坂田栄男について語れ
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昔は時間制限は碁の必要悪という考えが強かったからな。 >>21
でも、たしか坂田先生のために(というのは言い過ぎかもしれないけど)、
時間制限が導入されたらしいね 日本が世界最強だった時代の最後の棋士ですかね。
小林光一のときは、ちょふにょんがいた >23
手合割故に一局の勝敗が重く、長考の風潮と弊害が顕著になったこと
小岸壮二という棋士が常識はずれに長考するため、時間無制限でやりたくねーよ
そんなこんなで囲碁に時間制が導入された 俺のオヤジは「炎の諸」とやらをスカスカになるまで読んでたよ。 >>23
坂田のプロ試験の時、体力のない坂田につけ込んでやたら長時間の対局をいくつも強いたらしいんだけど
こんな明らかに上に行く人に意地悪したりしたら、後々その人たちの囲碁界での居場所がなくなるんじゃないかなぁ? この人の他の棋士評が面白い。
高川さんも評価しとったっけど。 碁ワールド・6月号の33ページの写真、マフィアかよw 「高川さんは僕のことを勝負師というけど、僕に言わせれば
高川さんこそ本物の勝負師だよ」
坂田23世、素敵やん♪ 突然弱くなったけれど総入れ歯のせいだろう。
歯は怖いよ。 坂田の碁すきです。
「日本は、日本人だけのものではない。」
そんな考えの鳩山・民主には、絶対に投票しない。 95年頃に出版された呉清源の自叙伝みたいな本で栄寿の棋風を
呉清源が語っていたような記憶がある。
チクンは『石田さんの小太刀は竹刀で、坂田先生の小太刀は真剣』みたいな事を
どこかに書いていたような記憶がある。
碁ワールドの写真みたら坂田先生一人だけ座ってたんだが
御具合悪いんだろうか?
先日、古本屋で『坂田一代』を100円で買ったのだけれど、
なんとサイン本だった!ラッキー!
てゆうか、囲碁人気はひどい事になっているという事ですね…。
>>46
いや、たまにあるよそういうこと。
俺が見たやつは、石田芳夫、小川誠子、あとだれだったか木谷門下の有名な人1名の連名サイン。
おじいちゃんが亡くなったりして、家族が書籍を処分したりすることもあるだろうし。 単なる歯抜け爺さんやろ。
おまいらも煙草ばっかり吸うてたら40位から
ぼろぼろ抜け出すぞw 坂田少年が体力戦を挑まれて入段を阻止された件は、ひどいね。
小生がこんなイジメを受けたら、小生は碁を辞めてしまうよ。
もう、辞めているけど。
坂田は、根性があった。
wikiによると、1964年度の年間勝率が、0.9375(30勝2敗)、本因坊の七番勝負で足掛け六年、17連勝。
二度の7冠、とある。謎なのは、高川の九連覇の最中、坂田が何で挑戦者決定リーグを優勝できなかったのか、だ。
スマソ、↑358って別スレでカキコした名残です
昔、NHKで囲碁と将棋の棋士たちがスタジオに一同に会する特番があって、
坂田先生が「柔」を熱唱し、番組の中で将棋の大山15世名人が驚いてたね。 >>53
囲碁将棋に限らず、プロスポーツの世界でも熱烈なファンとか
集団ストーカーが存在すると思うのです。
頭の中に蓄えられた知識は誰にも奪えないなんて大嘘で、
集団ストーカーされると実力の5%しか出せなかったりするよ。
集団ストーカーされて、呉清源は打てなくなって宗教に傾倒し、
瀬越憲作は打てなくなって自殺したんじゃなかった?
↑ 間違えた。ミイラやった。いや生きた化石か... 坂田は万波姉の大ファン。
もう40年若かったら手出ししとるやろw 全盛期の碁は、妙手が多く、おもしろいが、
坂田の傲慢な人格は好かん。
正直な人。
治勲先生のごとく、麻生さんのごとく、坂田先生もまた脳と口が直結している。
>>62
好人物で常識人だが碁は二流という棋士は腐るほどいるよなあ 子供の頃は賭碁で強くなったわけじゃん。
坊門とかエリートコースの人たちへの反発心はなかったのかな。あまり語られてないけど。 >>68
名誉NHK杯だから現役でいる限りNHK杯には出場できる 訃報:坂田栄男さん90歳=囲碁棋士、本因坊戦7連覇
ttp://mainichi.jp/select/today/news/20101022k0000e040079000c.html .訃報:坂田栄男さん90歳=囲碁棋士、本因坊戦7連覇
http://mainichi.jp/enta/igo/news/20101022k0000e040079000c.html
坂田栄寿・囲碁二十三世本因坊 本因坊戦7連覇や7タイトル同時制覇など、数々の記録を打ち立てた囲碁棋士の
坂田栄男(さかた・えいお)さんが22日、死去した。90歳。
1920年、東京都生まれ。29年、増淵辰子八段に入門した。35年にプロ入り(初段)。
51年、日本棋院最高段者トーナメント戦を制し、初優勝。55年、九段。
61年、高川秀格本因坊(当時)の10連覇を阻止して新本因坊となった。同年、7タイトル制覇を達成した。
64年にも名人・本因坊など、再び7タイトルを制覇。年間30勝2敗、公式戦29連勝という大記録を打ち立てた。
67年まで本因坊戦7連覇。二十三世本因坊の資格を持ち、坂田栄寿の号を名乗っている。
「カミソリ坂田」「シノギの坂田」と呼ばれる切れ味鋭い棋風で相手を圧倒。65年名人位を、
68年に本因坊位を失うが、その後も十段、王座などのタイトルを獲得、トップ棋士として息長く活躍した。
78年から86年まで、日本棋院理事長を務めた。92年、文化功労者。00年、体力の衰えを理由に引退した。
通算成績は1117勝654敗16ジゴ(日本棋院調べ)、タイトル獲得・優勝回数は64回(歴代2位)。
著書は「坂田一代 勝負師の系譜」「坂田の碁」など。門下に新垣武九段、佐々木正八段らがいる。
◇妥協ない厳しい碁
山下敬吾本因坊の話 本因坊戦7連覇はもちろん、棋戦が少ないころから、いろいろな棋戦で優勝した実績は
すごいと思います。対局させていただいたのは1、2回くらいですが、坂田先生の棋譜を並べて勉強していた時期もあり、
いい思い出になっています。碁のタイプは違いますが、妥協のない厳しい碁は勉強になりました。
米寿のお祝いの会に呼んでいただいた時は、私が棋聖を防衛した後で、「このまま連覇を続けてくれ」と言われたのが
心に残っています。 心からご冥福をお祈りします。
秀行先生に続いて大棋士がまた旅立たれましたね。 坂田栄男さん死去:昔かたぎの無頼派 勝負に強い執念
藤沢秀行名誉棋聖に続き(昨年5月死去)、囲碁界の重鎮である坂田栄男さんが、この世を去った。
全盛時の強さは皆の知るところだが、世間を驚かせたのが晩年、石田秀芳本因坊に挑戦した第30期本因坊七番勝負。
55歳での挑戦というのもビッグニュースだったが、石田を3勝2敗と追い詰め、本因坊復位という前代未聞の快挙が目前だった。
しかし、第6、7局と連敗して、奪取に失敗。第6局は勝利直前まで迫っていただけに、「あの一局は本当に悔しかった」と後々になっても、
ことあるごとに振り返り、勝負へのあくなき執念をみせた。
数少ない昔かたぎの無頼派棋士の一人だった。川端康成、近藤啓太郎ら、文化人とも幅広く交流した。
◇「本当に残念」
日本棋院の大竹英雄理事長は「本当に残念。お具合が悪いと聞いており、今日、お見舞いにうかがうつもりだった。
昭和の時代が生んだ強烈な力を持った棋士だった。長く日本棋院理事長も務められ、我々後輩が学んだものは計り知れない。
今後は、我々が囲碁界をさらに発展させることで恩返しをしていきたい」と語った。
◇「動揺している」
坂田さんの一番弟子である囲碁棋士の新垣武九段は「知らせを聞いて動揺しています。『自分は教えない、技術は盗みなさい』と言われ、対局ですべてを示す先生でした。
集中力を要するシノギで勝つ戦法は、まさにカミソリのニックネームがピッタリ。弟子にとっては偉大すぎる先生で、昭和の巨人でした」と師匠を悼んだ。
http://mainichi.jp/enta/igo/news/20101022dde041040033000c.html
えぇえぇ――――(((;゚Д゚)))――――ッ!!! タイトル歴
日本棋院最高段者トーナメント戦 1951年
四強リーグ戦 1952年
最高位戦 1955、59、61年
日本棋院選手権戦 1955-61、64-65、73-75年(名誉日本棋院選手権者)
早碁名人戦 1956年
NHK杯テレビ囲碁トーナメント 1957-59、61-62、64-65、72、76-77、82年(名誉NHK杯選手権者)
囲碁選手権戦 1958
日本最強決定戦 1959、61(呉清源と同率1位)年
本因坊戦 1961-67年(名誉本因坊、23世本因坊)
王座 1961、63-64、66、70-72年
日本棋院第一位決定戦 1961、63-65年
三強リーグ戦 1962年(呉清源と同率1位)
名人戦(旧) 1963-64年
プロ十傑戦 1964、67、69年
十段 1966-68、72-73年
日本シリーズ 1976年
JAA杯 1979-80年
早碁選手権戦 1981年
NECカップ囲碁トーナメント戦 1983年
その他の戦績
呉対坂田三番碁 1948年 坂田(先相先) 0-3 呉
呉対坂田六番碁 1953年 坂田(先相先) 4-1-1ジゴ 呉
呉清源十番碁 1953-54年 坂田(先相先) 2-6 呉(8局目までで坂田先に打ち込まれ終了)
本因坊対呉清源三番碁 1961年 坂田 2-1 呉
棋聖戦 全段争覇戦優勝 1978年、九段戦優勝 1980年
日中囲碁交流
1960年 6-0
1973年 5-1
1985年(団長) 2-2(×陳臨新、○汪見虹、○馬暁春、×聶衛平)
1988年 0-1(×聶衛平)
日中スーパー囲碁
1990年 1-1(○兪斌、×銭宇平)
記録
総タイトル数64個(2002年趙治勲に破られるまで歴代最多)
年間30勝2敗(1964年)
一般棋戦29連勝(1963-64年)
タイトル戦17連勝(第18期本因坊戦第5局-第22期本因坊戦第3局)
通算成績1032勝641敗10ジゴ
現役最後の対局では「このまま打ち続けるとみっともない碁になる」と、わずか53手で投了した。
やだ・・・カッコイイ(///) 日本棋院対応早えー。もう物故棋士扱いになってる。
追悼記事の一つでも書けといいたい。
訃報記事はさすがに毎日が一番くわしいな。写真は朝日のがいいけど。
http://www2.asahi.com/igo/news/images/TKY201010220328.jpg 【 昭和38年度名人戦、名人藤沢秀行 対 本因坊坂田栄男の、頂上対決における封じ手争い 】
ボクはね、秀行のね。ちょうちん持つような番組なんか出たくないんだけどね、本当は。
秀行はね、無頼派の棋士という、最後の無頼派、無頼派っていうのは嫌いなの僕は、正反対だよ。
秀行とはね、不思議な因縁があるんだ、
38年のボクと秀行の大勝負だよ。勝った者はね、即日本一なんだよ。
二つしかないんだから。「名人」、「本因坊」。
しかも秀行とワタシは仲が悪いんだよ。これも有名だったんだ。
だから、両方、舌戦の、今じゃ想像できないくらい、お互いにもうそのくらい大勝負だったんだよ。
---坂田が二連勝した後、藤沢が三連勝。
あのぐらい苦労したとき、後にも先にもなかったね。
ボクが三連敗した時は大ショックだよ、ボクは。どうしても、このままじゃ勝ち目はないと思ってね。
それからがボクとしては本当に命を削ったね、次の対局までに。
---第六局の封じ手場面
勝負と碁っていう・・結びつけて考えた場合に・・・。
たとえば、勝負に徹するっていうことになると、たとえば、二日でしょ、だいたい挑戦手合いって。
五時半なんですよ、打ちかけ(封じ手)がね。
1分前ぐらいね、それまでわざと考えといて、時間引き延ばして瞬間的に30秒とか1分前ぐらいで、
えらい難しい手を打ってくるわけですよ。相手困るんですよ。(by 藤沢秀行)
チラリとまた時計を見た本因坊が、やにわに石をつかみ、白50-2.
