信長の野望で過大、過小評価されている武将スレ32
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移封時に大量に牢人雇った手前放逐出来なかっただけじゃないか景勝は 孝蔵主を新武将で作りたいがステータスどれくらいだろ
この人結局凄いのに未だに特典武将にすらないんだよな 毛利を幕末まで生き延びさせたのは別に輝ひとりの功績ではないし
基幹を作ったのは元就と息子三人
取り潰されなかったのは歴代当主の力量 毛利は織田軍というより秀吉の軍団とぶつかってしまったのが不幸だったな 輝元と秀就がクッソ無能だったから家臣の質が上がった >>269
武将ではないからな
出家して夫もいない、父親なり他の一族なりもいない、なので優先順位は低い 毛利秀元 74 82 67 50 43
微妙に脳筋扱いされてるけど初期長州藩最大の功労者なのに政治低すぎじゃない? >>269
女として実装する価値のある人物だよな
旦那もショボい能力で実装して生きてる間は嫁枠でいい >>274
輝元と仲悪くて幕府も気を揉んだらしいからマイナス査定 >>274
政治と智謀は逆にしていいな
コーエーは空弁当みたいな逸話あると容赦なく智謀下げるけど作毎に上がってきてるのは何でだろう >>271
高松城の水攻めのあと、明智軍に向かう秀吉を追撃しなかったのは偉いよね
あれムチャクチャターニングポイントっぽい >>279
小早川と安国寺が止めたとしてもそれを決めたのは評価すべきか でも賤ヶ岳の時柴田との内通がバレて殺されかけるお茶目な一面もある 総選挙のおかげでこのスレで輝元が脚光を浴びる日が来るとは… >>206
井伊直政とか戦国大名じゃないのも混じってるな >>262
備中高松城と越中魚津城が落城し本国が助かったのも似てる 土壌がグッチャグチャの備中高松に蜂須賀小六の軍勢5,000を置いていって
さらに備前岡山に7,000置いていってるから
そもそも毛利が東に追撃進軍するのはかなり困難
言い換えれば秀吉もそこそこ警戒してたとも言える 分かったよ
俺の創造の黒田長政の能力値発表すれば良いんだろ
統率 79
武勇 88
知略 89
政治 77
あんまりいない武勇知略型武将を作りたかった >>287
これは万能型という
武勇知略なら忍者みたいな能力にして そういや統率90、武勇60台みたいなのはよく見る気がするけど逆は少ないな
前田慶次(65、93)、山中鹿之介(76、97)くらいか
忍者連中は統率武勇ともにちょっと足りない
講談脳筋連中はもっと頑張れ 大志の仕様だと忍者連中の部隊戦闘力えげつないんだよな
百地とか全国最強クラスでしょ 上泉伊勢守 統率 65 武勇 96
鬼小島 統率 46 武勇 92
(足利義輝 統率 76 武勇 91)
(福島正則 統率 79 武勇 90)
剣豪を中心に武勇が抑えられていく傾向にあるけど
講談脳筋組もまだまだ頑張ってるぞ 朝鮮戦績はあまり考慮にいれてほしくないかも。比較条件が違い過ぎるというか…
明との戦いとか海戦とかはまぁいいのかも知れないけど。 差別じゃなくて強兵弱兵の話でしょ
寸前まで合戦していて武器も最新鋭の日本軍と全く合戦を経験していない武器もまともにない朝鮮軍では差別せずとも強兵=日本軍、弱兵=朝鮮軍となるでしょうに 過小評価というか、完全にコーエーがキャラ付け間違えてるのが龍造寺隆信
史実見ると宇喜多直家ばりの某将で、脳筋エピソードなんて全くないやんけ 知将と脳筋の取り違えか、
たまにコーエーがやりがち 度の越した粛清も離反の素になったりで小賢しい知恵は寧ろマイナスなんやろ
腕白エピとラストバトル、5人揃って四天王の印象が目立つのはしゃあない >>300
そりゃあ肥前の熊なんだから智略が武勇より低くないといかんわな 「五州二島の太守」ってのは少弐氏の「三前二島守護」をもじったものなんだろうけど
肥前の熊ってガチで出典不明らしいねあれ
隆信の生涯を考えたら猛将云々ってより単に獣のような節操無しってことかね 鎮漣謀殺はそもそもその頃にゃ既に敵対人物だし、謀殺から二年かそこいらで有力国衆の田尻氏を完全家臣化、領地替え成功して、筑後を完全に治めたりして成果を上げてる
沖田畷も戦いの経過が単なる罠にはまってどうこうという結果でもないことが見直されつつある
龍造寺隆信が特に知略や政治を下げられる謂れはほぼなくなってると思う >>300
宇喜多スレで以前見たけど、直家の謀将的な話の出典も全部軍記物で
宇喜多直家の実態を掘っていくと、ただ合戦に強くて名声を得た国人領主だったみたい
むしろ実物の宇喜多直家は通説的な龍造寺隆信に近いんじゃない?
