>>89
突発的なアクシデントもあって1564年の加賀攻めにおいて義景出陣は実現したけれど
本来は総大将として出陣の予定ではなかったのと宗滴亡き後、なし崩し的に総大将としての出陣が当たり前になっただけ

1531年の宗滴総大将による加賀攻めで手取川越えの撤退を成功させるための奇計として用いたのが
当主自らは出陣しないという「家訓(慣例)破りの孝景出陣&加越国境までお出迎え」の偽の御触を出す事で
撤退戦で軍が総崩れになる事を防ぎ武装を整えたまま意気揚々と進軍紛いの撤退を成功させ一向宗徒の追撃を許さなかった逸話がある
7代当主・英林孝景とその嫡子・氏景は戦まみれの生涯ではあったけどそれ以降は過保護のおぼっちゃま当主達