それを見た名人に、一瞬血がのぼった。
恐らく自分に封じ手をさせようとしている相手の意図が怒りを呼んだのであろう。
やにわに石をつかむなり、50-3. ところが、本因坊は、またすぐ50-4.
ここで一言、「頭にきた」と名人が言って腕組みした時、立会いの高橋七段が定刻をつげたのである。
(by 橋本方円子の観戦記)
---当時を振り明けって
もう、あんまり言いたくないね、もう腹が立つことが山ほどある。
だから、そういうのも神経作戦の要素に加わってくるんですよ、盤上の。相手を怒らせる
・・だって、20時間くらい顔つき合わせているわけでしょ、昔はね。(ふっふっと笑う)
(by 藤沢秀行)
あれも勝負の内だと思って・・気合負けしちゃいかんと思うから、それでああいうバカなことをやったんだ。
(by 坂田栄男)
だから、オレみたいに神経がピリピリしている奴は損なんだよね。図太い奴は、そういうの乗らないでしょ。
(えっへっへっ)いや、勝負っていう面から言えばね。(by 藤沢秀行)
考えてみるとね、あの勝負でね、やっぱり寿命縮めたね。
それからは それが最後と言ってもいいね、後で考えると、ボクが本当に碁を打てたのは。
すごく心身ともに、もうガックリしちゃった、参っちゃったんだよね。勝っても。
だから、おしまいなんだ。あけが最後なんだよ、ああいう勝負は。
ああいう勝負をね、するのは僕と秀行でオワリなの。 (by 坂田栄男)
90歳なら大往生でしょう
坂田の碁、再販してくれないかな 商魂たくましい日本棋院なら高級特装版で再販してくれるものと信じる 封じ手の話は秀行の打ち碁集に
それで形勢を損じたんだから今思うとバカなことをしたものである、
なんて書いてたなあ
確かヒカルの碁にも似たような場面があった気がする うわあああああああああああああああああ><
ご冥福をお祈りします 坂田栄男のやさしいシリーズで碁を覚えた。
ありがとうございました
【坂田栄男さん死去】作家の三好徹さん「昭和代表する棋士失った」
「最後にお会いしたのは昨年の藤沢秀行名誉棋聖を偲(しの)ぶ会で、車いすのお姿だった。
若いころから天才棋士として知られ、鋭い碁で一世を風靡(ふうび)した。
全盛期の昭和30年代は、まさに“当たるを幸いなぎ倒す”といった存在だった。
囲碁の第一人者でありながら、人柄は少しももったいぶったところがなく、ざっくばらん。
勝ち負けがからむ同業者よりもむしろ作家らとの交流を好み、特に近藤啓太郎さん(芥川賞作家、故人)と親しかった。
藤沢さんに続いて、昭和を代表する囲碁棋士を失い惜しまれる」
http://sankei.jp.msn.com/culture/igo/101022/igo1010221803000-n1.htm
カミソリ”囲碁の坂田さん死去
鋭い打ち筋から「カミソリ坂田」などと呼ばれ、本因坊戦7連覇など数々の記録を打ちたてた棋士の坂田栄男さんが、
22日午後、胸部大動脈りゅう破裂のため亡くなりました。90歳でした。
坂田さんは東京都の出身で、15歳で囲碁のプロ棋士になり、41歳で最も伝統のある本因坊を獲得し、
同じ年にNHK杯など7つのタイトルを獲得しました。
鋭い打ち筋から「カミソリ坂田」などと呼ばれ、昭和39年には年間30勝2敗という驚異的な勝率を収めて再び7冠を達成し、
その後も本因坊戦を7連覇するなど、数々の記録を打ちたて、平成十年に二十三世本因坊の称号を得ました。
坂田さんは、NHKの囲碁番組に出演してわかりやすい解説で人気を集め、日本棋院の理事長を務めるなど囲碁の普及にも力を尽くし、
平成4年には囲碁の棋士で初めて文化功労者に選ばれました。坂田さんは2か月前に体調を崩して入院していたということです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20101022/t10014764221000.html
【坂田栄男さん死去】昭和の最強棋士旅立つ
孤高の覇者だった。22日、90歳で死去した囲碁の坂田栄男(えいお)さん。
「碁は誰からも教えられるものではなく、教えるものでもない。自分で勝ち取っていくもの」が口ぐせ。
昭和39年、当時の8タイトルのうち7つを制覇、年間30勝2敗の空前絶後の記録を樹立した。唯一、取れなかった十段位も、41年に奪取。
65年のプロ人生で1117勝をあげ、64のタイトルを獲得した。
雑貨商を営み、碁や賭け事が好きだった父の見よう見まねで碁を覚えた。
中盤以降が特に鋭いことから「しのぎの坂田」、集中力を要する場面では決して緩むことがない鋭い棋風から「カミソリ坂田」とも。
38年の第2期旧名人戦第7局では後に「坂田の外ノゾキ」と呼ばれた名手を放ち、これを境に形勢が逆転、ライバルの藤沢秀行さんから名人位を奪った。
数々の名勝負を繰り広げた日本棋院理事長の大竹英雄さんは、「持っている力すべてを碁盤にぶつけ、対局に臨まれる姿が印象的だった」。
平成14年に坂田さんの優勝回数を抜いた趙治勲さんは、「私の(6年後の)還暦と、坂田先生の96歳のお祝いを一緒にしましょうと話していたのに…」と言葉を失った。
作家の川端康成ら文化人、福田赳夫元首相ら政界関係者とも親交があった。平成12年1月には、鐵枝夫人を伴い、「80歳をもって引退したい」と会見。
それから10年、鐵枝夫人に見送られ、昭和の最強棋士は旅立った。
http://sankei.jp.msn.com/culture/igo/101022/igo1010221914002-n1.htm 自分は坂田打碁集で強くなったので感謝しています。
数々の妙手に感動した。 >>71の山下に棋聖を連覇してくれって言ったってのは、秀行の6連覇もされたのが悔しいから抜いてくれってことだったのかなw
しかし、同い年でいまだに現役の杉内先生は脅威的だな 今日坂田さんの訃報を聞く前に奇しくも藤沢秀行に4−0で防衛した本因坊戦を並べて
その強さに感動していたところでした
先生の棋譜は囲碁界の宝として永久に残ることと思います 坂田の強さは普通に相手よりも丹念に手が読めている事が基本だと思う。
ここは味良く構えるのが本手なんて考えはなく、
ただただ、手があるかどうかを純粋に読んで、手がなければ実利に付く。
数々の妙手も読みの裏づけが、相手よりも数段勝っていたときに出ている。
木谷の強さは「そんなところまで読んでいるのか」
坂田の強さは「そんな手まで読んでいるのか」 らしい。
どちらが上なのかは自明。 セドルはそんな手まで読んでるのかタイプだな、治勲も 羽生もそういうこと言われてたね
ただ最近年取ってから感覚で指すようにしたらしいけど 本棚を漁ったら「炎の坂田血風録」が発掘された。
これからじっくり坂田の切れ味を堪能します。 動く坂田先生を初めてテレビで見たのはこの前の藤沢秀行先生の追悼式の時。
趙治勲先生が首を絞めようとしていた。 あの世でも藤沢秀行先生と壮絶な魂の碁を
打ってください
ご冥福をお祈りします マジか・・・めちゃくちゃ好きな棋士だったのに
ご冥福をお祈り申し上げます 去年の秀行先生ほどの驚きとショックではないが、初め聞いたときはびっくりした。 >>94
奥さんの方かとおもったら、旦那さんも現役なんだな。
しかも、C予選くらいは突破してるし。
奥さんも時々C予選くらいは抜けそうになるから、息長いよな。 >>19
一回目 二回目は西暦何年頃の出来事ですか? >>112
いや、もう冥府で秀行センセ(アルコール充填済)が、
坂田センセとお互いに悪態つきながら対局するのを手ぐすね引いて待ってる 勝負ごとの世界では、心血を注いで競い合ったライバルでも引退したり年を経れば、仲が良くなるということが多い。
私見ながら、野球の長嶋茂雄氏と王貞治氏、相撲の栃錦関と若乃花関などそう見えた。囲碁や将棋の世界にも多いようだ。
▼だが、坂田栄男さんと藤沢秀行さんの場合だけは違った。ともに第一線を離れた後も「和解」などしようとはしなかった。
互いに「自分の方が強い」とがんばっていたらしく、囲碁の新聞が正月用紙面で対談を企画しても実現しなかったという。
