967 名前:SOUND TEST :774 メェル:sage 投稿日:2006/04/17(月) 17:43:25 ID:p2ZnW4X4
久石が佐藤勝のアシスタントをしていた時
公式の記録として残っている数少ない物としては

http://www.jmdb.ne.jp/person/p0126910.htm

・229 1974.08.03 ルパン三世 念力珍作戦  東宝=国際放映

・264 1980.04.26 地球へ・・・  東映動画

がある。もちろん久石がどの程度関わったのかは公表されていない

実に6年もの間、佐藤勝のサポートに関わっていた計算になる。

74年の「はじめ人間ギャートルズ」と76年の「ろぼっ子ビートン」を除き
81年までは久石本人の仕事が無い、またそれ以降は仕事が集中していることから
それまでの間は佐藤のサポートに専心していた事が伺える。

この間に佐藤は約35本もの映画音楽を担当している
年間平均6本と言うかなりのハイペースだ。
この膨大な仕事を一人でこなすのは事実上不可能だろう。
実際、久石がアシスタントとして作曲に携わり、佐藤をサポートしていた。

久石はインタビューでアシスタント時代は作曲も手がけたと語っているが、
当然ながら、どの作品のどの部分に使われたかは一切語っていない。

それは何よりもまず

・アシスタントの名前は原則的にクレジットに記載されない
・アシスタントはサポート時代に作った曲を流用したりしない
・アシスタントはサポート時代の仕事の範囲、内容を公表しない
・アシスタントを行っていたのは師匠の没後に発表するのがマナー

と言う事が大原則としてあるからだ。片倉は明らかに破ってる。