>>912>>615
軽くぐぐってみたけど、内乱状態(末期)だったっぽい

60年に当主豊定死去、豊定の兄佑豊の長男の棟豊が継ぐも早世し
61年に豊数(豊定の子)が家督を継ぐ
が、因幡自体が、山名支配からの自立を目指す国人勢力が台頭し
国内不安の中、63年に毛利の支援を受けた重臣が山名豊弘を擁立し内乱へ
豊数側は敗勢の中、64年には守護所のある布施天神山城も奪われ、本拠にも攻め込まれる状態

で、65年には豊数の後継者と見られる人物の名が登場し、豊数の名が出てこない事から
死亡したか隠居したか、と推測されている、と

豊数の弟豊国が後を継いだものの、この辺の詳細が不明
尼子残党withドMの支援を受けて継承したらしいが
73年、吉川に攻められ降伏

その後は毛利の元で織田と戦うも、秀吉に降伏
その後は士官せず浪人し、というのは余談か