▼2人の好敵手意識が最も燃えたのは、昭和38年の名人戦七番勝負だった。藤沢名人に5歳年上の坂田さんが挑戦し、最初の2番を連勝した。
坂田さんが「鎧袖(がいしゅう)一触。もう4連勝だ。まるで芸が違う」と胸をはれば、藤沢さんも「これで五分の勝負になった」と応酬する。
▼結局は坂田さんが4−3で名人位を奪取するが、ピリピリした関係は終生続く。性格的にも藤沢さんが開けっぴろげで、
酒や賭け事、何でもござれだったのに対し、坂田さんは「カミソリ」の異名のごとく「寄らば切るぞ」の孤高を漂わせていた。
▼棋風も好対照だったといい、これほどライバルの条件を備えた組み合わせはなかった。しかしこの2人の対決が昭和後期の囲碁界をもり立てたことは間違いない。
勝負の世界から政治までどこか「なれ合い」が気になる今、新鮮でさわやかにさえ思い起こされる。
▼その坂田さんが昨年5月の藤沢さんを追いかけるように逝った。本紙主催「十段戦」の解説をされたとき、
抄子が予想した「次の一手」に相好(そうごう)を崩し「それはないでしょう」と、大笑いされた。個人的に一度だけの「カミソリ坂田」との思い出だ
http://sankei.jp.msn.com/culture/igo/101023/igo1010230335000-n1.htm
俺がじいちゃんから囲碁を教えてもらう時、貰った定石本がこの人の本だった
大切にします 囲碁のライバル物語
囲碁や将棋に「封じ手」というのがある。対局が日をまたぐ時、初日の最後の一手を書いて封入し、翌日そこから再開する。
持ち時間の不公平をなくすためだが、封じる方はその手が悪手ではなかったかと思い悩み、不利と感じるようだ。
1963年の囲碁名人戦では、猛烈な封じ手合戦が行われた。“最後の無頼派”藤沢秀行名人と“カミソリ”坂田栄男本因坊の頂上決戦。坂田さんは2連勝の後に3連敗し、後がなかった。
第6局の初日、坂田さんはその日の締め切り2分前に次手を打った。てっきり封じ手にすると思っていた藤沢さんは、カッとしてすぐ打ち返す。
するとさらに間を置かず坂田さんが打つ。「頭にきた」と藤沢さん。結局その日は藤沢さんが手を封じた。
しかし第7局では藤沢さんがやり返す。時計を見て残り10秒で打ち、坂田さんを封じ手に追い込んだ(「坂田一代」日本棋院)。
名人戦は結局坂田さんが再逆転で制したが、2人の激しいライバル関係を示すエピソードだ。
ともに勝負に純情で、時に盤外でもぶつかり合ったが、2人が互いを誰より評価し、成長の糧としていたことは想像に難くない。
藤沢さんは後に名誉棋聖、最高齢タイトル保持者となり、坂田さんは7冠王、総タイトル数64などで昭和最強の一人と呼ばれた。
藤沢さんが昨年亡くなったのを見届けるように、坂田さんが世を去った。いかにも負けず嫌いの坂田さんらしい。昭和を代表する囲碁のライバル物語は、雲上に引き継がれた。
http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/column/article.aspx?id=20101023000058
死ぬまでに日本人の世界戦優勝者がもう一度見たいって言ってたけど
やっぱり無理だったね これでまた昭和の名手が一人亡くなったか
ご冥福をお祈りします
残念…。
そろそろかなとは思っていたけれど、まだまだ長生きできた。
動脈瘤破裂らしいね…。
酒の飲み過ぎが祟ったのかな…。 >>94
何年か前にNHK杯の再放送で坂田栄男と杉内雅男の決勝戦を見たなぁ。
因みに解説は橋本宇太郎だった。 >>125
橋本宇太郎さんも同じ病気。 ただし、宇太郎師匠は自宅で昼食を平らげて紅茶を飲んでいて突然の死。
坂田さんは2ヶ月ほど入院していたそうだ。
1994/07/24,平成6/07/24
橋本宇太郎9段が胸部大動脈溜破裂のため没。87歳(誕生:明治40(1907)/02/27)。関西棋院の前理事長で現役棋士の最長老だった。 >>126 観たわ、それ
三十年位前?のNHK杯決勝だったような
坂田先生がタバコ吸いながら打ってたやつだろ
秀格が亡くなってから全集が出版されたから、坂田先生の全集も
出るのかな?
>>67
絣組の頃でもオヤジさんが対戦相手を決めてきて
打っていたんだよね。それが賭け碁だった。 >>130
うむ。凄まじい攻め合いの碁だったやつ。
時間も今のNHK方式じゃなくて最初に持ち時間が10分くらいあってあとは全部秒読み。
坂田先生の中盤って丈和の中盤に似ているの?
小生では弱くてわかりません。教えて。 >>114
西暦1980年前後だと思う。
1回目も2回目も同じ対戦でのこと。
1回の対戦で2回やった。
対戦者は覚えていない。
ふらっと見に来て3年前の記事にレスがついてるのでびっくりしたw
大坂田の冥福を心から祈ります。 現役時代なんて全く知らない世代だけど、データベースや木石庵の歴代タイトルホルダーを見ると
坂田栄男って名前には凄く魅力を感じる そだ、
坂田は年を取っても長髪だったんだが、
あれはお洒落だったらしいぞ。
俺の知ってる坂田豆知識。 丈和とは似てない。少しの得を狙った小規模な戦いであちこち
形が決まっていくからアマにも戦いの焦点がわかりやすい。
棋譜並べに向いているかもね。
坂田先生は眼鏡も似合っていた。
高川先生は大学教授みたいと言われたけれど、
ルックスだけなら坂田先生にもアカデミックな
雰囲気があるんだよね。
坂田先生は戦争中にサラリーマンを経験した事がある。
死んでからスレが伸びたな
死ぬまではほとんど機能してなかった >>120
月刊『囲碁』をずっと買ってる
坂田のコーナーが毎月4ページあるんだけど
今月号は丁度その第6局だよ
もちろん封じ手の話も載ってるよ 「炎の勝負師 坂田」の解説で、「さすがに打ちすぎ」が結構、繰り返されてて
ワロタ。
歯に衣着せぬ物言いの一匹狼、ござ屋の栄ちゃん、逝く・・・ >>147
あんまり伸びていないよ。
坂田先生ほどの偉大な棋士が亡くなってこれでは、ちょっと寂しいね。
囲碁人気のなさが実感できた…。 >google急上昇ワードに「坂田栄男」がある
らしい。22日の三村ブログによると
では、囲碁・オセロ板の人気がないという事ですね…。 坂田という人は父親に溺愛されて育ったというが
そういう子の人生は幸せになるかと思いきや
案外心の闇を抱えてしまったりすることも多いんだよね。
言いたい放題、傍若無人の振る舞いの反面、
寂しさ、孤独感を強く漂わせる人だったとも思うね。
>>152
全盛期で人気あったのがネットを使う世代よりちょっと上の人達の時代だからじゃないかな。
坂田先生が父親に溺愛されて育ったという話は、坂田先生が
坂田一代にそう書いただけだと思うな。その話を裏付ける証拠が
ないよね。
客観的に見れば、碁が強い息子を利用して賭け碁を打たせた
父親だから、小生は悪い父親と見ますね。
坂田先生は離婚も経験しているし…。再婚してからは幸せを
つかめたと思いたい…。 >>155
おまん行に比べるとキャラが濃くないけど、まあNHKならアーカイブス掘り返してなんとか番組作るだろうね
棋院は坂田全集の乾坤の普及版を出したらどうか。
全12巻だから、1冊1000円でいいよ。安っぽい装丁で
構わない。
誰でも買える値段なら、坂田先生も喜ぶよね。 追悼番組でこの碁をやってほしいものだ。むろん呉清源師の解説で。
たぶん、最後のチャンス・・・
(
;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[坂田栄男]BR[九段]PW[呉清源]WR[九段]
DT[1966-01-05]
EV[NHK杯,13th]RO[Round1]RE[W+4.5]KM[5.5]
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) >>158
うん、俺も「普通の愛情」と「溺愛」とは違うものだと
言いたかったのだが伝わらなかったかな?
