実際には結構根深い問題なんだけどな荊州貸与問題は
未だに結論が出ていない話でもある

ただ一つ言えるのは荊州貸与問題を拗らせたのは
劉備と孫権で関羽はぶっちゃけほぼ関係ない

孫権が最終的に劉備より曹操を選んだのは
孫権の背信というよりは単に劉備軍がそれだけ信用できなかっただけ
忘れられがちだけど、孫権は赤壁以降もずっと曹操と戦っていた
その一方で劉備は曹操を無視して益州をぶんどった
208年の赤壁以降の劉備が本格的に曹操と事を構えるのは218年になってから
一方の孫権は赤壁以降ずっと独力で曹操と戦ってきた
しかし劉備が曹操を攻めないからガス欠して217年に休戦した
そして218年から劉備は関羽と共同して曹操に本格的な攻勢をかけだす
これをぶち壊したのが曹操ではなく孫権というのはまた皮肉よ