>>710
人のことを曲解だらけという割には、

>氏真は城主になり家を守ることを第一に考えていて

なんて逆張りをよくするものだな
ごく一般的には、氏真は道楽で国を滅ぼした暗愚という評価で、
お世辞にも、家を守ることを第一に考えているような人物とは言えない
安全な小田原から、ほとんど意味のない感状を駿河に出していたとも、
殿様ごっこにしかみえないし

まぁそれはしょせん解釈の問題だからいいとして、

>氏真が徳川に行った直後に徳川と北条は対立し戦も交えている

これはちょっと知らんわ
氏真が徳川方に行ったのは氏康死後に甲相同盟が結ばれた1571年から、遅くとも1573年
このころは駿河に武田家が鎮座していて、1574年には遠江の高天神城まで武田に落とされているわけで、
相模の北条と徳川が戦を交える余地はないように思えるな
ちゃらっとしらべた限り、この時期に北条と徳川が戦ったという話は見つからなかった
武田領の駿河をすり抜けてどこかで衝突したのか、海上ででも戦ったのか?
三方ヶ原に北条が出兵したとかであれば可能性があるかもしれんが