父親が賭け碁を打たせたことにより、
少年坂田が、父親の愛情をつなぎとめる唯一の手段は
「碁に勝つこと」だという心性を持つようになったのではないかと
思うのは深読みしすぎだろうか?
1年ほど前に、長嶋と王が対談して過去を振り返る番組があったが
あれはどちらかのXデーに備えた意図が見え見えだった。 坂田の追悼番組をつくるのは難しい。
ライバルのほとんどが死んでるし、あまり普遍化する定石も開発しなかったし。
エピソードといえば、
いじめられて入段が遅れた話とか
橋本宇太郎との関西棋院の存亡をかけた本因坊戦とか
本因坊9連覇でおなじみの高川の天敵だったとか、
二十代の名人誕生をかけた林海峰戦とか
藤沢秀行との封じ手のさして争いとか、
64歳で64個目のタイトルを取ったこととか
どれも、対極者の相手が死んでるか、掘り下げる話題としてぱっとしない
「溺愛」という言葉を肯定的に受け取るか、否定的に受け取るか、という違いだな。
要するに教養の差ですね。 この人は勝っても勝っても満たされない系統の不幸さは無かったと思う
羽生はそういうのあるんじゃないか?
坂田先生の追悼番組(案):
メイン司会者: 新垣武 中山薫
サブ司会者: 坂田一門残りの人たち(トーナメントプロのみ)
ゲスト出演: 山口洋子
山口さんのお店でしみじみ飲みながら思い出を語る形式。
・坂田一門で入段できなかった人たちからのビデオレター。
対談形式でもいい。
・呉清源先生が思い出の一局を解説
・海峯先生が思い出の一局を解説
・秀芳先生が思い出の一局を解説
・正樹先生が思い出の一局を解説
・治勲先生が思い出の一局を解説
・文士達が語る坂田先生の思い出
・政治家や経済人が語る坂田先生の思い出
・秀紳先生が思い出の一局を解説
・道吾先生が思い出の一局を解説 平成の初め頃だったと思うけど、本因坊リーグで当時70歳くらいの
坂田が一時トップを走っていたことがあるんだよね。結局は小林光一
(たしか)が挑戦者になったんだけど、坂田に挑戦してほしかったなあ。
たぶん超有名局だと思うけど、右下辺で二線にペタっと
ツケてしのいだ碁が印象に残ってる。相手は藤沢秀行
だったかな?
>>171
あれはよくある手筋じゃないかと思ったけれど、あの手の後で有名になった手筋なのかな。
イチャンホの絶妙応手打診(洋泉社)にも出ているこれだね。
この本けっこう高度な打診・様子見が書いてあって好きなんだけど
対局者の名前など出ていない。著作権とかいいのか?
____A_B_C_D_.E_.F_G_H_J._K._L_M_N._O_P_Q_R_S_T
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03┠┼○┼┼┼美★┼○┼┼●●┼●●●┨
02┠┼┼┼┼┼英○┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┨
01┗┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┛
黒が★とコスミツケ、白の一段を強く攻めている場面。
白は右方にも断点があり、絶対絶命のように見える。
しかし、この瞬間、妙手一発で、白は断点をカバーし、白英ノビか美ハネにまわることができる。どう打つ?
(絶対のところ間違ってる)
06┠┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼┼●●○┼┼┨
05┠┼┼┼┼┼┼┼┼●●┼○○┼┼○┼┨
04┠┼┼╋┼┼┼┼●○┼○┼┼○○●○┨
03┠┼○┼┼┼┼●┼○┼┼●●┼●●●┨
02┠┼┼┼┼┼┼○┼┼┼┼☆┼┼┼┼┼┨
01┗┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┷┛
☆のツケが、高手の目を見張らせた妙手。
(以下略) >>172
ありがとう。これこれ。
自分はこの碁「炎の勝負師 坂田栄男」という本で知った。
全3冊(赤、青、緑)のどれだったかは忘れたけど。 碁の法にないけどね。わざわざケイマを裂かれる形にするなんて。
でも出切って3目にして捨てると、きれいに締め付けが効いて、
下辺に脱出できる上に右側の断点も解消されるとは。
坂田の妙手の真骨頂。 これはカッコイイよね〜
個人的には「逆のぞき」よりこっちを見たときの衝撃が大きかった。
「え?・・・えぇえ!!・・・カッコイイ・・・・」って。
まさにカミソリ。 >>172
> 対局者の名前など出ていない。著作権とかいいのか?
著作権的な問題はないと思うけど、いずれチャンホが打ったことになるんじゃないのw 上ノゾキもそうだけど、白番の妙手が多いよね。
しのぐ側にまわるからかな。 林海峰を挑戦者に迎えた本因坊戦で小目への小ゲイマガガリから一気に塗り付けていった碁が印象的だな。
"木谷の読みには「こんなに深く読んでいるのか!」と驚かされるが、
坂田には「こんな手まで読んでいるのか!」と驚かされる"
みたいな文章を昔読んだ記憶がある。何ていう本だったかなあ... >>169
なかなかいいね。
ちょっとみてみたい。 俺はそんな手はしょっちゅう打ってる。
俺が打つと、妙手ではなく妙な手だけど。
>>181
ありがとう。そうだ「勝負と芸」だった。 坂田九段はぼやきながら勝つのに対し大岡氏はぼやきながら負けるのである 坂田「まいったまいった(相手が)まいった」
他にも
坂田「弱ったな」
誰か「本当ですか」
坂田「(こんな手打ってるようじゃ)碁打ちをやめなけりゃならんな」
誰か「そうしていただけるとありがたいのですが」
勝ってるのにボヤくからこんな珍問答もあったような。 >>185
久々に読み直してみたら、やっぱり面白かった。 たしか高川との碁だったかな?
右下隅で、相手の星に対して小目にツケた後、普通の発想は
ヒクところを二線にサガったのが絶妙手。みたいな碁があった
と思うんだが、誰か分かる人いない?
>>172の手とかと違って一見ムチャ地味なんだけど(というか
初級者の俺にはそう見えた)、本では絶賛されてたので印象に
残ってるんだ。 コンケイの「勝負師一代」は面白く読ませてもらった。 >>189
コンケイには暴露小説を書かれ、
江崎のせいで石田芳夫から本因坊を取り損ね、
坂田も友人運が悪いのかなあ? 職業見立て
呉清源 太極拳道場経営
高川格 中学の校長先生
坂田栄男 街金の社長
藤沢秀行 無職(アル中ホームレス)
林海峰 中華料理店コック
しかし清源も栄男もIMEは変換できないんだなあ… >>196
んー、個人的な意見としては坂田以外の4人はドンピシャ、というか
絶妙だと思う。
坂田が「街金の社長」
最初はえっ?と思うがつらつら考えると
ああ、ありかもなー、ありそうだなー、と思ってしまう。 趙治勲 コメディアンorアル中ホームレス
小林光一 制服まとった警察官
加藤正夫 国語教師っぽい
石田芳夫 数学教師っぽい
武宮正樹 まんまお坊さん
依田紀基 黒タイツが似合いそうなプロレスラー
小林覚 30代以前ならアイドル俳優、それ以降は本物のアル中 >>197
坂田は裏稼業の雰囲気があるし、修羅場になったら鬼になるということでチョイス。
>>198
依田プロレスラーワラタ。
小林覚は稼ぎのいいホストになれそうw >>186
坂田「ひどい手を打ってしまった」
半田道玄「本当ですか?」
坂田「(こんな手打ってるようじゃ)碁打ちをやめなけりゃならんな」
半田「そうしていただけるとありがたいのですが」
坂田「…あんたも言いにくいことを言うねえ」
半田「話しかけられたら答えなければいけないと思ったので」
こんな感じだったと思うw
ちなみに皆さんご存知だと思うが
半田は坂田の全冠制覇のチャンスを潰した人 潰したのは朋斎だったかと(年間30勝2敗のときに十段戦で挑戦者決定戦で敗れる) 晩年(でもなかったな、けっこう前か)『棋道』で「碁の厚い、薄いってのは
単純に決められるもんじゃないんですよ」と、独特の「厚い、薄い論」を
展開していたのが印象に残っている。
治勲とはニュアンスの違う、日本の厚い碁ageの風潮に対する
批判だと思ったが。 新入段の若手が「厚い碁が好きです」、「厚い碁を打ちたいと思います」と
いう抱負ばかり言うので切れて、地を取ったり、余して打つのも碁なんだと怒ってた。
もちろん秀行が憎かったのだろう。 呉清源も厚くないけど戦いになると強いよね。秀行も辛い手をよく打ってる
と思うんだが・・。 今更だがカミソリ坂田ってあんまりカッコ良くないな
日常用品であだ名を付けられてもw・・後世だからもう良いけどさ >>207
サンクス
>>208
えーっ。カッコいいと思うけどな。
ナイフよりカミソリの方がより切れ味を連想させると思うけど。
カミソリ坂田 → ヒゲソリ坂田ってイメージしちゃった?w ひげ剃りにしたって三枚刃なんかなかった時代だぞ。
床屋で使ってるやつがどんだけ危ないか想像してみ カミソリってよくある二つ名じゃん、208は若いのかな
東條だってカミソリ言われてたしな カミソリというものに対するイメージが昔と変わったからそういう印象を持つ人も
いるんだろうね。昔は切れ味良く危険な香りのするものの比喩としてよく使われてたように思う。
サッカーではカミソリドリブル、野球ではカミソリシュート。 カミソリ坂田で語感がいいんだろうけど、俺はカミソリと聞くと
コダマはカミソリ、シンザンはナタという言葉の
カミソリは切れ味は鋭いが刃こぼれしやすい脆さがある、っていうのを思い出してしまって