個人的にはどっちも合戦に勝ちまくったから周辺の地侍の支持を得て強大化していった勢力だと思うけど 言うても、一豪族のそれも分家の身から一代であれだけ勢力のばすなんて並の才覚じゃ無理と思うぜ
領土拡張率で言ったら、信長、毛利、長宗我部に次ぐくらいじゃね
ただの脳筋な訳がない
人望のなさや暴君ぶりは政治の低さで表現するとして、智謀くらいはもっと高くないと 熊のイメージが違うんだろ
熊は警戒心や猜疑心が強くて非常に執念深い
力が強いだけの生き物ではない >>312
頭脳派な戦争で華麗に勝利!!やったぜ直家→後世の作家「秀吉と絡まるのにインパクト少ないンゴ。せや!知性派やし謀略好きにしたろ!」
こうですか分かります まあ最上義光みたいに評価がガラッと変わるかもしれんし
あの能力はやり過ぎと思うけど 直家は合戦が強かった補正で今のステに武勇10プラスするとちょうど最上義光と同じ総合値になるんだな 熊さんが智謀型になったら脳筋多い修羅の国九州でも生き残れそうだな
今の能力じゃいつも上位戦闘型の道雪や義弘いる大友島津に食われるし 直家の政治89(今は内政と外政に分かれてるけど)あって戦闘面より高いけど知略につられて高くされてたんかね
例によって史料が少ないし、直家の治世がどんなもんか分からないだろな 東北や九州の田舎と違って宇喜多は強くするとえらいバランス変わりそうやが 直茂は直茂で高くていいし
それはそれとして隆信もきちんと評価して欲しい
ついでに長信も龍造寺の政治の柱石にしてほしいな 今年は周期的には新作出てもおかしくない訳だが、どうなることか 【昔】騎馬軍団最強!
↓
【今】戦国時代の馬はポニー、騎馬軍団はありませんでした
↓
【最新】ポニーではないし騎馬軍団はいました
歴史の評価なんか二転三転するわ
きっと熊さんも熊さんに戻る ポニーってそもそも背丈の話でしょ
モンゴルの騎馬軍団も背丈はポニーだし いわゆる騎馬突撃はなかったんじゃないの?
物干し竿を振り回しながらバイクで突っ込むなんてできないでしょ >>324
丹坂峠の戦いの考察本が先月出てた
知らんことばかりで面白かったよ
表紙でほぼ言いたい事が完結してたけど
スゲー大回りな隆信本陣の迂回機動で奇襲してたのね 槍衾があったから騎馬突撃はあったと思うよ
映画みたいな横一例で〜みたいかどうかはともかく >>332
なんかルイス・フロイスの日記でジャップは馬から降りて戦ってる
みたいなのなかったっけ
信長も桶狭間では徒士で戦っていたし
いくら訓練しても難しくないか騎馬突撃は 武田が山国の甲斐信濃の時点で薄いからなあ。むしろ北条さんとかじゃないの 花の慶次のように馬が人間を蹴散らして馬上から槍をぶん回して首を刈るなんてのはなかったろ 戦国時代の馬がポニーだったって言うけどさ
当時の絵巻物見てるとどう見てもフォルムも大きさもサラブレッドだな
元寇のあの有名な絵とかポニーに見えるか? >>333
フロイスが見たのは西国の武士だからなあ >>337 戦国時代板で過去に同じような質問あったので参考に
361人間七七四年2020/04/15(水) 23:38:47.63ID:+Omd5ZUo>>363>>364
戦国時代に合戦で用いられた日本の馬の多くはポニーサイズみたいな話がありますが
戦国時代以前や江戸時代に書かれた絵巻物や錦絵なんかを見ても
そこそこ立派な馬体のサイズで書かれたりしていませんか?
