影響受けるんだろうか もちろんあるだろうし、逆もあるだろう
人間性が棋風に及ぼすものは大きいはず
秀栄は清貧であることを潔しとする性格だったそうだけど
それが囲碁に影響を与えたのだろうか
将棋でやると云々は向こうの人数が多いからだと思うけど・・・
棋風はどうなんだろうなぁ
武宮なんて人間が碁に現れているようでもあるけれど、
普段は温厚なのに盤の上では正反対って人もいるし 卑近な例で申し訳ないが、俺の碁はあっちこっち欲張って打って
薄くするのが欠点だ。やきもち焼きとも言うかな。で、それは俺の
性格をよく表していると思う。
社会的に認知されている性格と棋風が合致するとは限らないと思うが、
各棋士の人間性を形成する上で重要な部分がにじみ出ているように俺は思う。 趙治勲も来日してすぐの子供の頃は模様の碁をやったりもしたが、木谷門の
先輩方にフルボッコにされて涙目になり、それがトラウマで棋風が変わった
なんて話もきいたな 一方武宮は模様で諸先輩方を振る簿っ子にして自信をつけたようだな 自信付けすぎて斜め上方向に突っ走り、十分な成果が上げられなかったのかもな。