今ひとつのイメージが沸いてしまうんだよなあ。
じゃあナタの坂田がいいのかって言われると・・・・・ かみそりってのは切れ味抜群、切られたほうが気がつかないうちに死んでる、っていうイメージだぜ おっと 押しちまった。
すれ違いざまに、かみそりで相手の頚動脈をスパッと。
切られたことに気がついた頃には、血しぶきの中にうずまってしまう相手。
なたは、まったく逆で、今なら宮沢とか、往年の加藤正夫があてはまる。
切れ味は全然よくないのに、力任せに一直線で、かみそりにはできない致命傷を相手に与えるイメージ。
頭蓋骨があごまでへこむようなイメージ。
読みに裏づけされた、鮮やかな手筋一閃の坂田。
かつて「木谷はここまで深く読むのか、坂田はここまで広く読むのか」と比較された坂田。
年間30勝2敗で、坂田は遠くなりにけりと周囲を嘆かせた、坂田。
64歳で64個目のタイトルを手にした坂田。
タイトルを失い、無冠になった日の夜、
一人暗い部屋の中でウイスキーを飲みながら「一番強いのは俺だ」とわめきまくっていた、坂田。
橋本宇太郎と、その背後にある関西棋院、さらにそれをささせる財界の重鎮たちを
あと一息のところまで追い詰めながら、捲土重来、勝負氏としての泣きが入った坂田。
格好悪さそのものが、絵になってしまう、究極のスタイリスト、坂田。
碁が芸術の梶原と対比して碁が勝負の筆頭に上げられる、坂田。
100歳までは生きててほしかった。
カミソリXXがどう感じるかってより、坂田が強いからカミソリXXが
強く感じるようになったんだよ。
「ハンマー」流大平修三が坂田に一蹴されたことがあったけど、
そんなことがあるとハンマーよりカミソリのほうが強そうに響く。 石田が強かったからコンピュータが発達したという話は聞いたことがある。
>>215
>格好悪さそのものが、絵になってしまう
この一行、いいねえ。
江崎誠致の「石の鼓動」での、本因坊を林海峯にとられた時の
寝そべって入れ歯をはずして延々と泣きの繰言していた「格好悪い」坂田が思い浮かぶ。
オッカムの剃刀とか言うじゃん
まあ安全剃刀ってあれ要は髭剃りだけどね カミソリ坂田
カミソリ大臣 陸奥宗光
カミソリ東条
カミソリ後藤田
カミソリの切れ味 コダマ >>175
プロが見てもアマが見ても分かる派手で目立つ妙手。
「逆のぞき」の方は,その後の展開を見ないと分からない,アマにはすぐには理解出来ない妙手という違いがあるような。 >>207
そういや何かの対談で、高尾九段のことを藤沢秀行の傑作だって
絶賛してた記憶がある。 秀行とはたしかに犬猿の仲で一時期はものすごい確執が
あったが、根底ではお互いを認める気持ちがあったと思う。
秀行が棋聖戦で趙治勲に負けて棋聖を奪われた第7局の大盤解説で
「時代は流れていきます。秀行さん、よくぞいままで頑張ったものです。
皆さん、拍手してあげてください。」ってな事を言ったらしいし。 坂田先生が言うと皮肉にも聞こえなくもないが
よく頑張ったというのは実感だろうなあ >>224
カラオケが好きでよく歌ってたらしい。
24世と違ってひどい音痴だったらしいが。 昔見たNHKの歌番組で、大山康晴名人と坂田がゲスト出演して
あろうことか坂田が一曲披露した。曲は何であったか忘れてしまったが、
すさまじい音痴だった。
大山名人が感想を求められて、
「やるもんだねえ・・・」 坂田と藤沢がこじれたのは局後検討の場からみたいな事を高川が書いてるよね。
それも直接対局ではなく、藤沢と第三者の碁につき、ある手を坂田が批判したらしい。
「この手では勝てない」「いやそんなことはない」みたいな言い合いから藤沢が議論に
鬱陶しくなって、「じゃあ一番お願いしましょうか?」とやったとか。 年取っても和解しないし、馴れ合わなかったところがいいな。
強さは認めても人間的には大嫌いっつー意地の張り合いが。 21 :名無し名人[sage]:05/02/20 10:07:18 ID:4ApCla+f
そういえば坂田が理事長時代に、囲碁界と将棋界の連中との
会合で「将棋界のみなさんは行儀が良くてうらやましい。
うちは酔っ払いがひとりいて困っている」とやったらしい。
すると、偶然そこに秀行がいて、激怒して坂田のところに
詰め寄ろうとしたが脇にいた林海峰ががしっと止めたので
秀行は坂田のとこへは行けなかった。そのうち秀行をつか
んで離さない林と秀行がダンスを始めたらしいw でも囲碁界では秀行がメチャクチャ度では突出していたけれど
総体的にみれば将棋界より囲碁界のほうが「行儀良い」棋士が多いと思うけどな なんか将棋って服装のセンスが明らかにおかしい人いるよね。
厨房が粋がって893みたいな恰好してる感じの人。 囲碁は全般的に陽性の人が多いと思う。
秀行はめちゃくちゃだけど、陰湿さとは無縁だった。
坂田も言いたいことは本人の前でも平気で言うし。
将棋はけっこう陰湿な感じ。
主に米長のせいだが。 おっ、時空間が歪んでるw
米長って明るいカラッとした人じゃないの? 陰湿でねちっこく人を陥れるのが大好きな卑劣漢だろ。 >>227
そのとき坂田は泣いていたそうだ(林裕「囲碁風雲録」より) 今若い世代(三羽烏とか)が台頭してきたが、坂田たちの世代と比べて実力はどっちが上かって聞かれて
そりゃ私たちだよ。今秀行がそれを証明してるんじゃないか(棋聖連覇中)と語ってもいたな。
嫌いだったんだろうが、同時代鎬を削ったライバルとしては認めてたんだろうな。
秀行は昭和を代表する5人の棋士に大坂田を入れてなかったがw >>236
NHK杯の将棋で金髪でチンピラみたいな服装と厳つい顔でカメラ目線のスゴイ人を見たことある
あと、盤からやたら離れて座るのって将棋界のトレンドなのかな、見てて不思議だった 昔は囲碁の好きなヤクザの親分さんがいて、彼等をタニマチとする棋士は自然とインテリヤクザっぽくなった >>241
別に醜行を褒めてるわけではない
ザコの醜行ですら勝てる位・・・ >>220
まだカミソリは誰でもイメージが湧くからいい
ナタの切れ味 シンザンなんて言っても今じゃ鉈なんか見たこともない奴の方が多いだろうしw すまんがちょっと分かる人がいたらおしえてくれ。
>>243のURLなんだけど、全然URLの違う出会い系サイトに僕は飛ばされてしまうのです。
これは俺のPCがおかしいの?
ハッシーは真面目な若者だよ。
将棋のイベントでまったく若者がいないことに危機感を覚えて、このままではいけないとあえて
若者ウケするような服装でNHKに出るほどの将棋好き。
なぜ金髪パンチに紫スーツなのかは不明だが。 誰もそんなこと言ってないだろ
橋本の画像を出すと誰も聞いてないのにいきなり擁護レスする馬鹿がいて困る
最初からコイツは外見がどうだから性格もどうこうなんて思ってる奴なんてそういないわ
少なくとも囲碁や将棋をやってる奴らはな >>255
俺のレスを理解できないの?頭おかしいだろお前 >257
頭おかしい人の逆鱗に触れちゃった?
ごめんね。 >>254のそんなこと言ってないの「そんなこと」ってどんなこと?
橋本が貶されたなんて言ってる奴がそもそも居ないのに
誰も擁護のつもりでレスなどしていないよ こういう場合は放置でいいんじゃない?
かかわると面倒くさそうだし。 亀レスだけど>>251がurlを踏んだときはすでに流れたあとだったんだと思う
>>243のロダは容量が2Mしかないのかな?
ttp://uploader.sakura.ne.jp/ 忘れてたけど、ここ坂田スレなんだよね
そろそろスレチはやめたほうがいいね
つーか追悼番組やらないのかな 囲碁将棋ジャーナルでやった以上の内容を作れるのかと 秀行は秋山賢司という秀行マンセーのライターがいた
おかげで得をした。
坂田はそういうライターがいなかったので損をしている。
だが実際には、実績も実力も坂田>>秀行でしょ。 こんな碁うってみたい
(
;FF[3]GM[1]AP[PocketGoban Ver 0.999]
SZ[19]PB[SakataEio]BR[9p]PW[FujisawaHideyuki]WR[8p]
DT[1959-11-25]
PC[NihonKi-in,Takanawa,Tokyo]EV[15thHoninboLeague]RE[B+R]KM[4.5]
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;B[kk];W[ig];B[nh];W[of];B[jh];W[jg];B[kh]
) 月刊囲碁には訃報は乗ってなかったね
締め切りに間に合わなかったのかな?
1月号には何かあると思うが 故坂田栄男氏に正四位
政府は19日の閣議で、10月22日に死去した囲碁の23世本因坊で文化功労者の坂田栄男氏(90)に正四位を贈ることを決めた
http://sankei.jp.msn.com/culture/igo/101119/igo1011190912000-n1.htm 囲碁の棋士は囲碁と一緒であちこちに愛人がいるけど
将棋の棋士は王様まっしぐらで1人の愛人にのめり込むから困る
と直子が言ってたぞ 坂田ってやはり人気ないな。
だって、追悼系番組が今に至るまで一度もないもの。
本当にやらないのかな。
トーナメントの後チラっと遺影とテロップが出たけどもしかしてあれだけで済ますのか?
だとすればずいぶん薄情だなw
名誉NHK杯なんだが。でもさ、もう既に追悼番組ってタイミングじゃないよね。
加藤の時は比較的すぐにやったよね。秀行のはあったっけ?