やっぱり上級武士などが乗る馬に関しては立派な外国産馬が用いられたとかって事はないでしょうか?
362人間七七四年2020/04/16(木) 00:08:11.32ID:QmZHYKKA
そもそもポニーサイズはけっこうデカい。ポニーと聞いてポニーの中でも小さいシェトランドポニーとかのミニポニーを思い浮かべるからちっちぇーと思うだけ。
そしてサラブレッドらの現代馬から見ればたしかに小さいが、歴史的にはチンギスハンのモンゴル騎兵や中世西洋の騎士も日本馬と同様にポニーサイズだから別にちいさかない
363人間七七四年2020/04/16(木) 20:05:12.28ID:5dxY1XS5
>>361
肩の高さが147cm以下がポニーの定義ね
つまり自分の胸から肩の辺りに馬の背中があるわけだけど、それを小さいと思うかどうか
現存する日本の在来馬の体高は100-135cmくらいで、鎌倉期前後の出土した馬の遺骸からの推定体高は120から130cmくらいだったかな?
それと宇治拾遺物語や吾妻鏡には140cmを超える馬の記述もあるそうな
続日本紀には新羅からの輸入馬だと思われるけれども150cm(wikiだと五尺五寸(165cm)も国会図書館で確認すると高五尺と記述されてる)の馬が献上されたと記述されてる いまのサラブレッドとかマジで化け物かと思うデカさだけどさあ
当時の侍って150センチ前後の欠食児童ばっかりだったわけだろ
サラブレッドよりかなりちっさい馬でも十分に脅威だっての! デカ目の原付きで突っ込んできたり
逃げて弓射されたら怖いよな そもそも鎧が重すぎて、全身鎧を纏った武士を乗せた馬は大したスピードが出せなかったんじゃなかったっけ
徒歩よりも遅かったとか… バレたかw
たしかNHKが実験してたな
真田丸の実験も面白い 重い武具や物資を運べるだけでも大きな価値のある機動力だよね
特に山がちな武田ならその恩恵も大きかろうて >>346
いや普通の馬
木曽馬はでかいから普通の馬よりはスピード出せたのかも 移動に騎馬使ってて戦場では降りて戦ってたんじゃないのか… あえて騎乗して戦ってると思しき描写も散見される
ケースバイケース 現代でも武具甲冑つけて在来種訓練つけてる牧場あるよ ポニーはずんぐりしてロバみたいだけど木曽馬はサラブレッドに似てるね サラブレッドって評価されやすいのかもしれないけど、あれはその分重いものを運ぶだけの筋力はないからなぁ
競馬は詳しくはないが騎手の重量制限が厳しかった気がする 普通に重武装の騎馬武者乗せて全力疾走してる動画ツイッターで見たけどな そもそもエクリプス生まれたのは
18世紀後半だから関係ない
アヘン戦争より更に後の時代だし アヘン戦争は1840だった
アメリカ独立戦争くらいか >>351
あのデカい騎馬武者が突っ込んできたら、戦うどころじゃ無く逃げ回る自信があるわw まぁ現代でもバイクに乗って物干し竿を振り回す全身武装した男が突っ込んでいたら
こっちが重火器でも持ってないと戦いにもならないだろう
ただ本当にそんなことができたのかは気になるし、
仮にできたとしても普通に馬から降りた方が槍も振るいやすいだろ
火縄銃や弓、投石の良い的だったと思うんだがなー 難波戦記「伊達軍は騎馬上で鉄砲使った!」
難波戦記「それで仲間の神保ぶっ殺した」 >>362
馬の衝突力を使ったランスなら強いだろうに 信長公記では長篠合戦で西上野衆が騎乗して突撃したと 戦国時代にも宣教師がアラブ馬(いまのアラブ馬と同じかは知らん)を連れてきていたような
そして島津は輸入馬を掛け合わせて馬の強化を計ろうとしていたけど、小さい馬ばかり出て失敗したんじゃなかったかな 東国は突撃することもある
西国はたいてい降りる
じゃなかったっけ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています