そもそも朝倉義景無能論のデカイ根拠はおおよそ2つに分けられて

・織田信長が上洛して成功した≒朝倉義景は絶好の機を逃して滅亡した

・武田信玄が西上作戦する絶好の機会をフイにした≒武田信玄の言うこと聞いていれば織田信長なぞ滅ぼせたのに!

っていう点だと思うがこれ両方間違いだからな
そもそも織田信長は上洛以降畿内の混乱に巻き込まれて、神がかり的な采配でなんとか突破しただけで常人には不可能だし
付け加えて言えば足利義昭による朝倉義景の上洛は一向一揆や上杉謙信との合同ありきであり、
この外交交渉が遅々として進まなかったことや、織田信長の美濃制圧で鞍替えしたことが理由。

ちなみに1566年の段階で足利義昭は既に織田信長をアテにしていて、斎藤龍興が三好三人衆に寝返ったことで破綻したが既に信長との共同上洛作戦は大分前から考慮されてた
(龍興は1566年の書状で「織田信長が寝返ったから反撃した。俺は悪くない。信長は天下の笑い者」としたためてるが、
 これに署名した安藤、氏家両名がのちに織田家臣になっていることや、翌年に信長の稲葉山陥落を見ていることから
 斎藤龍興が織田信長に攻撃して足利義昭の上洛を妨げた結果人心を失った可能性は高い)

そんなわけだから足利義昭の上洛要請に応えなかったのを朝倉義景の責任にするのはちょっと無理がある。
武田信玄の西上作戦については殆ど妄想の産物で、まず武田信玄が上洛する気があったのかも不明だし、
春の合同作戦に武田軍は信玄死亡につき撤退という最悪の展開で応えてるので朝倉義景に責任はない。
そもそも合同作戦をやったところで織田信長が滅びる可能性も低い。

ちなみに合同作戦のルートでは現在の越美北線〜九頭竜湖から北濃未成線〜越美南線ルートだが、ここは現代でも通行止めになる区間。リスク考えると不可能に近い
この合同作戦自体は本願寺側から出されたものらしく、恐らくかなりの無茶振りであろう