秀行の時は、クローズアップ現代と教育テレビで特集を組んでやってたような。 秀行は、まずクローズアップ現代に登場して、そのしばらく後
嫁さんや武宮九段、大竹九段などが登場した番組があったよ
強烈な努力、オリジナルじゃなきゃだめだなど名言を披露した
大竹九段曰く、打つ買う飲むで現在の棋士ではありえない、そういうのが
いると困るとまでいってた。 堅物って感じはしないけどなあ。
堅いのは高川とか杉内とか。
坂田はちょっと崩れてるイメージがあるよ。 愛人囲ってたしな。
秀行ほど破天荒じゃないだけで、やっぱり無頼なイメージはあった。 坂田18-14チクン(番碁1-0)
秀行*7-25チクン(番碁0-2)
コレくらい差があった 「坂田の碁」や雑誌「囲碁」で読んだくらいだけど、
この人は文章に味があるよな。
かつて自分がカミソリと呼ばれたことを踏まえて、
周りがなまくら呼ばわりしたことを
「相撲ではどちらの組み手でも取れるのをなまくら四つと言って……」
などと煙に巻くなど、強がり一つとっても粋でよかった。 >>282
坂田はかなりの読書家。
意外と世間では知られてないが、長嶋茂雄や故ジャイアント馬場が
読書人であったのと同じようにけっこう活字には親しんでいたようだ。 スポーツ選手が本を読んでいるから驚かれるのであって、碁打ちじゃ何の驚きもない というより長嶋や馬場だから驚かれるのであって、単にスポーツ選手じゃ・・・・・ >>285
馬場はレスラーというより優秀なプロモーターであり経営者 馬場は死ぬ直前まで現役レスラーだったけど、
健康診断の際に運動不足ですと医者に言われたみたいな都市伝説を聞いたことがある プロレスの実況がさぁ、「馬場動いたぁぁぁぁ!!」とか。
これも都市伝説かなw >>281
それは、チクンとの相性の問題でしょ。
坂田と秀行は、単純に比較できんね。
坂田の全盛期の数年間があまりに強すぎた。
しかし、両者が50才過ぎてからは、
秀行は棋聖六連覇、史上最高齢記録(王座位連覇)に代表されるように
逆に秀行が圧倒していたよ。
なので、どっちがどうとか単純に比較はできないね。
棋聖6連覇中でも他棋戦の成績は大したことなかった
だから、圧倒というには違和感がある 坂田氏の50代(1970年代と重なる)のタイトル獲得歴をwikiとかでチェックしてみなよ
果たして圧倒といえるかな >>291
坂田と秀行は比較するレベルじゃない、無知もいいとこ。
秀行は昭和ベストテンにも入らない。 借金を返すために棋聖戦に打ち込んでいたとか言われているけど、こんなとこでのレスにまで金のこと持ち出すのは寂びしすぎるな。 坂田栄男さんのお別れの会=囲碁棋士、二十三世本因坊・10月22日死去=
12月21日午後2時、東京都千代田区五番町7の2の日本棋院。
お別れの会実行委員長は大竹英雄日本棋院理事長。喪主は妻の鐵枝(てつえ)さん。
http://mainichi.jp/select/person/news/20101201k0000m060079000c.html さすがに、ここのスレは秀行の50代、60代のときの活躍に対する妬みがすごい。
つまり、坂田と秀行の場合、ファン同士でも妬みあって仲が悪いか・・・
正直驚いた。
秀行はジジイの希望の星だよな、70手前でも頑張ればトップになれる事を証明したんだから ただしそれには「強烈な、強烈な努力」が必要
ttp://livedoor.blogimg.jp/vinokoike/imgs/e/e/eef828a6.jpg シューコーは胃がんもちだから盤前の対局者には
凄い悪臭攻撃ができそうだな、戦意も集中力も
大分そがれたんでねえか? >>281
ほんとだね。
あと、秀行のアンチ=坂田ファンってこともよ〜くわかつた・・ >秀行のアンチ=坂田ファンってこともよ〜くわかつた・・
単細胞乙 坂田は、基本的に嫌われていたし、人気もないから視聴率とれないんだよ。
ここまできたら追悼番組はもうないんじゃないの? 「お別れの会」待ちなんじゃないかな。
秀行さんの追悼番組でも出だしはお別れの会の場面じゃなかったっけ。
ヨセ上手の秀格先生が、自分は大きさを考えてヨセるけど
坂田さんは独特のアンテナでヨセるけど正確でヨセ上手
みたいなことを書いているよね。坂田一代で読んだ。
小生が古本屋で100円で買った坂田一代は、
なんとサイン本だったんだ…。小生は好きだけど、
坂田先生は人気無いんだなぁ…。
いやいや、サイン本を100円でゲットできたのは
坂田先生の碁を学べという碁の神様からの
メッセージかもしれん。
>>313
坂田がヨセが上手なんて初めて聞いたよ。
高川は、坂田とはあまりにも相性が悪く、何やっても最後は負けになっていたので
そう言うしかなかった。
チクンは、20年以上前のNHK杯(小林光VS坂田戦)の解説で、
「坂田先生は、ヨセは得意でない」とはっきりと断言していた。 坂田が林を苦手にした理由って何?
単に年齢的なモノに起因するスタミナの差とかか? >>316
チクンの「地と模様を超えるもの」には、
「高川のヨセ:計算のヨセ」
「坂田のヨセ:計算はあまりしない。
中盤の戦いを持続させたまま終盤に入って
相手に打撃を与えるヨセ」
みたいな事が書いてあった。 >>313
石田章も、坂田のヨセは動物的な嗅覚のヨセだと言ってた。
大きさを考えてヨセるのではなくて、ヨセでも戦っているのかな?
相手が受け損なったら死んじゃうみたいな感じ?
ヨセが得意ではないのではなくて、ヨセのとらえ方が違うのかな?
ヨセに入ってからも手の大きさを地を何目稼げるかだけでは
捉えていないということなのかな? そういう含みを利用して有利に進めるみたいな感じじゃないかな。 囲碁、坂田栄男氏のお別れの会 大棋士しのんで献花
囲碁の23世本因坊で、「カミソリ坂田」として一時代を築いた大棋士、故坂田栄男氏のお別れの会が21日、
東京都千代田区の日本棋院で開かれ、多くの関係者、ファンが故人をしのんで献花した。坂田氏は10月22日に90歳で死去した。
実行委員長を務めた日本棋院の大竹英雄理事長は「碁界に残された足跡は、あまりに偉大すぎて言葉に表せない。先生の業績を見習い、
棋道に精進していきたい」と遺影に向かって語りかけ、趙治勲25世本因坊は「若いときに先生と対局し、
連敗したことが今の私のかけがえのない宝となっています。ありがとうございました」としんみりしていた。
http://www.47news.jp/CN/201012/CN2010122101000508.html
坂田先生のお別れの会行ってきました
先生の碁が好きで、よく並べました
ご冥福をお祈りします
史上最強の早碁王かも。
秀芳は、早碁が強い者が本当に碁が強いと自画自賛していたけど、
秀芳よりも坂田先生の方が早碁が強いじゃん。 >>328
一部抜粋。
趙先生がとても、ユーモアのある挨拶をされていました。
「坂田先生と初めて対局したのは、日本棋院選手権ですが、僕が二連勝した後に、
坂田先生に本気を出されて、その後3連敗して負けてしまいました。
その後全く坂田先生に勝てなくなって、13連敗しました。
坂田先生はよく、『治勲が強くなったの、俺が鍛えたからだ』と話をされていたそうです。
坂田先生に鍛えられて、僕は強くなりましたが、性格は少し悪くなりました。」
というような挨拶をされて、
最後に坂田先生にお礼の言葉を言うときには、趙先生は感極まって、
言葉が詰まっていたようでした。
坂田先生が治勲をカモったのは、一時的だったの?
坂田 Vs 治勲 の通算成績や年度ごとの成績を知りたいね。
記者さん、データベースで調べてよ。 >>334
棋譜でーたべーすに挙がってるのはこれだけ
kid 棋戦 黒石 白石 日付 結果
10191 第7回 KirinCup 趙治勲 坂田栄男 1994-10-24 B+15.5
19133 第5回 KirinCup 坂田栄男 趙治勲 1992-11-16 B+R
9242 第38回NHK杯争奪囲碁トーナメント 趙治勲 坂田栄男 1991-01-20 B+R
29618 第29回 十段戦 趙治勲 坂田栄男 1990-06-28 B+R
86516 第12回 棋聖戦 坂田栄男 趙治勲 1987-06-25 W+0.5
28270 第12回 棋聖戦 坂田栄男 趙治勲 1987-06-25 W+0.5
7264 第19回 早碁Ch'p 趙治勲 坂田栄男 1987-02-22 B+1.5
21308 第25回 十段戦 坂田栄男 趙治勲 1987-01-29 W+R
29308 第42回 本因坊戦リーグ 趙治勲 坂田栄男 1986-11-20 B+R
87668 第3回 NEC杯决戦 坂田栄男 趙治勲 1984-03-03 W
31795 第3回 NEC杯・早碁戦 決勝 坂田栄男 趙治勲 1984-03-03 W+8.5
9852 第39回 本因坊戦リーグ 坂田栄男 趙治勲 1984-02-08 B+R
2045 第39回 本因坊戦リーグ 坂田栄男 趙治勲 1984-02-08 B+R
31482 第22回 十段戦 坂田栄男 趙治勲 1983-10-06 B+R
39162 第2回 NEC杯・早碁戦 坂田栄男 趙治勲 1983-01-16 B+R
35298 第36回 本因坊戦リーグ 趙治勲 坂田栄男 1981-02-26 B+R
31630 第5回 棋聖戦 趙治勲 坂田栄男 1980-11-13 B+6.5
86997 棋聖戦.全段 趙治勲 坂田栄男 1980-09-03 B+R
35273 第5回 棋聖戦 趙治勲 坂田栄男 1980-09-03 B+
26178 第5回 名人戦 坂田栄男 趙治勲 1980-02-07 W+
4857 第35回 本因坊戦 坂田栄男 趙治勲 1979-11-29 B+
29984 第4回 碁聖戦 趙治勲 坂田栄男 1979-06-07 B+
35633 第3回 名人戦 趙治勲 坂田栄男 1978-08-10 W+ 29213 第3回 天元戦 坂田栄男 趙治勲 1977-09-15 B+
4491 第2回 名人戦 趙治勲 坂田栄男 1977-03-31 W+
25944 第15回 十段戦 坂田栄男 趙治勲 1977-03-02 B+
14872 第15回 十段戦 趙治勲 坂田栄男 1977-01-06 W+2.5
86563 第23回 NHK杯 趙治勲 坂田栄男 1976-03-14 W+R
32072 第23回 NHK杯 趙治勲 坂田栄男 1976-03-05 W+
87611 第2回 JapanSeriesLeague 坂田栄男 趙治勲 1976-02-08 B+R
87620 第8回 HayagoChampionship 坂田栄男 趙治勲 1976-01-24 B+R
7490 第14回 十段戦 坂田栄男 趙治勲 1975-10-16 B+
86501 第22回 日本棋院 選手権 決勝 坂田栄男 趙治勲 1975-02-06 B+4.5
310 第22回 日本棋院 選手権 坂田栄男 趙治勲 1975-02-06 B+4.5
413 第22回 日本棋院 選手権 坂田栄男 趙治勲 1975-01-27 B+R
1279 第22回 Nihon-Ki-in 選手権 趙治勲 坂田栄男 1975-01-16 W+R
425 第22回 日本棋院 選手権 坂田栄男 趙治勲 1975-01-07 W+R
483 第22回 日本棋院 選手権 趙治勲 坂田栄男 1974-12-25 B+R
376 第22回 日本棋院Ch.ship 趙治勲 坂田栄男 1974-00-00 W+1.5
32121 第10回 プロ十傑戦 趙治勲 坂田栄男 1973-01-31 W+
86495 第10回 プロ十傑戦 趙治勲 坂田栄男 1973-01-31 W+R じゃあ次は通算対戦成績と年度ごとの成績を表にして
とか言いそうだね
表にするのは自分でやります。
データの読み方を教えて下さい。
86495 第10回 プロ十傑戦 趙治勲 坂田栄男 1973-01-31 W+R
↑
これは、黒が治勲で白の中押勝ちという意味?
W+1.5 は、白の一目半勝ちという意味?
W+ は、単に白勝ちという意味? 坂田と藤沢
若い頃(老齢除く)の棋譜をみると圧倒的に坂田が洗練されている。
はっきり言えば坂田のほうが強かった。
しかし、棋聖連覇の頃の藤沢は、感動的なくらい洗練されている。
碁に対する情熱をどれだけ持っていたか分かるというものだ。
実績 坂田>藤沢
ロマン 藤沢>坂田 > ロマン 藤沢>坂田
くだらん、「ロマン」などという客観性の全く無い尺度を持ち出すバカ。
日本が中韓に全く勝てなくなったら、
「日本の棋士は勝敗でなく『棋道』を追求しているのだ」と言い張るのと
同じレベルの低脳発言。 武宮は少年時代、師匠の田中三七一から碁の内容に対して厳しく指導されて、勝っても内容が悪かったら叱られたそうだ。
親父さんの賭け碁の代打ちをさせられた坂田とは対称的だ。 ロマンうんぬんに関係なく、指導碁は内容も大事だと思うけどな。 坂田は晩年に警鐘を発していたな。
研究会などで若手が検討しているときに、「手厚い」とか「本手」だとか言うと
それ以上議論がされずに打ち切られるのが常態化。
坂田にとっては手ヌルイ「本手」など許せなかったのだろう。
そして予言どおり、あっと言う間に中韓に抜き去られた。
>>344
正樹の親父さんは、正樹のあゆみという本を
出版したよね?
木谷門に移る前の武宮正樹と当時の師匠の
田中三七一先生との激闘譜が100局くらい
収められていなかった?それとも、その本は
別の本だった???
通常は、師匠が弟子と打つのは2回だけとか
言われているよね。入門時に1回と、見込みが
ない者を田舎に帰らせる時にこんなに強く
なったのだからこの棋譜を持って田舎に帰れと
やる時か入段のお祝いで1回でしょう?
ところが田中先生は正樹と打ちまくり、地は
忘れろ戦って勝てと教えた。田中先生は
実力派人気棋士だった加藤信先生の実弟。
正樹の親父はブランド志向だよね。 >>349
>通常は、師匠が弟子と打つのは2回だけ
それは将棋。 >>350
囲碁にも当てはまる
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/kato/
しかし現代では囲碁も将棋にも当てはまらないだろうね。武宮の話が残ってる
ってのは当時師匠と打つのが珍しかったから残ってるわけで。石井クニオはめいっぱい
井山に指導碁してるし。 江戸時代では道悦道策・元丈丈和・丈和秀和・秀和秀策・秀和秀甫と師匠と弟子で散々打ってるのにいつからそんな習慣?ができたんだろう? 井山裕太20歳の自戦記の歴代名人の井山評の中で坂田は
井山くんはいい師匠に付いた。私も弟子は何人か取ったが、
碁を見てやっても打ってやることはほとんどなかった。
時間がなかった。とか書いているから、スポンサーが新聞社になって
弟子と打ってやる時間が取れなくなってからじゃないかな。 だから井山−石井師匠対決の1,000局は
200局が石井の指導碁
800局が井山の指導碁
井山が16歳くらいからは石井はほとんど勝てなくなったんだから。
石井は井山のスパーリングパートナー。 ここのスレ
坂田をやたら神格化したいようだけど、
晩年の目を覆いたくなるような碁は、見てないのか?それとも知らないのかね!?
棋譜データベースとかでチェックして並べてみんなよ! いや秀行は若手と結構早碁とか打ってるはずだけど
八十代とかになってからは知らんけど 最晩年の坂田は目と体力の問題で早期決着狙いの捻り合いに持ち込む事が大半だったから仕様が無い
それでも当時の実質No2だった柳シクンをカモるとかNHkで加藤正夫を倒すとかして十分並の棋士以上だった いくらなんでも60以後の成績は無視してやれや
ウタロウ先生なんかは例外中の例外とゆーことで
シューホーもシュージュも絶対に負けないっていってた
女流に一発入れられるんだよ還暦すぎると・・ >>359-360
高齢による体調や体力の衰えや、それにともなって碁が弱くなることは仕方ないけど、
碁以外は不摂生の極みな人生を送ってきた秀行が67歳でタイトル防衛したのは奇跡だね >>362
2度の癌(確か胃ガン&リンパ癌)を患い、死んでもおかしくない状態から
命が助かっただけでも普通の人ならすごい話なのに、その後史上最高齢記録となる
王座奪取&防衛は、常識では考えられずまさに奇跡といわざるを得ない。
またはじまった。坂田ファンってもうどうしようもないねと思ったいたけど
実は、ここのスレは3〜4名のコアな坂田フリークが、書き込んでるということがわかった。
あ〜馬鹿馬鹿しい。
>>365
スルーすればいいだけだろう。どんだけひねくれてるんだよ。 むしろ醜行の狂信者が出張してきて坂田をディスってるんだろう。 秀行の悪口もこのスレでは定番。
坂田自体がそうだったから仕方ないのかもしれないけど
もう少し品性が欲しい。 品性という意味ではこの二人のライバルはどちらも似たようなものだけど
我々がそれにしたがう必要もあるまいw >>368
うん、そうだな。
坂田もきっと一時期は秀行を「殺したいくらい」憎いと
思ってたときがあったはずだと思うけど、
最後に秀行のお別れの会には出たよな。
なんというか、もうちょっと「余裕」が欲しいね。 結局全国紙の追悼記事も追悼番組もなしでしたか。
見逃したのかな。 加藤の時は速攻で番組組んで坂田は無しというのも解せないね。
NHKは生前に秀行の番組も作っている。
なにか我々の知らない裏事情とかあるのかな。
そういえばあまり聞かないけど坂田って弟子というか門下いたの?
悪く言うわけじゃないが、人柄の問題もあるのでは。
秀行とかはもっと開けっぴろげな感じだしね。 あと秀行の破天荒ぶりは知っていても、坂田の凄みを知っている人が、
放送関係では今ではもう全然いないとか。 自分が碁を始める前に引退しちゃった人だから
どんな人だったか追悼番組楽しみにしていたんだけどなー 碁を知ったのは、NHK杯でずいぶん変な五目並べだなと思ったのがきっかけだった。なんなのだこれは。
覚えてみたいと強烈に思った。小学生の高学年のころだった。
打っていた一方の恰幅の良い棋士が印象に残った。
あとで橋本しょうじ九段だと知った。それがゆえ橋本九段には特別な思い入れがあった。
そのあと坂田のすごさを知った。初心者なので碁の内容うんぬんより、怪鳥のような風貌とまつわるエピソードにしびれた。
何もないのがさびしい。俺がNHK職員ならそれこそ職を賭してでも追悼番組作った。。。。ろうな。
碁にはそれだけの魅力あるよね。 坂田ファンって、高齢層が圧倒的に多いよね。
ここのスレ見てそう思った・・・
そりゃそうだよ。
活躍していた時期と、囲碁人口の年齢分布を考えると当然だな。 >>385
でも陰気くさい感じと性格はそっくりじゃね ちっとも陰気臭くなんかないと思うが。
なんだかやたらと貶めようとするアンチがいるな。
秀行ファンが一方的に対抗意識剥き出しで突っ掛かってきているようだ。
何でもかんでも秀行。ファンがこれでは陰気臭いといわれも仕方ない。
今夜のNHKの新番組で升田幸三か
いつか坂田も取り上げられるかな 囲碁は手の解説してもわからないんだからTV向きじゃない 秀行の時みたいに、「名局細解」でかつての名局を取り上げてくれないかなあ 別に必要ないけど、
もしやるとしたら、秀行名人と坂田本因坊の世紀の血戦と言われた第二期名人戦かな。
坂田の外のぞきの好手が出た第七局だろうな テレビ東京の夕方のニュースの15:35〜『倉野のこれ見て』というコーナーがある。 囲碁クラブで夜20:00位に若い女性がワインを飲みながら囲碁を教わっていた。
囲碁を通して結婚活動してカップルもあるそうだ。
私は非常にけしからん!と思った。坂田先生、秀行先生は命を削って勝負した。
坂田&秀行&将棋の大山升田両巨匠も絶対に、絶対に大変お怒りになると思う。
棋士は生活と名誉をかけて深夜まで戦っている。
勉強したり、研究会があるし、プロになるまでが大変だ。女がワイン飲みながら対局!……
呆れたわい。プロの棋士だったらワイン飲みながら囲碁将棋教えて下さいくれ、弟子にしてくれなんてきたら拒絶するな! マジレスすればエラいのは金払ってる生徒なんだからいいんじゃないw
囲碁マナーの普及より金儲けが優先するんだろ。 秀行先生なら きっと 一緒に 飲むやろ 四文字連呼 しながら 坂田・呉、坂田・橋本宇、坂田・朋斎、坂田・秀行、
それに坂田・武宮。
この5カードは棋譜並べすると面白いよ。 極寒のベーリングで命をかけて漁をしてる人がいるってのに
護岸から晴天凪の海に釣り糸を垂らすとは何事だ 坂田先生は秀行先生とのタイトル戰で命を削ったと聞きました。
近代の囲碁将棋棋士はそんなことないでしょうね。研究成果を試す試合ですかね? 坂田永世本因坊は将棋で例えたら大山十五世名人だとお爺さんが言っていた 確かに言われてみれば、そうだな。と思って、お二方の年齢を調べてみると
年齢もそれほど違わないんだな。 坂田さんが生きてるときに碁を始めたかった
井山が6冠になったようだが、全盛期のこの人の棋譜を並べてると
井山よりも強いんじゃないかと思える 坂田氏亡くなってから囲碁始めてそれがわかるのもすごいと思うが。 あがってたので何年かぶりで来てみたら、面白い話題が。
坂田の碁も井山の碁も圧倒的な読みをベースにしている
という点において、本質的にはよく似ていると思います。
違う点は、坂田の碁は真剣勝負であるということです。
ここでいう真剣というのはきれいごとではないと意味です。
圧倒的な読みの先に罠を仕掛けて待っているのが坂田。
読み負ければ、その鬼手・妙手という名の罠にかかって
一瞬でカミソリに切られてしまいます。
言い方を変えると、それはある種のハメ碁なのですが、
坂田の碁はものすごくレベルの高いハメ碁なのです。
だから、彼の碁には、いつも俗な感じや悪意の臭いが
つきまとっていて、それを嫌う人も多かったのだと思いますが、
その反面、一瞬たりとも気の抜けない緊迫感や、
罠が発動したときの爽快感、つまりは真剣勝負そのものに
魅せられた人も多かったのだと思います。(私もそうでした)
井山や中韓の現代強豪は確かに強いのですが、
まだまだ碁がきれいで、全盛期の坂田の凄味には及びません。
(というかそんな凄味を持ったプロ棋士は坂田以外に知りません)
強い弱いはわかりませんが、もし戦ったら勝つのは坂田でしょう。
当時とは環境も変わり、今はコンピュータ全盛の時代。
研究の手段や幅も広がり、手動のカミソリから電動のドリルに
変わったというのは、とても納得できる面白い例えだと思いました。
書くのに1時間くらいかかっちゃいました。長文失礼しました。 むしろ坂田の碁は相手を幻惑させる勝負手より、馬鹿正直に徹底的に読みを入れた絶妙手が特徴ではなかろうか?
小心者であるがゆえに羽生マジックみたいな手はない。秀行にはある。 井山はジェイソンが斧で首を引っこ抜く感じで坂田は気がついたら首が切れてる感じ。 坂田に負けるときって、鋭利な刃物で切り刻まれて、苦痛に苛まれながら死ぬイメージ。 坂田の頃は持ち時間13時間とかで、井山は3時間の国際戦用に棋風をチューンしてる感じがする。
その坂田も、秀哉ー雁金戦に「われわれはこれほどまでに読み切っていない」と言ってたりする。 坂田は最高の碁打ちではないかもしれないが最強の碁打ち >>428
棋聖6連覇の時は全盛期というのとはちょっと違う強さだな。 年取って力衰えた坂田が好きだ。
時代の流行形や発想についていこうとする姿勢が好きだ。
布石を見ると相手の土俵に上がって、「勝負」するんだよな…坂田。 現代ではセドルなんかもそうなんだが、
相手に読み勝っていると察して、相手を呑んで強引に仕掛けちゃうタイプなんだよなw
晩年になるけど馬曉春をぶっ潰した公開早碁なんか面白かったね 相手の土俵に乗ると、短期的には勝ちにくいかもしれない。しかしそれで勝った時の相手に与える威圧感は相当なものなんだろうな。 観戦していると感じやすい、対局相手を捻り倒すいわゆる「鬼のような強さ」だったね
そういえば坂田は滑舌悪くて「強い」を「つおい」と発音してたっけw
解説者として登場した時は「つおい」を連発してたから、そういう強さに拘りを持っていた感じもする 検討で相手の提示した手に即座に答えられる読みの深さこそが坂田の強さ
全ては読みに裏付けられた完璧なうち回しだからこそ強かった
読みが弱くなればそこから綻びて行くのは仕方ない
形で打つ棋士とは違うのだから 坂田対橋本宇と坂田対藤沢朋の碁は、ともかく並べておもしろい。 今期のパッション、子供以外の全員、腹立つくらい過少申告だな。
謙遜のつもりなんだろうが、ただの腹黒だろ。
インストラクターはボコボコにしてやって欲しいわ。 たまーに、講師陣の口からボロが出るから面白い。
大沢(妹)さんは稲葉さんの中ではぶりっ子認定されてる模様。
あの演技はマズイでしょ。
で、黄先生の反応からすると謝依旻は彼氏いないっぽい。 他の一流棋士と違ってなぜ坂田が強くなったのかがあまり語られないのは、子供の頃に賭け碁をしてたからかな。
そういうタブー意識が囲碁界の前近代的なところじゃまいか。 掛け碁をタブーにしない方が前近代的だと思うんだが。
あと、あまり語られないのは、単に古いからでは? 坂田栄男門下の佐々木正8段(追贈9段)が
今年7月に急性白血病で亡くなっていたようです
51歳で若かったのに残念ですね
この人って囲碁フォーカスで師匠の坂田栄男が
取り上げられてたときにちょっと出ていましたよね
個人スレがなかったのでこちらに書き込んでみました 坂田の孫娘がリナポンにたちはだかるとかの展開だとおもろいんだが >>444
全く知らなかったけど加藤正夫と小林光一に勝ったことあるんだ。 >>433
弱い人を強いと言えない人だったから、『坂田さん、強いと言わなくていい。
つおいと言いなさい。』と私が教えました。
坂田さんも先に逝った。 >>1
強かったが、苦手な相手もいた
高川格などをカモにして膨大な数のタイトルを獲得したが、
島村俊廣、下の世代である工藤紀夫などにはよく負けた 林海峰さんにはことごとくやられたな
あと大竹さんにもひどい目にあった 強い奴は下から来るものだからな
下の世代に負けるのは自然な事だ 呉さんと坂田さんの全対戦成績を教えてください(NHK杯とかもすべて含めて) 20以上年下の棋士を挙げてよく負けたと言われてもな…
趙小林が四天王によく負けた…当たり前だろ? 林との二回目の棋聖戦は楽勝ではなく辛勝
加藤のときよりも苦しかったと秀行が言ってる 昭和30年代の大山康晴と坂田栄男は無敵だった
カミソリ坂田凌ぎの坂田は無敵だった >>457
その通りだね
坂田と竹林の年齢差は治勲と四天王の年齢差とほぼ同じ
坂田と竹林の対戦成績は治勲と四天王の対戦成績より今現在で僅かに良い
坂田の方がより高齢で対局している上でなおだ
そもそも22歳離れた相手と70歳過ぎまで対局して勝率4割なら充分健闘している 坂田知ってる世代はどんどんなくなってるから微妙じゃね
その世代が存命ならそうだと思うが はやく殿堂入りさせてほしい
正岡子規よりよっぽど優先されるべき人だろ この人の碁は力自慢のアマには非常に参考になる。。
だがこの人の碁ではAIには勝てないような気がするのは俺だけか? >>474
AIとは明らかに相性悪いだろうな。
ただ坂田が大一番に繰り出した多くの妙手を、AIは指摘・分析できるか? 坂田は若くて綺麗な奥さんがいて、タイトル戦で地方対局の時はいつも付き添っていた。
銀座のホステス出身らしい。
尽くしてくれる奥さんを持ったことが、年を取ってもタイトル戦に出たりリーグに残留できた原因だろう。 だったら若くして総入れ歯にならないようにしてほしかったなw >>474
AIに伍してやれそうなのは藤澤とか山部の碁かな。梶さんはオワオワ言ってすぐ投げちゃいそう。 大竹がAIに一番近いんじゃない?
晩年はシチョウを間違えるのにレーティング100位以内にいた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています